映画ベスト(2013~2019まとめて)

※旧ブログより、以下7年分まとめてあります。それぞれ順不同。

(2019/12)

【2019年分】

Sorry to Bother You(2018年 アメリカ / ブーツ・ライリー)
最近アマゾンプライムにナメたような邦題で入ったらしいが、ちっとも公開されなかったので米盤ブルーレイを買って視聴。多分ストーリーの裏にある情報が多すぎて公開されなかったんだと思うが、アメリカでは同時期に公開した『ブラック・クランズマン』(観てないけど)よりも話題になっていた気がする。コミュニスト・ヒップホップ集団The Coupを率いるブーツ・ライリーの映画ということで、真っ向からの資本主義批判とともに、世間が持つステレオタイプな黒人観を逆手に取ったストーリーが、最終的に労働力としての「馬人間」につながるという、『ゼイリブ』なんか目じゃないくらいにある意味で地に足のついた映画。次号Debacle Pathに、オークランドの(元)パンクスのインタビューが載るんだが、そこでパンクスにとってはかなり面白いであろうこの映画の裏話が載るので、興味ある人はそれまでに観ておいていただければ。ただ現状アマゾンプライムに入らないと観れない。資本主義の成れの果てみたいなアマゾンに金を落とすのは、この映画の趣旨と反してるよな…。

アマン(1995年 インド / コーディー・ラーマクリシュナ)
今年もカナザワ映画祭の字幕をいくつかやったが、現在は巡回興行スタイルを採っている映画祭もようやく東京でやって、そのオールナイトでようやく字幕付きで観れた映画。そもそもは2010年の同映画祭の「映画の生体解剖」トーク(あれが第1回だったか)で、この映画の最後の部分を唐突に見せられたのがあまりに衝撃で、そのことは何度かここにも書いてきた気がするが、これが実は“Devotion film”、神様映画と言えるような信仰の映画で、女神の裁きが下るまでひたすら折檻に耐え抜く孤児の少女の物語だったわけだ。他にもそんなのありかよ!という恩赦などもあったが、まあ細かい部分はあの機会に観れた人の心の中にしまっておきましょう。
あとその他今年のカナザワ映画祭で観たのだと、『丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる』が、真光教の全面協力を受けていたり、板取が舞台だったり(殊能センセーはこのことを知ってたのかな)のレペゼン岐阜映画で、岐阜県はこの映画を県の推薦映画(そんなのあるのか知らんが)にすべきだと思ったのと、高田で観たジャン・ローランの2作がとても印象に残った。ジャン・ローランは、今年で終わってしまったラディカル予定帳“The Bottled Wasp”の2019年版―テーマはアナキスト―にも、「エロティック・ホラー映画監督、俳優、小説家、アナキスト」としてその名が載っていた! ただどんなアナキストだったのかはわからない。

ある女流作家の罪と罰(2018年 アメリカ / マリエル・ヘラー)
これも劇場公開なしのビデオスルー、じゃなくて、今ならストリーミングスルーとでも言うのだろうか、アマゾンプライムは使ってないので、相方AKのiTunesで観たが、主人公がレズビアンとゲイで、そこに「ロマンス」がなくて盛り上がりに欠けるから公開しない、とでも判断されたのなら、もう劇場で映画観るのは旧作だけにしようかなと思ってしまう。

レンの哀歌(1969年 韓国 / キム・ギヨン)
12月のキム・ギヨン生誕100年特集で色々観た中で、色々やりすぎ、over-the-topのどぎつい昼ドラみたいな『火女 ’82』や『死んでもいい経験』のような、キム・ギヨン=狂気みたいなイメージのものではなく、こういったメロドラマを撮っていたことにまず驚いたが、そもそも朝鮮戦争について、アメリカではなく韓国が製作した映画をそんなに観ていななあと、あのあまりに悲しいラストのレンの凍死を見て思わされた。メモを見返すと、イム・グォンテクの『キルソドム』くらいだが、正直中身は忘れてしまっている。『キルソドム』以前にイム・グォンテクは何本も朝鮮戦争の映画を撮っているらしいが、ひとつも観たことがない。キム・ギドク『受取人不明』にも、朝鮮戦争時に得た勲章を生きがいにするおじさんたちが出てきたか。朝鮮戦争は日本分割の代理となった、いわば日本が被るべきだった戦争なわけだが、その「代理戦争」が朝鮮で行われていたさなかに朝鮮特需だとかで経済復興を遂げたような美談に仕立て上げ、さらにはそれを「戦後日本は一度も戦争をしてこなかった民主主義の国」などと言えるような便利な認識は私にはない。改めて日本のミンシュシュギを、はからずもキム・ギヨンの映画で再認識することとなった。そしてその朝鮮戦争がようやく終わるかもしれないという現在の状況の中で、韓米の「安保マフィア」は自分たちの利益のためにこの東アジアの「冷戦」を終わらせまいと暗躍していると、年末の図書新聞の崔真碩氏の記事(「済州4・3の歴史的現在」)にあった。今年は、「自衛隊は日本の最高の発明」という、「アジカン」というバンドの人の発言をとある無料パンク・ジンで読んで目を疑ったが、当たり前だが、「自衛」するためにアメリカから武器兵器を買わされてるのは韓国だけじゃないですよ、もちろん税金でね。

