Grief/Polluted【ハードコア・パンクの歌詞を読む―Debacle Path 別冊1】

Grief/Polluted
(“Torso”, Pessimiser Records, 1998年)
鈴木智士


 「スラッジ」というサブジャンルは、単に文字通り引きずるような遅いビートのみを指すのではないということは、Griefが絶えずテーマにしていた「人間嫌い」の憂鬱さを考えれば自ずと理解できるだろう。聞いていて気力が徐々に削られていくかのようなあのどんよりとした独特の感触は、ロックンロールやパンクの持つある種のポジティブさ、ハッピーさとは対極にあるものだ。パンクの持つ別の側面である「反社会性」を突き詰めれば、その軽快なビートが怒りやフラストレーションによって速く、過激になるのか(グラインドコアはその点において「怒り」が沸点に達したような音楽だ)、諦めや救いのなさによって遅くなるのか、その向かう先が異なるだけであり、そのどちらの表現にも「気軽さ」などはない(ただしグラインドコアは表現をむやみに尖らせ続けた結果なのか、ファニーさやポルノ的要素が入ってしまったものもあるが…)。
 ここで取り上げるこのボストンのバンドの3rdアルバムの2曲目は、曲調やコード進行は同バンドにしてはキャッチーなのかもしれないが、日常的な犯罪や神・教会によって、魂が、精神が、存在が堕落して腐り、終わってしまった地球なんかにいたくない、宇宙のどこかの星の方がよほどマシだ、そこに連れてってくれ、と明快に救いのない言葉が並んだ末に、最後に突然それをシステムと政府のせいにしているのがいい。「人間としてこの世に生まれてきたことには、一切の救いはありません」という車谷長吉の無常というか、やけくそな言葉をここで思い出す人はいないかもしれないが、何の希望も見えない地球に仕方なく生きている上に、さらに社会やシステムから一方的に責任を押しつけられる筋合いもない。せめてそう思わないで暮らせるような場所を、システムを、状況を夢想するくらいいいじゃないか。そうでもしないとやっていけない。そんな嘆きのようにも聞こえる。
 バンドの首謀者のTerry Savastano は以前、「Grief はアートとしての音楽だから、(彼や他のメンバーがその前にやっていた)Disrupt のようにポリティカルなイメージは表に出したくなかった」というようなことも言っていたが、Grief が一貫して歌ってきた「人間への疑義」も十分に政治的だと言える。目下の新型コロナウイルス禍でも改めて知らされることとなったが、人間こそが地球を牛耳っているという人間中心主義を根本から見直さない限り、Griefの歌った内容はいつまでたっても現実であり続けるだろう。もっともそれは、あまたのパンクバンド、特に動物解放や地球解放を歌ってきたクラスト・パンクのバンドの歌詞でより明確に表現されてきたものでもあるが。
 現在はTerry Savastanoを中心に、Grief の1stアルバムのタイトルでもあった“Come To Grief”に名前を変えて活動している。この復活したバンドのテーマは、よりシンプルなスラッジコアだった初期のGriefに回帰したものらしいが、曲名を見る限り歌っている内容はGrief 時代と何ら変わりなさそうだ。

「ハードコア・パンクの歌詞を読む ―Debacle Path 別冊1」より

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