年明けにツイッターでこの記事を見かけて読んだ。
「もうすぐ消滅するという人間の翻訳について」
https://note.com/aki0309/n/n1f05cb496913
ちょっと感傷的にすぎる文章かとも思うが、執筆者は「翻訳家」を名乗り、それを生業にされている方のようなので、まあそうなってしまうのも理解できる。
それではなぜ、人間の翻訳は終わってゆくのだろうか。
それでもなぜ、人間の翻訳は終わってゆくのだろうか。ほかでもなく、人間の側が翻訳に対する要求水準を下げ始めたからである。
「(ちょっと変だけど)これでもわかるし」
「(間違いもあったけど)だいたい合ってるし」
「(この程度の修正でなんとかなるなら)わざわざ専門家に発注しなくても」
私はフリーになってこの8年ほど、とある業界の社内資料の日英、英日翻訳やレポート執筆を主に飯の種にしていたのだが(過去形)、そこですでにこの「人間の翻訳」が終わっていく過程を経験した。言わば翻訳業「失業」の先輩である。扱っていたのは外部には出ない社内資料なので、上記「(ちょっと変だけど)これでもわかるし」が正に通用する世界であって、完璧な翻訳や人の手の入った読みやすい翻訳はそこでは求められず、特にコロナ禍の2年目あたりから翻訳の依頼はさっぱり来なくなってしまった。当初は海外案件のほとんどがコロナで飛んだせいかとも思ったが、どうもそれだけではないらしかった。仕事をもらっていた担当者が異動/転職してしまってそれっきり受注が絶えた、というのはフリーランスにはよくある話だが、担当者が変わらなくても、より安楽な翻訳業務というものは機械翻訳、AIが取って代わるようになったらしい。らしい、というのは、そんなことはクライアントはわざわざ末端フリーランスになど教えてくれないから、そういうものだろうと思ってのことである。そりゃ外注依頼のメールを書いて作業が終わるのを待つ間に(且つ納品後の請求支払い云々の事務作業をやる必要もなく)、一瞬で機械がタダ同然でやってくれるんだから、こんなに「コスパ」のいいことはない。そうして私には翻訳の依頼がほとんど来なくなった。
そもそもこういった実務翻訳やビジネス翻訳という種類の翻訳業は、ランサーズのような仕事マッチングサイトに有象無象が仕事を求めるようになってから単価が下落、崩壊し、それに合わせて質も低下してきた背景もあるので、現今AIによってそれが一掃されるのはある種のすがすがしさもあるのだが、まあ失業する翻訳業者や類似業者が増えることに変わりはない。
より「高度」な翻訳である文芸翻訳や、文字数制限のある映画字幕翻訳などは今後もある程度残るかもしれないが(字幕翻訳も、AIに下訳をしてもらい、文字数のみ人力で調整、というふうに簡素化されるのかもしれない)、このnoteにあるように、人間が翻訳に求める水準を下げたら、そういった創造的な翻訳業務もやがて潰えるかもしれない。一旦下がった水準は上がることはないだろう。クオリティの多少低いものにもやがて慣れるのが人間というものだ。
さて、Gray Window Pressの話である。Debacle Pathはさておき、出版の方の翻訳も、そのうち需要がなくなるだろうとは思っている。私が出している自伝の類などは、LLMにかけて読んでもわりと読めるような、内容を知ることだけを目的とした読書が通用する種類の本である。そこに書かれた文章、訳文を楽しもうとは思って読む人はそんなにいないはずだ。その点は音源とは違う(Poison IdeaジェリーAの自伝は文章も楽しむ本だったが)。まあこれまでもこのひとり出版で食ってきたわけではないので、需要がなくなったらさっさと辞めるだけで、別に構わないのだが。ここで必要なのは、原書購入→自炊(あるいは原書の電子書籍を購入)→テキスト化してLLMでまとめる、という、AIが得意とする、わりと単純な作業である。原書を買う余裕さえあれば、誰でも読めることになる。それは面倒だから最初から日本語で読みたいな、という殊勝な人たちが今後も私の出す本を買ってくれる可能性はあるが、書籍制作のコスト増という別の問題もある。飯の種にするつもりのない出版ということで、これまで売価はなるべく抑えてきたつもりだが、次の本(Rudimentary Peniニック・ブリンコの半自伝的小説、『原初の叫びを上げるもの』)は果たしていくらかかるんだろうか…。
(2025.1.13)