ニューヨーク2018〈前編〉

(2018年6月14日 旧ブログより)

2018年4月末に出たEL ZINE vol.30に掲載してもらった、ニューヨーク紀行文の前編をこちらにも載せておきます(少しだけ加筆修正済み)。
後編は、ほぼジェントリフィケーションのことしか書いてませんが、今月末発売のEL ZINE vol.31に掲載されるので、合わせてどうぞ。

ニューヨーク2018 〈前編〉

去る3月にアメリカに行き、5日間ほどだがニューヨークを見て回ってきた。今回はその紀行文の前編です。
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予定されていた仕事が延期になって、ぽっかりと時間が空いてしまった。私の相方・通称ak(米国籍)は、所用で現在ニューヨークに滞在中。なので今行けば宿代はかからない。ニューヨークにはしばらく行っていない。はるか昔のことに感じるが、2004年のブッシュJr.共和党大会に反対する大規模デモに、当時滞在していたフィラデルフィアのパンクス、NEMAやJIHADの元メンバーなんかと一緒に3日間だけ行ったのが最初で最後だ。マンハッタン中がデモ隊とそれに対する警備で覆われ、「通常」のニューヨークを楽しむ暇なんかなかった。つまり私は、ニューヨーク経験がほぼゼロだ。
航空券はそこまで高くなかった(北京乗り換えのAir China便で、帰りは北京で14時間待ちの、暇人向けで過酷なヤツだが)ので、とりあえず行くことにした。

旅は事前の情報収集があった方が充実するが、今回はそんな時間もない。以前NYCパンク特集もやっていた本誌編集の山路氏と、去年ブルックリンでライブをやったG.A.T.E.S二ツ木氏にレコード屋やライブ関係の情報だけ聞きながら、14年振りにマンハッタンへ。JFK空港から当座の滞在先のグリニッチヴィレッジまで私を運んだAトレインは、何か拍子抜けするほどクリーンだ。ニューヨークの地下鉄はもっと汚くて暗然としていた印象があったが(前回訪れた2004年は、既にルドルフ・ジュリアーニによるニューヨーク市「浄化」後なので、地下鉄はその昔みたいな「危険」な乗り物ではなかったが、それでもそこら中の車両にグラフィティはあった気がする)、東京やロンドン、ベルリンなんかの大都市の地下鉄と何ら変わりがない。パリの小便臭い地下鉄の方が暗く、雰囲気が悪いくらいだ。

さて、勢いで来たニューヨーク。第一の目的は古本屋巡りで、今ニューヨークにはいい古本屋がたくさんあり、そちらは目的をほぼ達成(ニューヨークの古本屋についてはこちらをどうぞ)。あと見たい絵が1つだけあったメトロポリタン美術館にも行った(しっかり25ドル取られたが)。が、あまりこの記事には関係ないのでここでは省略。まずはパンクのレコード屋についてだ。
マンハッタンでの滞在先だったグリニッチヴィレッジに、Generation Recordsという店がある。ここはいわゆるNYHCやメタルが割と多めで、地下にはアメリカのそこらの郊外にあるスリフトストアに置いてそうな、ジャケットが擦れきった古いレコードも大量に置いてあった。が、高い。レコード価格沸騰はここ数年で最早当たり前の事実になったようだが、それでもたとえばリイシュー盤の新品に30ドル出せるほど私の懐事情は芳しくないし、当然のことかもしれないが、価格高騰とレコード欲は見事に反比例した。地下のレコードはサントラやパンクの7インチだけ見たが、興味をそそる物なし。AGNOSTIC FRONTの新しい7インチが19ドルで売っていたのにはぶったまげた。冗談かよ。一体どんな金持ちがこんなレコードを買うんだ。あと昔ベルリンのレコード屋で見かけた日本のバンドのブートや、新発売っぽいブートが売っていたことも記しておこう。ネットがどれだけ普及しようが、ブートの歴史に終わりはなさそうだ。
この店にも、最近のレコードブームの一翼であるらしい昔のB級(だけじゃないが)映画のサントラLPのリイシューが新品で売られていた。たとえばPORTISHEADのジェフ・バーロウなんかは、自身のレーベルInvada Recordsがもはやサントラ・レーベルと化している気もするが(『フリー・ファイア』や『エクス・マキナ』のような、コンポーザーのベン・ソールズベリーと一緒に手がけたトラックはかっこいいけど)、そういったサントラLPもどれも30ドル越えだ。