Legacy of Dysfunction (Poison Ideaのドキュメンタリー。2017年 アメリカ / Mike Lastra)+ Poison Idea 11月11日のライブ@新代田Fever
番外編。Poison Ideaのこのドキュメンタリーはもちろん日本では公開するはずもなく輸入盤で見るしかなかったのだが、これがなかなかおもしろくて、某メンバーの突然の○○発言というオチもちゃんとついた上で、(一旦)解散した2016年末の、Slayer HippyやCharlieを含む過去のメンバーが大勢参加した例のライブで幕を閉じる。作ったのは、ずっとPoison Ideaを撮り続けてきたMike LastraなのでJerry Aも安心しているんだろう、ホワイトボードにメンバー・ツリーを書いてバンドの歴史を軽妙な語りで解説していく。
さて「最後のツアー」と銘打って11月に日本にやってきたPoison Ideaだが、そんなJerry Aがこの日は(他の日も多少はそうだったみたいだが)曲の解説を長めにするという、ライブの流れよりも中身重視のセットで、その話がどれも結構ヘヴィで(“Alan’s on Fire”なんかは、妻子に相手にされない友人の男が、その妻子の目の前で焼身自殺したという話だった)、改めてこのバンドのパンク・ニヒリズムを感じて感傷的にさせられた。しかし見られてよかった。

かつて中島貞夫の映画に出てた俳優はどんどんとこの世からいなくなっていくが、そんな中公開された新作『多十郎殉愛記』はわりとよかったが、高良健吾の殺陣はやはり見劣りしてしまう。同じ中島貞夫の倒幕モノなら、『日本暗殺秘録』の冒頭の桜田門外の変での若山富三郎、とまではもちろんいかないにしても、あれくらいの迫力がないと…。トリアーの『ハウス・ジャック・ビルト』はかろうじて観たが、ほとんど内容を忘れてしまった。強迫観念が「悪事」で緩和されていく、というのは面白い発想だが、ちょっと悪趣味なコメディに寄り過ぎたような。ただドラクロワの絵を映画内でむりやり再現、は面白かったな…。『金子文子と朴烈』は、新山初代が悪者のように描かれていたのがどうにも受け付けなかった。誰かを悪者に描かないと他のキャラが立たないというのは、しかも史実をねじ曲げてまでそうするというのはどうなのか。イ・チャンドン『バーニング 劇場版』は別に嫌いじゃなかったけど、これは特にイ・チャンドンが撮らなくてもいいのでは…と。

【おまけ:ラリー・コーエン映画ベスト5】
ラリー・コーエンが亡くなったのは今年の3月で、その追悼の意もあって企画されたんだと思うが、今年のカナザワ映画祭用に字幕をつけたひとつに、ラリー・コーエンについてのドキュメンタリー『キング・コーエン』があった。この映画、コーエンの生い立ちからフィルモグラフィを時系列に振り返っていくのだが、そこにスコセッシやジョー・ダンテのようなコーエンに近かった監督、マイケル・モリアーティ、ジェームズ・ディクソン、タラ・リードなどコーエン映画の常連俳優、コーエンの元妻と二人目の妻、『Bone』に出たヤフェット・コットー、あとトレーシー・ローズなんかのコメントが入りながら、各映画のシーンも結構流れるので、作業の参考がてら、一応観れるものは一通り、15本くらい観てみた。私的ラリー・コーエン映画ベスト5(監督作に限る)。

The Stuff(1985年)
「大量消費社会と、巨大企業の無節操なやり方についての映画」とラリー・コーエンがそのドキュメンタリー内で言っていたように、当時の健康志向で流行っていたヨーグルトが逆に人を喰う、というすばらしい着想の映画。“Enough is never enough♪”という映画内の商品CMの惹句がまさに消費社会そのものを表していて、エンターテナーのコーエンがそれを楽しく作ったブラック・コメディ。ラスト近くでヨーグルト屋を爆破した火が、隣のマクドナルドも燃やしてるんじゃないかと思えるシーンが最高。
「The Stuff」をマシュマロで真似て作ってる人の動画を発見!:

