2018年 印象に残った本

(2018/12 旧ブログより)

2018年に読んだ本のリストを見返してみると、昨年はMDC本の翻訳をやりながら、翻訳に関する本や自主出版関連本、あとinDesignのマニュアル本といった実務に直結する本が思いのほか多く、その他は小説ばかり読んでいたようで、批評、評論の類の本は、買っても数ページ読んで積読入り、という、ずいぶんと偏った読書をしていたらしい。しかもこうやって振り返るまで、それに気付きもしなかったというのが情けない。映画は例年より多く見たからそのせいと、読書の時間が翻訳作業に置換されていたという言い訳で、ここは逃げておこう…。

月/辺見庸(角川書店)
これは正確には、一昨年暮れから角川のPR誌「本の旅人」上で連載が始まって、その連載を読んでいたのだが、毎月末に届くペラペラの冊子がとても「重く」感じるような、そんな10ヶ月だった。2016年の相模原の障害者施設での「大量殺人」を扱った小説だが、「きーちゃん」という「ベッド上にひとつの“かたまり”として存在しつづける」園の入所者の視点から、そのきーちゃんの世話をする職員の「さとくん」――後に「あなた、こころ、ございませんよね?」と施設の入所者の虐殺を行う人間だが――その視点へと、段々と「ずれて」いく様がとてもおそろしく、それは多くの人が持っているであろう「私は健常者であるという自己認識」による、障害者への無自覚な差別心を、否応なしにえぐって突きつけてくる。昨年末に新宿紀伊国屋で行われた講演で、この事件に対するメディアの報道の、もっともらしい言葉、テンプレートの「冷たさ」、偽善(そして毎度のごとくの都合のいい忘却も含まれると思うが)に対するには、フィクションによって「沈黙している者に語らせる」こと――それはきーちゃんも、そしてさとくんのことすらも指しているのであろうが――は、小説、詩でしかできないことだと辺見氏は言われていた。

虹の鳥/目取真俊(影書房)
目取真俊の掌編「希望」を拡大し、そこに「スクールカースト」や若者の暴力を入れ込んだような2004年の長編。かなり凄惨な描写も続くが、ここで描かれる暴力構造は、そのまま沖縄が受けてきた暴力構造の戯画化のようでもある。目取真氏は今も辺野古でボートに乗って抗議活動を続けているが、そのせいで執筆の時間が取れないとどこかに書かれていた。2017年秋の「三田文学」に「神ウナギ」という短編が載っていたが、それも戦前から今にわたって沖縄を蹂躙し続けるヤマトの話だった。

BARABARA/向井豊昭(四谷ラウンド)
不勉強な私は、この向井豊昭というかなり特異な作家をようやく知って(最近の批評家で一番信頼している、同世代の岡和田晃氏の何かを読んでいてだったと思うが)、これをまず読んでみた。表題作は今住んでいる荒川区の散歩コース、南千住の小塚原の回向院(ターヘル・アナトミアの碑だけでなく、高橋お伝や鼠小僧、磯部浅一の墓もあるが)や処刑場、コツ通りなどの描写が、歴史の本でも読んでいるかのように説明的に登場し、「ゴキッ!」というどこか気持ちのいい音は、名もなき敗残者への供養のようにも聞こえ、ラストは1989年のヒロヒトの崩御につながっていく。代替わりで元号が変わるという、今年こそ読まれるべき短編なのかも、崩御じゃないけど。しかしもし向井氏が、ハイライズが建ち並ぶ、現在のジェントリファイド南千住を見たらどう思うんだろうか。朝からワンカップをあおる山谷のおっさんは、南千住の駅では見かけなくなった。

さらば、シェヘラザード/ドナルド・E・ウェストレイク 矢口誠訳(国書刊行会)
国書刊行会の「ドーキー・アーカイヴ」の1冊。スランプに陥ったポルノ小説作家が、とにかく何でもいいから25ページを書く、というのが繰り返されていくが、メタメタフィクションとでも言うのか、こんなのアリなの?という驚きと、(作中の)作者のルーザーっぷりが愛しい。軽妙な訳文も好みだった。

砕かれた神 ある復員兵の手記/渡辺清(岩波現代文庫)
先の大戦の戦争責任をまったく取らなかったヒロヒトへの呪詛がつらつらと書かれた、敗戦後すぐの1945年9月から翌4月までの日記のかたちをとった作品。これは作品内の実時間で書かれたものではなさそうなので、多少の脚色は入ってるんだろうが、興味深いのは、復員してからの毎日の農作業の描写と、戦後の困窮期における都市と農村の立場の逆転がある種痛快に読めてしまうのは、私が農村目線で読んでいたからだろう。さて、日本社会の変わり身の早さ=原爆を落とされたアメリカに言いなりで、特にそれがマッカーサーと天皇が並んでおさまる写真で突きつけられるが、今まで自分が信じていたもの=神としての天皇は一体何だったのか、と、まわりはみな死んでいった中、20歳で復員し、それまでの自分の世界が足元から揺らぐわけで、それは確かに過酷な経験だったはずだ。また戦中は皇国史観に沿ってうまいことやっていたインテリや学校の先生のような奴らの変わり身の早さ、「神国日本」だと言っていた同じ口で、「あの戦争は間違っていたとわかっていた、今は民主主義だ」と唱えだす。こういったところも見逃すことなく日記に記される。ラストの天皇に対する「直接行動」も、潔癖症的な自己完結なのかもしれないが、心情は理解できる。
また、当然のごとく、中国でしてきた「武勇伝」を語る復員兵の話も出てくるので、引用しておく。

「上海から南京まで進撃していく間に、そうだな、おりゃ二十人近くチャンコロをぶった斬ったかな。まあ大根を輪切りにするみてえなもんさ、それから徴発のたんびにクーニャンとやったけや、よりどりみどりで女にゃ不自由しなかった。ほれ、この指輪も蘇州でクーニャンがくれたやつさ、たいしたもんじゃないらしいけんど、そのときもこれ進上するから命だきゃ助けてくれって泣きつきやがったっけ。でもさ、生かしておくってえとあとがうるせえから、おりゃ、やったあとはその場で刀でバッサバッサ処分しちゃった……まあ命さえあぶなくなきゃ、兵隊ってのは、してえ事ができて面白えしょうばいさ。それでお上から金ももらえるんだから、博労なんかよりもずっと割がいいぜ」