18th通り沿いにあるAcademy Recordsというお店は、オールジャンルのレコード+結構な数のDVDやブルーレイがあったが、目ぼしいものはなし。別の日にマンハッタンのBook Off(45th通り沿い) にも行ったが、こちらも大量の薄汚れたDVDや、あとは日本のアニメ関連のものやら、ギターやパソコン関連機器などHard Offで売ってそうなものが置いてあったが、「一体誰がこんなものを持ち込んだんだ」というような和書が結構あったパリのBook Offと比べるとつまらない。もっともどちらも店員に日本語を話す日本人らしい人がいたが、あの人達はいくらもらって働いているのだろうかと疑問は残る。

さて、Lトレインに乗ってマンハッタンを離れ、ブルックリンへ向かおう。Morgan Ave.駅で降りると、そこはまるでカリフォルニアのオークランドのようなだだっ広い倉庫地帯だ。ただここもジェントリフィケーションが進むブッシュウィックという地域。そこらじゅうで工事は進み、妙なデザインのマンションがいくつも建設中。でもここはまだ腐ってもブルックリン、マンハッタンみたいな見せかけの清潔さはなく、道はガタガタで土埃やビニール袋が宙空を舞う。そんな中Flushing Ave.を東へ歩くと、Material Worldというレコード屋が見つかる。ここはHeaven Streetという名前で、EL ZINE vol.17のNYC RAW PUNK特集に載っていたレコード屋だ。この店にKatorga Worksというレーベルをやってて、去年G.A.T.E.Sをニューヨークへ呼んだアダムという人がいる、というのを先の両氏から聞いていたので行ってみたのだ。が、彼はLAにいるらしく会えなかった。残念。お店はハードコア・パンクやアンダーグラウンドメタルを基調にしつつ、ニューウェーブ/デスロック、普通のロックやヒップホップ、テクノなんかも置いてあるあたり、昨今のレコード屋事情を反映しているんだろう。こっちの人はいろんなジャンルを横断して聞く人が多いし、かつヒップなエリアだから客はパンクスだけじゃないわけだ。その珍妙さは、DISCHAGEのでかいフラッグが奥に貼ってある店内には(おそらく検盤中なのだろうが)ニック・ドレイクの“Time of No Reply”がかかり、旅先でのニックの柔らかい歌声に癒やされながら私が購ったのは、イザベル・アジャーニ主演、ジェームズ・アイヴォリー監督の1981年の英仏映画『カルテット』のサントラLPと、APOCALYPSE/MINDROTのSplit7インチ(どちらも5ドル)という事実が示していよう。こんな無秩序なレコード屋だが、もっと買いたいものがあったのに、店員からは「ネットの調子が悪くてカード決済できないから、支払いは現金でヨロシク」と言われ、現金の手持ちがない私は困り、それ以上の買い物を中止。まあトイレ貸してくれたからいいか(ニューヨークは公衆トイレやコンビニのトイレがないので、用を足すのも一苦労。どうしても困ったらスタバへGo!だ)。

あとブッシュウィックの、パンクスが運営する小さなお店が並ぶという“Punk Alley”にも寄ってみたが、“Better Read Than Dead”という素敵な名前の古本屋しかやっていなかった。他の小さなお店はたたんでしまったのか、週末しかやっていないのか。ちなみにこの古本屋はジンやMaximum Rocknrollも置いていたので、パンク人脈の古本屋なのだろう。細長い建物のいいお店。

ブルックリンのジェントリフィケーション進行中地域ウィリアムズバーグには、他にもRough Tradeや、老舗のEarwax Recordなんかもあるが、今回はパス。
さて、せっかく旅に出たんだから、ライブのひとつでも見てみたい。その「土地」を知るにはライブを見るのが手っ取り早い。正直言うと最近のニューヨークのバンドは個人的にまったく興味がわかないが、それでもまあライブは見ておきたい。というわけでネットで検索したりレコード屋のフライヤーを見たりしたが、何が起きてるのかいまいちよくわからない。そうこうしてると、Facebookのフィードにこんな(ひどい)フライヤーが出てきた。