悪魔の赤ちゃん3 禁断の島(1986年)
これはアメリカ、当時のレーガン政権の反共政策、冷戦構造を暗に批判してるような、『The Stuff』にも劣らないコーエンの真面目な、もとい社会風刺的な部分が見える上に、「孫」ができておじいちゃんになったマイケル・モリアーティのわけのわかったようなわからないような妙な演技が楽しくて、シリーズ3作の中では一番おもしろいんじゃないかと。夏の「映画の生体解剖」トークで稲生平太郎氏が話されててしっくりきたのが、「コーエンの映画は心が洗われる、ある種のすがすがしさがある」というコメント。本当に、この映画は観終わると妙な爽快感につつまれる。フロリダのパンクスも出てくるよ!

Bone(1972年)
ジョーダン・ピール『ゲット・アウト』の40数年前に、黒人=悪者、白人=被害者というステレオタイプな偏見を正面から描いたコーエンの初監督作(いや、このあたりの時代のブラックスプロイテーション映画にも似たような題材の映画はあったと思うけど。これもある種のブラックスプロイテーション映画だし)。自分の書いた脚本がズタズタにされるのが嫌だし、あれこれ口を挟まれるのも嫌で自分で撮った、というようなことを言っていたが(DIYだな)、それにしても1972年に白人と黒人のセックスシーンを撮るというのは相当に挑戦的だったんじゃないだろうか。

空の大怪獣Q(1982年)
このタイトルは、ケツァルコアトル(Quetzalcoatl)というアステカ文明の神のQじゃなくて、モリアーティ演じるダメダメなチンピラ・クィン(Quinn)のQなんだな。コーエン映画に出てくる数々のモリアーティの中でも、特にこの映画のモリアーティは愛しすぎる。撮影時にクライスラービルから銃(空砲)を撃ちまくってニューヨークをパニックに陥れたというのも素敵な話。

The Ambulance(1990年)
『神が殺せと云った』(“God Told Me to”)と迷ったが、あの映画は本当によくわからないけど何だかすごい、くらいしか書けないので、逆にわかりやすいこの映画を選ぶ。ジョン・カーペンターの『クリスティーン』みたいな意志を持った自動車モノを期待してたら、なんてことはない、ある意味では糖尿病に関する映画なのだった。救急車がクラブで客みたいにたたずんでるところがいい。


(2019/1)

【2018年分】

スリー・ビルボード(2017年 アメリカ、イギリス/マーティン・マクドナー)
体感的には2年くらい前に見た気がするが、これまだ2018年だったのね。フラナリー・オコナーも映画内で言及されていたらしいが(気づかなかった)、アメリカ南部(舞台はミズーリだったが)のある種の田舎ホラーとしても見れた。別に怪物が出てくるわけでもないが、人の善悪に白黒つけたがる時代の潮流に、こういった方法で抗するというのはよくできた映画なんじゃないかと。火炎瓶を警察署に投擲するフランシス・マクドーマンドには慄えた。

ハッピーエンド(2017年 フランス、ドイツ、オーストリア/ミヒャエル・ハネケ)
ハネケの映画の中でも、『コード・アンノウン』、『隠された記憶』の系譜にあるような、現代フランスの「格差」、人種間の無関心を、スマホを効果的に使ってえぐったような映画。こう見ると、フランスってやっぱり「いい国」じゃないよなあ(いい国なんてどこにあるのか知らんが)。

タクシー運転手 〜約束は海を越えて〜(2017年 韓国/チャン・フン)
ソン・ガンホとユ・ヘジンが出てたらそれはもう間違いがないわけだが、数ある光州事件を映画化したものの中でも、それをある種「外」から描き、なおかつコミカルに、「トラック野郎」ばりのフレンドシップに支えられたカーチェイスも交えて、スピードのある映画とでも言うか。ただ事件の概要を知りたければ、2007年の『光州5・18』(キム・ジフン)を見たほうがいいかも。あとその後の民主化抗争を描いた『1987、ある闘いの真実』もよかった。これもユ・ヘジン出てたな。韓国の社会一般が健全に機能してるとは、韓国の友人から聞くことあまりはないが、それでもこういう自国の歴史の「負」の側面を、自分たちで映画にできるというのは、少なくとも文化的にはとても健全だと思う。

