トレード負け

パンク文化には「トレード」という、黄白を介さない物々交換の文化があることはよく知られた話である。それは単に自分のバンドの音源の交換にとどまらず、個人同士で所有しているレコードなどの音源を(だいたい同じ価値のものと)交換し合ったり、特に海外の相手とは、その相手のほしいもの(多くは日本のもの)を買って送り、それと同等の何かを代わりに送ってもらう、という取引である。このトレードはディストロでも頻繁に行われ、私もその昔は特に東南アジアの人たちとよくトレードをしていた。
トレードするものがなければ、今はPayPalで、かつては紙に包んだUSドル紙幣で、お金を送ったりもらったりすることもあるが、だいたいは「これとこれを送るから、あれとあれをちょうだい」といった調子でトレードを成立させるのが筋である。送料はお互いが持つので、こちらはLP1枚、あちらはEP2枚の送付だと、こちらの送料の負担が大きくなることもあるが、そこは善意の物々交換、そんな小さなことは気にしない。元々は世間にあまねく流通した資本主義的な金銭決済主義とは別の、よりプリミティブな取引である無政府共産的な物々交換がその元であったのだと思うが、まあそんなお硬いことよりも、ただ友達とプレゼント交換する楽しさが先立つ。ただもちろん高価なレア盤のトレードは神経戦的な要素もあり、少しの差も許容できない、お気楽なものではないのかもしれないが。

また売られているレコードやCDだけではなく、ミックステープを作り合って交換する、ということもたまにあった。これはとても楽しい。もらったものを聴くのももちろん楽しいが、ミックステープを作るのが何より楽しい作業であることは今も昔も変わらない。相手をビックリさせてやろうと、妙竹林な曲を入れたり、世に知られていないオブスキュアなバンドを入れたり、やりたい放題できるのが楽しい。現在のサブスクの世になって、その享楽はプレイリスト作りに移行したのだろうか。それだと入れられる曲がサブスク内に存在するものに限られるので、パンクのオブスキュリティに取り憑かれた身としてはどこか物足りなさを感じるが、それでも好きな曲を入れ込んでいく作業には心ときめくものがある。かつてはオーディオ機器のカセットの録音ボタンと停止ボタンを何度も押し押し、そういったオリジナルのテープを作っては、海外の文通相手、トレード相手に送りつけていたものだ。その相手は別に海外に限らず、例えば私の元バンドメンバーで、ノートリアスなレーベルをやっている某氏にミックステープをもらったこともあった。そこでBeheritのピクチャー7インチを初めて聴いたり、フィリピンのKratornasというブラックメタルのバンドの存在を知ったりした。Youtubeが隆盛する前の話だ。また別の某先輩には、車で一緒に遠出するときのBGMにと、80年代の日本のハードコアのレアな音源をたくさん入れてもらった3本組のテープをもらったこともあった。その後はテープではなくミックスCD-Rを作ってトレードした友人もいた。

ただごく稀に、トレードは失敗する。こちらは物を送ったにもかかわらず、いつまで経っても約束した物が送られてこないというケースだ。お互いの善意の上に成り立つトレード、催促するのもどこか気が引ける。まあいつか送ってくるだろう。そう思って数ヶ月、数年……。結局送られてこない。そのうちに催促するのも気が引けてきて、やがて音信不通となる。別件で連絡したいのに、そのしこりが残ったせいで連絡すら取れなくなる。これに対しては多くの場合は「リップオフ」という、騙し取られたという意味の非常にネガティブな言い回しを使っていたが、また別の言い方をすれば、「トレード負け」という表現も当てはまるであろう。送った物、送料と丸々損してしまったのだから。私にはこの経験が数度ある。一度はオーストラリアの相手だったと思うが、MySpace(懐かしい)で知り合って、Slaughter Lordの編集盤やら何やらを送ってもらう約束で、こちらは当時の自分のバンドのレコードなどを、やや先走って送ったのだが、先方からはなかなか送られて来ず、催促もしたが「もうすぐ送るからちょっと待って」という返信があったのみで、結局何も届かないまま数年経ち、その間にMySpaceはソーシャルネットワーク機能を捨てて音楽サイトへと変貌し、Tomは行方不明になり、結句その相手とは連絡が取れなくなってしまった。もうその名前も思い出せない、2000年代中ごろの話だ。

ただ悲しいことに、最近になってまた、この「トレード負け」を経験してしまった。それはパンクのレコードではなく、映画ソフトのトレードだったのだが、数年前、以前からの知り合いの某ミュージシャンに渋谷のシネマヴェーラで偶然会い、そのあと近くの喫茶店でお茶をしている間に、その相手が長く観たがっている映画のDVDのコピーを私が持っている(昔CSで録画したもの)ことがわかり、じゃあそれを送るから代わりに何か送って下さい、という話になり、久々のトレードで気持ちが昂った私はすぐにそのコピーをいくつかのおまけとともに送ったのだが、受け取りました、のメールが来たものの、その相手との連絡はそれっきり。催促するのもあれなのでそのまま待ちぼうけ。そうして4年ほど経った。この間に私は身を崩し東京を離れた。
先日偶然filmarksというサイトでそのトレード相手のアカウントを見つけ(名前が偽名ではなかったのですぐにわかった)、そこに私が送った件のレア映画のレビューが書かれているのを発見したときには、心に靄がかかったような、なんとも残念な気持ちになったが、まあ次に会う機会があればそのときやんわりと催促することにしよう。

私はなんだかこのトレード負けの話がもっと聞きたいのである。そのリップオフされた相手を腐す意図はさらさらない。その相手にも何か事情があるのかもしれないし、単に面倒になっただけなのかもしれない。心のどこかに幾許の申し訳なさを抱えて今日も日常を過ごしているのかもしれない。リップオフの多くは、ハナから騙してやろう、なんていう純粋な悪意で起きるものではない。ただ悲しい経験として、それを誰かと共有して、どうして送られてこないのか、その理由をあれこれと考えてみたいのだ。

(2025.2.15)