会場のホームページを見てみると、同日同時刻開始で、こんなライブも載っている。

2つのライブを同時開催? そのFacebookのフライヤーを上げていた友人、コロンビア出身のパンクスで、2012年に韓国で知り合って以来、たまに連絡を取っていたディエゴという奴だが(一時期日本も長く旅行していたので、遊んだことがある人もいるかもしれない)、彼に連絡してみたところ、SPIC(Salir De La Pobreza Induce al Caos)というのが彼が今ニューヨークでやっているバンドらしい。これはちょうどいい。滞在していたブルックリンのとても住みやすそうなエリア、プロスペクトハイツ(ラッキーなことに、滞在の途中でマンハッタンからブルックリンへ滞在先が変わったのだ)から、もうあまりパンクのライブに興味がないakと一緒に少し歩いてGトレインに乗り、Greenpoint Ave.駅まで行く。駅出口からすぐのところにあるBrooklyn Bazaarという会場は、ファンシーなレストラン&バーで、そこにライブができるスペースが3つくらいあるらしい。先のSEX PRISONERのような流行パワーバイオレンス系は、今夜は2階のライブスペースでやり(3月のスケジュールを見たら、DAG NASTY、MORTUARY DRAPEなんかもやるらしい)、聞いたこともないようなDIYパンクバンドは、暗く湿った掃き溜めのような地下でやるわけだ。
ディエゴの「俺たち1番目で20:30からスタートだから」という言に従い、20時過ぎに到着。フライヤーには”All Ages”と書いてあったが、建物に入ると屈強そうなセキュリティがもれなくIDチェック。地下のスペースに行くと、まだほとんど人がいない。このライブの企画者らしいダンというナイスガイがakの友人らしく、しばし話したり、彼がドリンクチケットをくれたのでビールを飲んだりして時間を潰す。ディエゴがようやく現れ、久々に色々と身の上話だが、こいつの英語はすげー速くて聞き取りにくいんだった…。国に帰ったりアメリカに戻って職を得たりと、その後の人生は色々あったらしいが、元気そうで何より。SPICのドラムが来ないのでライブはなかなか始まらず、ようやくスタートしたのが22時半。2時間押しだ。昔アメリカでライブしたときも、時間にルーズなショーはあったが、アメリカで2時間押しは初めてだな。メキシコのティファナでライブしたときに4時間押しというのがあったり、ギリシャではライブが深夜0時に始まったりしたが、まあその土地それぞれの時間感覚というものがあるのでしょう。
SPIC

SPICはメンバー全員中南米系の、ちょっとフリーキーなラティーノパンク。ドラムがパワフルでかっこいい。次は地元のRUBBERというバンド。ギターとボーカルが女性で、EL ZINE vol.29に興味深いインタビューが載っていたHARAMのボーカルがベースを弾いていた。ボーカルはグラム/ゴスがかったようなファッションにリバーブ全開の、いかにも今のニューヨーク風なロウパンク。このバンドは人気らしく、今晩一番の人だかり。
RUBBER