カンボジアの失われたロックンロール(2014年 アメリカ、カンボジア、フランス/ジョン・ピロジー)
東京国際映画祭で見た映画だが、実は上映の1ヶ月くらい前に、「東京のジェントリフィケーションについて教えてほしい」と監督からメールをいただき(通訳のHさんがこのブログを見つけて監督に教えた、というのが真相だった)、会うついでに見たのだったが、これこそ労作とでも言うべき、緻密な取材と流れるような編集により、50年代から開花したカンボジアの大衆ロックを追いかけ、その一連の「出来事」をスクリーンに蘇らせていく。歴史上の必然とでも言うべきか、ベトナム戦争とクメールルージュによってそれは破壊されてしまうのだが、原題の“Don’t think I’ve forgotten”(忘れたと思わないで)という言葉どおり、それらの音楽はその戦禍の中でも、地下に潜って、ほとんど口承のようにして生き伸び続けた、というわけだ。結局買えなかったけど、サントラの2枚組LPほしい。

快楽の漸進的横滑り (1974年 フランス/アラン・ロブ=グリエ)
2016年のカナザワ映画祭で『エデン、その後』を何となく見てしまい、白昼夢のような感覚を味わった(実際に上映中に寝てしまったからかもしれないが)感覚はその後も結構引きずっていて、他のアラン・ロブ=グリエの映画も見たいなと思っていたが、今回の特集でようやく見れた。他の何本かはウトウトしてしまったが、どの映画も基本的にやってることは似通ってる気もする中、これはアニセー・アルヴィナに魅せられて寝る暇なし。自壊していくようにも思えるアルヴィナのわけのわからなさに横滑りさせられてるのは、登場するバカな男たちだ。ケン・ラッセル『肉体の悪魔』、鈴木則文『聖獣学園』にも勝るアンチクライスト尼さん映画でもあるような。

日本映画が1本も入っていない! そもそもほとんど見ていないからだが、『霊的ボリシェヴィキ』はクラウドファンディングのお返しでチケットが2枚来たので2回行ったが、あと2回くらい見ないと正直判断がつかない。ボルの形を借りた百物語みたいな話の「禍々しさ」は、何かイヤなもの見てるなあとゾクゾクしたが、ちょうどFatumのインタビューにも出てきたドゥーギンの使い方は、あれはどうなんだろうかと立ち止まって考えてしまった。『素敵なダイナマイトスキャンダル』は、末井昭の書く文章も彼の人生もわりと好きだが、それが映画になったからといってなんてことはなかった、という…。旧作だと東映の『夜明けの旗 松本治一郎伝』(1976年、山下耕作)が見れたのはよかった。これとか、去年の『従軍慰安婦』みたいな映画をちゃんとDVDで出して、日帝とは、天皇とは、と、ちゃんと考えるためのひとつの材料にすることって、特に今年はかなり重要になるんじゃないのだろうか。その他、『フロリダ・プロジェクト』と『ビューティフル・デイ』、『クレイジー・リッチ』は思いっ切り見逃した。『レディーバード』はちょうどアメリカにいたときに見たので、日本語字幕でもう1回見たら細かい部分の感想が変わるのかも。ファスビンダー『第三世代』は、確固たる思想なきニヒリスティックな極左テロリストを茶化している部分もあるんだろうが、もっとバックグラウンドを知ってから見るべき映画だったんだろう。あとようやく『ルート181』が見れたのはよかった。パレスチナに行く前に見ておくべき映画だったが。あとアンドレイ・ズビャギンツェフの『ラブレス』は、飛行機内で見たので上記には入れなかったが、ロシアでももう人々は「消費」にしか興味がなくなって…、ということも、Fatumのインタビューで触れられてたな。先述のグルジア映画祭は、グルジア(今はジョージアと言うべきなのか)は今でも死ぬまでに行ってみたい国のひとつだが、正教と因習によるものなのだろうが、どの映画も本当に女性に対する仕打ち/女性への「扱い」がひどいのが印象的だった。ダヴィト・ジャネリゼ『少女デドゥナ』でも、「女にとって夫の名声は何にも勝る」ということが祖母から語られる。同監督の2004年のドキュメンタリー『メイダン 世界のへそ』を見る限り、宗教や人種間の不和はなさそうな感じだったが、女性のことについてはよくわからず。ジェンダーギャップなど、今はどうなのだろうかと。
字幕ないけど、『少女デドゥナ』:

Deduna from dato janelidze on Vimeo.

