Protestera/Krossa Honom【ハードコア・パンクの歌詞を読む―Debacle Path 別冊1】

Protestera/Krossa Honom
(“01.05.1886”, Halvfabrikat Records, 2010年)
渡邉(MATERIALO DISKO)

あなたは女性の仲間を介護者やメイド、性対象として搾取するのか?
あなたは女性の仲間を脅迫や暴力、社会的コントロールをもって扱うのか?
あなたがジェンダーやセクシャリティで人びとを分けているのであれば、女性の仲間から憎まれて当然だ
“Destroy Sexism”と書かれたパッチを付けようが、それであなたが反性差別主義者として認められるということではない
胸糞悪いポルノショップにレンガをぶん投げようが、それであなたの男性としてのジェンダーロールを破壊出来やしない
日々の生活の中での行動を変えること、それがジェンダーの社会的構造に反旗を翻すことだ
彼を壊せ。私の内に潜み、私を男に変える彼を
彼を壊せ。私の個性を奪い、私を男に変える彼を
闘争的な行動と日々の生活の中で、女性の仲間をサポートしろ
女性と男性は生まれながらにして平等
私達がお互いを平等に扱うことができれば、本当の反乱が可能となるだろう
誰もが自由になるまでは、誰一人として自由ではない
“Krossa Honom”

 スウェーデンはヨーテボリのアナーコパンク、Protestera。1999年の結成から今なお活動を続ける彼/彼女達の歌う真っ直ぐな言葉には、私自身いつも揺さぶられ、心躍らされている。中でも2010年にリリースされた3rdアルバムに収録された“Krossa Honom”で歌われる、「彼を壊せ」という言葉。この言葉は、私がそれまで生活の中で抱えていたモヤモヤとしたものの輪郭をハッキリとさせるきっかけとなった。
 言うまでも無く、私達が生きているのは男性が中心で優位な社会。そこに男性として生まれ、育つ中で自身に内在化されてきた「男らしさ」や「男としての役割」、様々な場面で享受してきた特権。それらを振り返り、俯瞰してみる。日々の生活での自身の行動はどうなのか。旧来の慣習は生活に染み付き、気付かないまま自身の行動規範となってはいないだろうか。気付いていても克服する事が難しいのだろうか。
 例えば私達が身を寄せるハードコアパンクの中、少なくとも実際に私が関わりのある範囲では、未だそれらが幅を利かせていると感じる機会は決して少なくはない。ステージの女性に酷い悪態をつく男性もいれば、フロアで痴漢にあった女性もいる。誰かに対する批判の中に「女々しい」という言い回しも聞けば、私のディストロのあるレコードを見て「女のバンドは…」という文句を聞いた事もあった。言えばまだまだ出てくるが、やはり男性的な価値観で充満していて、それらの大半があたかも当然の事であるかの様にただ通過していく。誰しも似たような経験があるのではないだろうか。せめてハードコア・パンクはアジール的なものであって欲しいし、社会の不公平をその内部で平然と再生産してしまっていてはならない。
 「彼を壊せ」。自身に内在化されたジェンダーロールを顧み、距離をとってみる。それによって身の回りのホモソーシャルな関係内で疎外感や劣等感を感じるならばそれに向き合う。しかしジェンダーを利用した社会構造が私達一人一人の行動で維持され続けているのであれば、そのように「男を辞める・緩める事」が現状打破への最初の一歩となり得るとしても、それが個人的な逃避行として終わってしまえば、自身の精神的な安寧が得られても、それ以上の何かが解決するはずもない。自らも永続化への加担者であるという事を自覚し、社会と自身に深く根をはった差別を無くす・克服する為に繰り返し考えて行かねばならない。私もあなたも。「誰もが自由になるまでは、誰一人として自由ではない」

「ハードコア・パンクの歌詞を読む ―Debacle Path 別冊1」より

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