次のバンドが、ギリシャはアテネからのツアーバンドのYOUTH CRUSHERで、その名の通りスポーティーなオールドスクール・ハードコア。「俺たちのことなんて誰も知らないけど、こういうバンドもいるんだよ」と、RUBBERが終わって一気に少なくなった客に対して寂しげに語り悲哀を誘う。ラストはΜάτιというギリシャ語のバンド名だが、どうやら在米のグリーク・アメリカンによるバンドらしい。THE ACCUSEDみたいなギターが刻みまくってるスラッシュバンド。
各バンドの音楽より気になったのは、バンド、客を含めたそこにいた人たちの「見た目」だ。RUBBERやその周りは個性的な、いわゆるパンク・アウトしたようなファッションだが、最近のベイエリアのような真っ黒鋲ジャン一辺倒ではなくて、カラフルでもっと各人自由な感じ。小金持ちの親の援助を受け(要は仕送りもらって)ニューヨークやサンフランシスコで活動する若いパンクスもいると聞くし、そういった服もそれなりに金もかかってるのかもしれない。そのまま『マッド・マックス』に出てきそうなプロテクターを装着してたかっこいいバイカー・パンクスもいたな。SPICのメンバーはボロボロな服着てたし、ギリシャのバンドはジーンズに土色ジャケットの労働者的風貌。お客も上記RUBBER系からDC真面目ハードコア系(つまり普通の格好)、カレッジロック風、おしゃれな女性たち(そういえばお客の3割くらいは女性だった)と、それぞれの生活が透けて見えるようなファッションがその地下室に同居していた。そんなところからもニューヨーク・パンク内の階級性が見えるのかもしれない。
ライブが終わったのが0時半。外に出るとあまりに寒い。強い風が顔を切るような冷たさで、駅から歩いて帰れる気温じゃない。一応24時間走っている地下鉄は諦め、タクシーで帰る。労組もなく、ドライバーの実質的最賃も下手すりゃ時給3ドルというUberはやめておこう。
「ニューヨークのハードコア・パンク」と言えば、「名所」が色々あるが、マンハッタン滞在中のある晴れた日に、散歩がてらイースト・ビレッジに向かった。1988年の8月6日~7日に暴動があったトンプキンス・スクエア・パークを見ておくためだ。この暴動は、その公園に住んでいたホームレスやスクワッターたちが、地域の治安悪化やジェントリフィケーションを理由に警察に排除され起きた暴動で、Youtubeには、その暴動の1週間後にNAUSEAやBREAKDOWNなど、当時のニューヨークのバンドが同公園でライブを行った動画が上がっている。その後も毎年のように、この暴動を忘れないようにと、ライブが行われているみたいだ。暴動記念で毎年ライブなんて素敵じゃないか。
当時の公園の様子は文献でも当たらない限り、ネット上の情報以外に知る由もないが、今の公園はきれいなもので、北の一角にはドッグランのようなものすらあって地元民の憩いの場のようだった。ホームレスの人なんかひとりもいない。まあ似たようなことは日本でも起きていて、たとえば愛知万博開催のために、2005年の1月24日に、名古屋の白川公園の野宿者が行政代執行で排除された現場や、最近だと2020年のオリンピックのために行政が野宿者を明治公園などから追い出す光景と地続きなわけだ。

トンプキンス・スクエア・パークから東へ1ブロック行くと、元C-Squatの建物がある。現在は“Museum of Reclaimed Urban Space(MoRUS)”という、上記暴動やニューヨークのスクワット文化の資料館みたいな施設になっているらしい。せっかくなのでお金を払ってでも入ってみようと思い、11時オープンということで11時半くらいに行ったんだが、開いておらず。
そこから南へ歩くとロウアーイーストサイドに入り、ジン図書館やギャラリー、Food not Bombsなどのコレクティブの中心地で、ハードコア・パンクや地下メタルのライブが数多く行われてきた著名な施設・ABC No Rioがあるのだが、行ってみたら、何と建物がない! ホームページを見ると、老朽化によりビルを建て替え中、再びソーシャルセンターのような機能を持たせる施設にするということで、カンパも受け付けているみたい。しかし相当金がかかりそう。
あと最後にこれを載せておこう。現在のCBGB跡だ。

2008年より、ジョン・ヴァルヴェイトスというデザイナーのファンシーな服を売るブティックがテナントとして入っている。壁には当時のフライヤーやレコードなどが申し訳程度に残されているらしいが、店に入る気も起こらない。
このように、ニューヨーク・ハードコア・パンクの「過去」は表面的には消えつつあるのかもしれないが、その街のごとく入れ替わり激しくパンクスがうごめき、様々な活動が行われる中で、バンドや人、組織のあり方も変わっていくのだろう。その変化のスピードがおそらくニューヨークはとても早い。
超駆け足で書いた今回の雑文だが、次号後編では、今回何度も出てきた「ジェントリフィケーション」という言葉を噛み砕きながら、1967年にある米保守学者が言った、「世界で一番長い旅路は、ブルックリンからマンハッタンへの旅路である」という言葉の現在を考えたい。(つづく)
後編はこちら