さて、映画館に行くよりも家で映画を見ることのほうが多いし、Netflixを見始めてからはアメリカのドラマなんかにも手を出してしまったので、劇場以外で見たもので面白かったものもいくつか書いておこうと。とりあえず今一番おもしろいドラマは、去年も書いたがNetflixの「グッド・プレイス」。シーズン3が始まったらジャネットがさらに大活躍で、あの女優さんすげえなあと。マーヤ・ルドルフも出てきたし。あとは、元々FOXが作って新しいシーズンはNetflixが引き継ぐことになったらしい「ルシファー」も、別に特筆すべきものがあるというわけでもないけどずっと見ている。そういやどっちも地獄と天国の話だな、描き方はまったく違うけど。主演のローレン・ジャーマンは、クリスピン・グローヴァーの“It Is Fine, Everything Is Fine”にも出てた女優で、『ホステル2』を見て以来のファンだし(笑)。ジャームスの映画『狂気の秘密』(2007年)にもベリンダ・カーライル役で出てるんだよ(あの映画は取るに足らない映画だと思うし、そのあとジャームスがダービー・クラッシュを演じた俳優をボーカルにして再結成したのもどうかと思うが)。「American Vandal」というモキュメンタリー・プログラムも、チンコやウンコという低俗な仮面をつけつつ、カメラを回したらもう加害者、という、森達也が言ってたようなドキュメンタリーの加害性や、SNS依存社会を批判してて面白い。他にも面白そうなのがいろいろあるんだが、これ全部見ようと思ったら仕事なんかしてる暇ないよな。Netflix全部見させろ!とでも言いたい。そういえばNetflix製作の新作映画が公開されるようになったので、それらは劇場でもかからないし、もう劇場で見た映画だけで、「ベスト」とか言うのも時代錯誤になってくるのだろうかとも思える。その中のひとつ、『アナイアレイション』は、タルコフスキーの『ストーカー』+J.G.バラード『結晶世界』にラピュタでも足したような世界観で、特に音楽はこの監督の前作『エクス・マキナ』に引き続き、Portisheadのジェフ・バーロウとベン・ソールズベリーのコンビで、相変わらず素晴らしいスコアだった。あと今年もカナザワ映画祭の字幕をいくつかやったが(いや、結構やったな)、その中でいい映画だなと思ったのは、「UMA怪談大会」でかかった『サスクワッチ 獣人伝説』(1976年)。幻の生物サスクワッチを追う探検隊のモキュメンタリーみたいな映画だが、アメリカ北西部、いわゆるカスカディアの自然がとにかく美しくて、それだけで見る価値があった。こりゃ独立したくもなるよなあと一瞬思ったが、現在カスカディアの独立に関わってるのは、エコロジスト、オレゴン的リベラル・ヒップスター(地ビールとか作ってる人たちとか?)、そしてそれを利用しようとする白人至上主義者の三つ巴らしく、元々白人の多い地域だし、トランプ以降はいろいろきな臭いんだろうなと。カスカディアン・ブラックメタルなんてのも一時期よく耳にしたが、それらはELFまでは行かなくとも(そのへんと絡んでたバンドもいたが…)、おそらくエコロジスト的な感覚なんだと思うが、このへんの独立運動に関わってるんかね。話が飛んだ。あとは「世界陰謀論大会」でかかったジョセフ・ロージーの『ザ・ダムド』(1963年)は、いわゆる冷戦下の世界滅亡の恐怖モノだが、バイカーパンクスみたいな不良グループ(あれがロッカーズか)がずっと歌ってる「♪Black leather black leather…」という歌は、今もたまに口ずさむくらいかっこいい。そういえば去年はアンスティチュ・フランセで、ジョセフ・ロージーの『鱒』(1982年)も見たが、Axegrinderの新譜『Satori』の「アプロプリエーション」は、ベイビーメタル聞いて辿り着いたのでもなく、フラワー・トラベリン・バンドでもなく、この映画でも見たんじゃないかと勘ぐりたくもなるような変な映画だった。オリエンタル・ジャパン。


(2017/12)

【2017年分】

ゲット・アウト(2017年 アメリカ/ジョーダン・ピール)
これは今年ずばぬけて良かった。監督はコメディアン出身だそうで、役者の細かい仕草などが、「リベラル」な人たちですら心の底に持っているレイシズムをあぶり出すのに一役買ってて素晴らしかった。主役がラストで捕まるというオリジナルのエンディング版も見てみたいが、あまりにバッドすぎる。

ELLE エル(2016年 フランス/ポール・ヴァーホーヴェン)
イザベル・ユペールはもちろんだが、他の登場人物もかなりハチャメチャで、あんな内容なのに見終わって爽快感すら感じさせるのは、さすが巨匠バーホーベン、恐れ入りました。

フリー・ファイヤー(2016年 アメリカ/ベン・ウィートリー)
銃で撃たれても、そんな簡単に人は死なないらしい。去年の『ハイ・ライズ』、その前の“A Field in England”みたいなサイケなひねりはなく、この監督はこういった分かりやすい映画を撮った方がいいのかもしれない。

