Daily Ritual/Desperation in a Police State【ハードコア・パンクの歌詞を読む―Debacle Path 別冊1】

Daily Ritual/Desperation in a Police State
(“Daily Ritual”, Sabotage, 4490 Records, 2015年)
黒杉研而


 Daily Ritualはシンガポールで遅くとも2014年から活動している5人編成のバンドで、ドラマーのHoodは来日ツアーの経験もある同郷のD-beat Raw Punk、Lifelockのメンバーでもある。また、ボーカルのIzzadとギターのHafizは女性シンガーを含む比較的新しいバンド、Sialでも弦楽器隊を務めている。
 Daily Ritual のサウンドは、所謂メロディック・ハードコアの範疇だ。と言っても、Epitaph に所属するような「ポップパンク」では断じてない。筆者はメロディックは専門ではないのであまり精細な言及をするには不足を認めざるを得ないが、HDQのような往年のUKメロディック、あるいは初期のBad Religionであるとか、あるいはPost Regiment、El Bandaとの相似が見受けられながら、そのいずれとも完全には似つかぬ、何とも形容し難い独特の哀愁さを備えたサウンドが特徴だ。彼ら自も“Politically Charged Melodic Punk Rock”と自ら名乗っている。
 本レビューで紹介する“Desperation In A Police State”はシンガポールの過剰な監視社会を端的、かつ多角的な視点で皮肉っているのだけど、その背景を調べる過程で私自身、改めてシンガポール及び東南アジアの固有性といえるものを再認識した。
 国家としてのシンガポールは、その成立の歴史は浅いにも関わらず、経済的には近隣諸国の中で大きなアドバンテージを得ている。近年は暖簾分けの元であり、隣国でもあるマレーシアも著しく経済を成長させているようだが、かつては中国に次ぐGDPを誇っていた。それ故か、主にテクノロジーの積極的導入という意味で近隣諸国を先駆ける監視体制が確立され、それは「日本に匹敵するか、あるいは凌ぐ治安の良さ」として、日本の政治的保守層にも評価されているようだ。
 アパートやマンションの一階に交番や派出所が設けられ、その数は人口比でいうと日本の3倍。街中の至る所にAIを搭載した監視カメラが搭載され、顔認識機能で「犯罪者」を容易に特定する。また司法制度としても日本や北米とは違い、厳罰をもって治安維持を保つというのが根本的な考え方のようで、まず起訴猶予という制度がない。ごく軽微の犯罪は別として、まずパクられたら起訴されるのが確実。殺人や麻薬の使用は原則死刑、ネットワークを駆使した密告システムも確立…と、挙げればキリがない。そうした諸々は、必然的に民衆同士の相互監視を生む。デモの権利が認められていない国、シンガポールの実態がこれだ。
 しかし勿論私がこうしてそれらを例示してみせたのは、「日本はそれに比べて民主的で素晴らしい」などと言いたいからではない。あらゆる国家の成立(「民主主義」でさえ!) が家父長制に基づいている以上、日本や韓国のような東アジアの国家と、あるいはアメリカのような「リベラル」な国、そして東南アジア諸国を本質的に分けるものはない。文化的な差異による政治体制の違いは確かに存在するが、結局どの種の国家も治安維持の名目のもとに監視体制を強化していく。それは資本主義的な「成長」に伴って、あるいは政治的なエントロピーの増大に伴って。それは冒頭と幕引きの「“欲しいものは何でも手に入れれるが、自由はこちらに置いていってくれたまえ” / “自由に何でも言って構わないが、私の父は君のその無価値な意見を厭うだろう”」という2つの節に象徴的に示されているように私は思う。「警察国家の中での自暴自棄」と訳せるこの曲の詞は、単に独裁等を倫理的に批判するようなものではなくて、そうした横断的、交差的な俯瞰の下に書かれたものだという事が窺えよう。

「ハードコア・パンクの歌詞を読む ―Debacle Path 別冊1」より

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