Instant Agony/Anti Police【ハードコア・パンクの歌詞を読む―Debacle Path 別冊1】

Instant Agony/Anti Police
(“Fashion Parade” Half Man Half Biscuit, 1983年)
山路健二(EL ZINE)


 1970年代後半。イギリスはリヴァプールにあるEric’s Clubでは、夜な夜なThe Sex PistolsやThe Clash、Joy Division、X-Ray Spexなどといった伝説的なパンク・バンドたちによるギグが繰り広げられていた。
 そのクラブに足繁く通っていた一人の若者が、のちにInstant Agonyを結成することになるPaul ‘Tabby’ Cavanaghである。彼と同じようにEric’s Clubへと通い、そこで“天啓”を受け楽器を手に取りバンドを結成し、その後の人生が一変した若者が当時、数多くいたであろうことは想像に難しくない。しかし1980年3月。Eric’s Club は一時的にだが閉鎖を余儀なくされる。麻薬の売買が行われているとの嫌疑をかけられ、警察による突然の“襲撃”を受けたからだ。事件後、Eric’s Clubの再開を求める何百人ものパンクスがデモを行ない、リヴァプール中を練り歩いたという。
 Instant Agonyがその産声を上げたのは、それから間もなくしてのことだった。
 素晴らしきハードコア・パンク・バンドが犇めき合っていた“UK82”においても、Instant Agony のファスト且つプリミティヴなサウンドは突出していた。シンプルこの上ない楽曲は悪く言えば単調だが、それを補って余りあるほどの向こう見ずな衝動と逼迫感に充ちていたのだ。
 また、ファッションの面でも彼らは完璧だった。スパイキー・ヘアに鋲ジャン、ロールアップしたジーンズにドクター・マーチン。個人的な話で申し訳ないが、10代の頃、数少ないパンク友達と「イギリスのバンドとアメリカのバンド、どっちが格好良いか?」論争をしたとき、基本的にラフな格好でステージにあがる同時代のアメリカン・ハードコア勢よりも、ビシッ! としたパンク・ファッションで身を固めたイギリス勢の方が格好良いに決まっているだろ! と、音楽性以前の段階で、私は圧倒的にイギリス寄りだった。
 ともあれ、Instant Agonyは見た目も、音も、メッセージも、全てが分かりやすかった。そこには小難しい理屈も、かったるいイントロも皆無。そんな彼らが人気を博すのに、そう時間はかからなかったわけで。デビュー・ライヴはバンドの地元バーケンヘッドにある、Hamilton Clubにて行なわれた。彼らは持ち曲だった6曲をやり尽くすと、(曲が短すぎて時間が余ったため)もう一度同じ6曲を頭から繰り返し演奏したという。しかもオーディエンスはそのことに誰も気がつかなかったそうだ。
 そんな彼らに目をつけたのは、地元でレコード・ショップを運営していたJohn Weaverだった。彼は新興レーベル、Half Man Half Biscuitを興すと82年にInstant Agony の1stシングル『Think Of England』をリリース。その作品はインディー・チャートの31 位にランクインしたのだった。
 次いで翌83年には2ndシングル『Fashion Parade』を発表すると、それはインディー・チャートの7位( パンク・チャートだと5位)にまで登りつめる。
 彼らの楽曲の中で、私が思う最もストレート且つアグレッシヴな一曲こそが、その『Fashion Parade』に収録されている超高速ツンノメリ・ソング“Anti Police”である。ジャケットの裏面には警察官に取り囲まれたメンバー写真も掲載されており、曲中で幾度となく繰り返される“Anti! Anti Police!”のコーラスからは、ストリートでの実体験が起因した、警察に対する率直な怒りが感じ取れることだろう。もちろんそこには、冒頭で述べたEric’s Clubを警察によって潰された怨嗟も込められているはずだ。
 Instant Agonyの代表作と言えば『Think Of England』と『Fashion Parade』の2枚が筆頭に挙げられることは間違いない。また収録曲はもとより、その手作り感満載なコラージュが施されたカラフルなスリーヴ・デザインも、後続のバンドに多大なる影響を与えることに。
 その後の彼らはHalf Man Half Biscuit を離れFlicknife Recordsから3rdシングル『No Sign Of Life』をリリース。だが初期の2枚が強烈に放っていたような、若者特有のやり場のないエナジーというやつは、この時点で既に希薄になっていたと言わざるを得ない。
 バンドは次いでデビュー・アルバム『Nicely Does It』のレコーディングに着手するのだが、それが日の目を見ることはなかった。リリース前に彼らは解散してしまったからだ(アルバム収録曲のうち2曲を収めた、同名シングル『Nicely Does It』は84年にリリースされた)。Tabby 曰く、どうして自分たちが解散したのかはっきりとした理由は分からないそうだが、先々のリリース(複数枚のアルバム)に関してまで契約を交わしてしまい、更には地元を離れてギグをやることがストレスになっていた、ということも一因らしい。
 多くの“UK82”バンド同様、彼らもまた短命だった。だが、その遺伝子は次世代へと引き継がれていく。
 10年以上の月日が流れ、舞台はイギリスからアメリカへ。
 サウンド、メッセージ、ファッション。いずれの面においてもパンクの最もカジュアルな形態と言えるメロディック・パンク/スケート・パンクの流行と連動するかの如く、90年代半ばになるとストリート・パンクのムーヴメントがアメリカを中心に巻き起こる。あらゆる文化の常として、それが大衆化すればするほど、その反動としてルーツに立ち返ろうとする回帰運動が起こるわけだが、パンクもその例に漏れることはなかったわけだ。
 Tシャツにハーフ・パンツ、キャップにスニーカーというラフなファッションの対極に位置する、鋲ジャンに色とりどりのスパイキー・ヘア、ドクター・マーチン、そんな“UK82”のバンドを彷彿とさせるファッションとアグレッシヴな音楽性はストリート・パンクと呼ばれ、“アンダーグラウンド”なパンク・シーンで爆発的な盛り上がりを見せた。そのムーヴメントを牽引したバンド、それはニューヨークのThe Casualtiesに他ならない。
 本稿のテーマに沿えば、彼らの人気を確固たるものとした97年発表の1stアルバム『For The Punx』には“Police Brutality”という曲が収録されている。
 自分たちパンクスをニューヨークのストリートから追い出さんとする警察の蛮行を歌った曲で、Instant Agonyの“Anti Police”同様、そこに難解な用語は一切出てこない。歌詞の一節を紹介しよう。