予兆 散歩する侵略者 劇場版 (2017年 黒沢清)
『カリスマ』や『回路』から『叫』くらいの黒沢清作品の延長みたいな画面の暗さ、禍々しさが、本編『散歩する侵略者』より明らかに不穏だった(もちろんあっちはあっちで良かったけど)。東出が言いました、「死はいつだって隣にある。これは運命だ。受け入れろ」と。TV版でちゃんと見たかったな。

従軍慰安婦 (1974年 鷹森立一)
1本だけ旧作。これは見れてよかった。なぜかクライテリオンからは出てる鈴木清順の『春婦伝』もそうだが、日本盤DVDを早く出すべきでしょう。

あとは『ムーンライト』はアカデミー賞を取ってなかったら恐らく公開されてなかったんでしょうが、映像もストーリーも美しい映画。韓国映画の『哭声』は、前に書いたが色々考えた結果、子供だましに遭ったような映画だったという結論。『お嬢さん』を見逃したのはバカでした。旧作だと、ようやく見れた『牯嶺街少年殺人事件』や、ヤン・ニェメツの『夜のダイヤモンド』は、前情報通り、さっさと見ておかないといけない映画だった。こういうのを逃すと海外盤DVDやBRのひどい英語字幕で見るしかなくなるので、見れるときに見に行くべき。
「町にある最後のレンタルビデオ屋が無くなるまで、ああいうネットのストリーミングサービスは使わない」とは、サンフランシスコの友人の談だが、私はそんなことお構いなしに今年はNetflixをよく見た。2,3年前に見逃していた映画が結構入ってたり(あと今はやたらと東映のヤクザ映画が入ってたり、「トラック野郎」も10作全部入ってる)、あとよく言われるように、ここ最近のアメリカのドラマは映画よりも予算があるからなのか、面白いものが多い。「グッド・プレイス」、「23号室の小悪魔」は腹がよじれるくらい面白かったし、まだ全シーズン見終わっていないが、「ボージャック・ホースマン」もそう、時々死にたくなるくらい救いがないが。
海外盤DVDで見たのだと、恐らくフランス社会の「ルール」や階層になじみがなさすぎて(=基本情報の説明が大変すぎて)日本未公開の、イザベル・アジャーニ主演の2008年の仏映画“Skirt Day”は、ライシテを徹底するアジャーニ先生と悪ガキ生徒たちとの文字通りの「戦い」が、その後の「テロ」をも予見していたり(よくわからないジョーク?もいっぱいあったが…)、akの好きな映画だと見せられた“Station Agent”(2003年 米)は、今や「ゲーム・オブ・スローンズ」で人気者のピーター・ディンクレイジが主役のオフビートコメディで、安易なクライマックス等もなくサラっと見れてよかった。あとは前に書いたが、カナザワ映画祭で字幕をやった作品で『ミュータント・フリークス』は最低で最高。『マッド・ボンバー』も、ラストの肉片から「♪あなただけなの」のエンディングテーマへの流れは、やばいものを見てしまった。
あとこれを書いておこうと思って忘れていた。今年見た1963年の川島雄三監督『喜劇 とんかつ一代』で、以下の写真のような自走式レコードプレイヤーが出てきた。あまりにかっこいいのでほしくなったんだが、どこにもこんな再生機の情報はない! 情報求む!

このプリンみたいな機械が、机の上に置いてあるソノシートの上をクルクルと回るのだ。

(2017/1)

【2016年分】

キャロル (2015年 アメリカ/トッド・ヘインズ)
年間そんなに映画を見ない私のような人間は、その中でこういうちゃんとした映画をもっと見た方がいいんだろう。ak曰く、終盤、Sleater Kinneyのキャリー・ブラウンスタインのカットシーンがたくさんあったとか。

クリーピー 偽りの隣人 (2016年/黒沢清)
香川照之も西島秀俊も十分クリーピー。「男」度が強い夫をよそに、ドラッグ漬けになる妻(竹内結子)が妙に説得力があった。

貞子vs伽椰子 (2016年/白石晃士)
とにかくテンポがよくて、ジェットコースターのようにラストへ。おまけに姉御肌の山本美月が好きになりました。

少しの愛だけでも (1975年 ドイツ/ライナー・ベルナー・ファスビンダー)
「見栄」のためにカード破産する若夫婦の話。別の日に見た『マルタ』でも描かれてたけど、男女の無意識的な社会的「役割」がここまではっきりさせられてしまっているのは、この時代のドイツでもそうだったのかと。

この世界の片隅に (2016年/片渕須直)
空襲がクレヨンの絵と重なるシーンでウルっときて、終盤の旗シーンでハっとなって。戦争が終わるまで日帝が実際に何やってるかなんてのは市井レベルではわからなかったんだろうし、終わっても結局誰が何やったか、責任も何もかもアヤフヤのままでよくわからず、それが70年も経てばキレイさっぱり。目取真俊の言葉を借りれば、日本も「戦後ゼロ年」のままだ。

その他:『シン・ゴジラ』は日本政府があまりに有能でゴジラが可哀想で、あと早稲田松竹で見た『ストレイト・アウタ・コンプトン』はすげー興奮したな。ギリシャの「奇妙な波」のヨルゴス・ランティモス『ロブスター』は、レア・セドゥ率いるAセク・ゲリラも矯正施設もどっちも勘弁してほしい。来年はアメリカで撮った“The Killing of a Sacred Deer”というのが公開されるそうで楽しみ(この記事。そういや来年はミヒャエル・ハネケの新作もやるのね。昨今の移民問題を扱ったフランス映画らしいので、『コード・アンノウン』みたいなのか)。あと楽しみにしてた『ハイ・ライズ』は、PortisheadのSOSのところで終わってたらいい映画だった。
DVDやビデオで見たのだと、去年はなぜかケン・ラッセルの映画をよく見て、中でも『恋人たちの曲・悲愴』、『リストマニア』、『マーラー』のクラシック音楽コンポーザー伝記映画はどれもハチャメチャ躁病映画でよかったな。爆音で見てみたい。
あとはカナザワ映画祭でクリスピン・グローヴァーや代表がお勧めしててようやく見た『26世紀青年』(Idiocracy/2006年)は、人間がバカになりすぎてる未来の話だが、『ゼイリブ』もそうだけど、風刺が風刺で済まなくなってる現状なので、笑ってばかりもいられない。

そのカナザワ映画祭のことは、先日クリスピン・グローヴァー氏のことは書いたが、期間中に見た他の映画について少し。『好色日本性豪夜話』という謎映画で流れてた、Roll Outというアシッド・フォーキーなバンドの「幸せって何」という歌だけが今も気になって仕方がない(映画自体は、おとぎ話を無理矢理ポルノ化したようなグダグダ感満載)。ググっても何も情報見つからないのよね、誰か知っていたら教えてください。
あと自分が字幕をやった作品で、『ウォーターパワー』は新しい映画の楽しみ方を知ったし、そして“Brotherhood of Death”が、白人警官による黒人殺しが取り上げられるようになったここ数年の状況とマッチしてて、いい映画に巡り合えたなあと。テーマ曲の“Get Off Your High Horse”というのがえらくかっこよくて、特にエンドロールのバージョンはレコードにもなっていないみたいで、それを代表がアップしてたので貼っておきます(※追記:動画が消えていた)。アメリカはもちろん世界中が自滅してるような感覚あふれる昨今なので、この歌詞は身にしみます。


(2015/12/29)

【2015年分】

コスモス(2015年/アンジェイ・ズラウスキー)
これぞ「映画は打ち上げ花火」(by 鈴木則文)! もう1回見たところで、原作を読んだところで、ズラウスキーの映画を理解したことにはならないのだろうし、何かへんなもん見ちゃったなあ、くらいでいい。

マッドマックス 怒りのデス・ロード(2015年/ジョージ・ミラー)
サントラのエレニ・カラインドルーだけでこみあげるものがあったが、出てくるキャラクターそれぞれのバックグラウンドに思いをはせるなど、ここまでいろいろと想像力をかきたてられる映画も珍しい。

この国の空(2015年/荒井晴彦)
これも想像力の映画。前線だけが戦争ではなくて、こういった生まれてからの人生がつねに戦争とともにあった若い女性の日々が、肉感をともなって(あれをエロスと言ってしまっていいんだと思うが)ていねいに描かれていた。今年は「敗戦」後70年ということで、戦争をめぐるいろいろな映画が公開されたが、塚本晋也の『野火』とともに、この2本がずば抜けていたのでは。

青銅の基督(1955年/渋谷実)
予定調和をぶっこわせ!の渋谷実の映画を7月のシネマヴェーラの特集で何本か見たが、転びバテレンの見事なまでの権力への迎合っぷりから、ラストの恍惚はりつけ大スペクタクルに至るまで、こんな流れもありなのかと目を疑った。『大根と人参』のお笑い笠智衆もよかったよ!