Police Brutality, For You And Me
Police Brutality, They Are On The Streets
Police Brutality, They’re All Around
Police Brutality, For The Punx”

警察の暴力、あなたも私もやられる
警察の暴力、奴らは街を闊歩する
警察の暴力、奴らはそこらじゅうにいる
警察の暴力、パンクスをボコボコにする

 一方、ボストンではThe Casualtiesの弟分的存在とも言えるThe Unseenが頭角を現していた。そして『For The Punx』と同じ97年にリリースされた彼らの1stアルバム『Lower Class Crucifixion』には、奇しくもThe Casualtiesと同じ“Police Brutality”という曲が収録されているのだ。もちろん曲調や歌詞は全くの別物。The Casualtiesのソレがキャッチーでファストなナンバーであるのに対して、The Unseenは“Authority! No Authority! Fuck Authority! Police Brutality!”という力強いコーラスが際立つミドル・テンポの楽曲だ。
 ニューヨークのThe CasualtiesにボストンのThe Unseenと来たら、ポートランドのDefianceに触れないわけにはいかないだろう。両バンドより1年早い96年にリリースされた彼らの1stアルバム『No Future No Hope』は、RancidやGreen Dayを痛烈にバッシングした“Rip Off”という曲が収録されていることでも知られているが、アルバムのラストを飾るナンバーが“Police Oppression”だ。
 だがこれはDefianceのオリジナルではなく、イギリスのパンク・ロック・バンドAngelic Upstartsのカヴァー。78年に自主でリリース(その後Small WonderとRough Trade が再発)した1stシングル『The Murder Of Liddle Towers』のB 面(Side Two)に収録されている曲なのだが、タイトル曲の“The Murder Of Liddle Towers”は地元の電気技師でアマチュア・ボクシングのコーチも務めていた男性Liddle Towersが1976年、留置所に拘留された際、警察官によって蹴り殺された事件をそのモチーフとしている。この事件は当時イギリスで大きく取り上げられ、モッズ・バンドのThe Jamやスキンヘッド・バンドのCruxなども曲の題材としている。
 Defianceがカヴァーした“Police Oppression”は“I just can’t take much more of this oppression”という歌詞で始まり、“The Murder Of Liddle Towers”とある種地続きとも言える一曲。“UK82”のバンドではなくAngelic Upstartsをチョイスしたというのも、The Clashの“London’s Burning”を“Portland’s Burning”にしてカヴァーしたりする彼ららしいセンスで
はないだろうか。
 さて、ニューヨークにはPunkcore Recordsというパンク・レーベルがあり、前述のThe CasualtiesやThe Unseen、Defiance、更にはLower Class Brats やDevotchkas、The Virus、Cheap Sex、A Global Threat等々といった名だたるストリート・パンク・バンドを数多く手掛けている。そんなPunkcore Records、実はInstant Agonyの作品もリリースしているのだ。
 Instant Agonyは96年に再結成を果たしているのだが、御多分に漏れず(これは仕方のないことなのかもしれないが)80年代初頭のような初期衝動は完全に失われてしまっている。
 ともあれ、イギリスの大規模パンク・フェスHolidays In The Sunのアメリカ編、Holidays In The Sun USA 2002がニュージャージーで2002年に開催されると彼らも出演。GBHやThe Exploited、UK Subs、Special Duties、The Adicts、The Business、The Partisansといった往年のUKパンク勢と、前述の若きストリート・パンク・バンドたちが共演したのだった。
 Punkcore RecordsからInstant Agonyのシングル『Not My Religion』がリリースされたのはその翌年、2003年のことである。
 アンチ・ポリスな曲をテーマに、Instant Agonyを発火点としてアメリカのストリート・パンク勢、The Casualties、The Unseen、そしてDefiance について簡単に触れてみたが、他にもニュージャージーのBlanks 77が92年に発表した1stシングル『Destroy Your Generation』に“Police Attack”という曲があるように、アンチ・ポリス・ソングはストリート・パンク界隈でも枚挙に暇がない。大衆に紛れ込むことが不可能なファッション、そしてアティテュード。ならば警察とのトラブルは不可避且つ日常茶飯事であり、そこから生まれる楽曲にはバンドの偽りなきメッセージが込められているのだ。

「ハードコア・パンクの歌詞を読む ―Debacle Path 別冊1」より

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