神々のたそがれ(2013年/アレクセイ・ゲルマン)
別稿を参照。

劇場以外からなら、先日飛行機の中で見た『Bajrangi Bhaijaan』というインド映画は、国境をこえて迷子を送り届けるというごくごくシンプルな話の中に、インドとパキスタンの間の不和を民間レベルですこしでもやわらげようという意図があって久々にウルっとしたし、あとチェコのヤン・ニェメツの1966年の映画『A Report on the Party and the Guests』は、辺見庸も先日の横浜の講演会でひとつのキーワードとして挙げていた、「Conformity」をめぐるストーリーで、見ていて当時のチェコスロバキアの全体主義批判がすっぽりとあてはまってしまう今のニッポンの現状について、あらためて異常だと思わざるをえなかった。


(2015/1/4)

【2014年分】

2014年は則文先生も文太兄も死んでしまって、別に彼らが新たな映画を作ることなんて期待はもちろんしてなかったのだけど、何か心にぽっかりと空洞ができたよう。精神的支柱を失ってしまった今、もう映画なんていうのは金輪際追いかけることもなく、トラック野郎だけ見てればいいんだとすら思えてくる。トラック野郎ほどパンクに合う映画はないよほんと…。悲し悲しや…。
以下順不同。旧作まで含めてしまったが、鈴木則文オールナイトと同追悼企画を入れたらベスト5すべてが埋まってしまうので、そこは外した。

郊遊<ピクニック>(2013年/ツァイ・ミンリャン)
台湾の映画ってそんなに知らないけど、これまで見たツァイ・ミンリャンの映画はどれもよかった。この最後の作品のラスト、廃墟のあの絵の前でポケットウイスキーを3本空けるシーンは見事というか、喪失の塊が現前にあった。

スノーピアサー(2013年/ポン・ジュノ)
列車版「ハイ―ライズ」! 階級闘争をああいうかたちでポンといとも簡単に描ける器量のあるポン・ジュノ&韓国映画人は素晴らしい!

リヴァイアサン(2012年/Lucien Castaing-Taylor, Verena Paravel)
Mastodonを聞きながら作業するマサチューセッツはニューベッドフォードのラフな漁師たちと目玉が飛び出す魚たち、それを啄ばむカモメたちすら同列に撮られた妙な映像体験だった。GoProって色々できそうだね。

札幌・横浜・名古屋・雄琴・博多 トルコ渡り鳥(1975年/関本郁夫)
ATG的な地方の感傷を蹴散らす芹明香の放尿! そういや劇場にヒモ役の方がいらっしゃいました。

エレニの帰郷(2008年/テオ・アンゲロプロス)
アンゲロプロスの遺作、開巻一番東映の三角マークとは余計な涙を誘うよう。アンゲロプロスはこの映画の1999年のベルリンのUバーンで、モヒカンのパンクスを老人たちとは逆の方向へ走らせたが、あの意味はこれからもずっと考えるしかないと思う。

『インターステラー』や『ニンフォマニアック』(あの日本特有のまたぐらモザイクは、映画の意図を見事に消し去ってたよ、クソだね!)とかも、見終わった直後は多少高揚したが、改めて思えば数ヵ月後には忘れ去っているような程度のインパクトなのかも知れない。上記映画はその中で、まだそれらよりは多く、いくつかの記憶しているシーンがあるというだけのことかもしれないが。あ、でもインターステラーの5次元のシーンはかなり良かったな…。
その他DVDで見たのだと、『旅立ちの時』という、これまた亡くなってしまったL.M.キットカーソン(私の好きな『パリ・テキサス』と『悪魔のいけにえ2』を書いた人)が出ていた映画はよかった。これ日本の左翼とは対照的だなと。父は家族まで巻き込んで、その息子はそこから「自分」を見つけるたくましさ。日本の「兵士」で翻案して映画化したらどうなるんだろうか。子供はいじめられて自分探しどころじゃないか、父親の人生が認められずにグレるか。
去年のベストを見て思い出したが、一番楽しみにしていた『シュトルム・ウント・ドランクッ』は、ヒジョーに残念ながら久々に見てしまったダメ映画だった。「大正ロマン」と「革命」が見たいならば、牧口雄二ですら(と言ったら大変失礼だが)『玉割り人ゆき』でしっかりと大杉の復讐に燃えるアナキストを描いてるよ! 神代辰巳の『宵待草』も正にそう。よく知った顔がスクリーンに登場するのは新しい体験だったが、あれだけ「人物」が描けていない映画も珍しい。『セブンスコード』はまあまあ面白かったというか、これとか『ビューティフル・ニュー・ベイエリア・プロジェクト』みたいな黒沢清のアクション・センスがもっと見たい!と思う一本だった。


(2014/1/5)

【2013年分】

ペコロスの母に会いに行く(2013年/森崎東)

凶悪(2013年/白石和彌)

コズモポリス(2012年/デヴィッド・クローネンバーグ)

ゼロ・グラビティ(2012年/アルフォンソ・キュアロン)