Rigorous Institution/World of Illusion【続ハードコア・パンクの歌詞を読む―Debacle Path Online】

Rigorous Institution/World of Illusion
(“The Coming of the Terror” EP, Whisper in Darkness, 2019年)
黒杉研而

 ポートランドでは今も素晴らしいパンク/ハードコアのバンドが数多く活動しているし、近年はDecompやGenogeistといったクラスト色の強いバンドも盛り返してきているようだ。そしてその中でも一際異彩を放っているのが、Pig DNAやDeskonocidosなどのメンバーによって結成されたRigorous Institutionだ。DecompやGenogeistが、同郷の雄Hellshockを彷彿させる、比較的ギミックの少ない突進型ステンチコアであるのに対して、こちらはHellhammerやCeltic Frost、Venom等のProto-Black metal、そしてそれらに触発されたAmebixの強い影響を匂わせる。しゃがれたボーカルは露骨にBaronのそれを踏襲したかのようだ。タム回しを活かした重厚なグルーヴを適宜織り込みながらも、多くの曲が冗長にならず2分前後で終わるという潔さもいい。ほぼ全ての曲に入るシンセのPadサウンドが幻想的な雰囲気を彩っているが、それは単なる装飾ではなく、このバンドのサウンドやキャラクターにとって、比較的高い位置を占めているようにも思える。それはかれらを賞賛する人々が「クトゥルフ」や「ダンジョン・シンセ」等の文脈に擬えてかれらの音楽やアートワークを語る様からも伺えよう。
https://www.noecho.net/song-of-the-day/rigorous-institution-band

  シンセ奏者のMattyはDecompのボーカルCodyのパートナーでもあるようだが、Hawkwindの80年代の名盤“The Chronicle of the Black Sword”のとある曲名をアカウント名に拵えた彼女のインスタ・アカウントは、コミックや小説を始めとした、SFやファンタジー、ホラー等のスペキュレイティブ・フィクションネタの宝庫だ。DIY家具職人としても活躍しているらしい彼女の存在は、きっとこのバンドのカラーに多大なる貢献を果たしているに違いない。

所与の舞台で役柄を演じるだけのお前
燃え盛る回廊に囚われた自我
悲劇を眺め、喜劇を眺め、そして頁をめくる ― 幻想の世界で、ただ与えられた情景を消費する

空疎な青写真との観念的同盟
意味のないパントマイム
魔術師の被造物、光のトリック ― 幻想の世界で、鏡の広間に誂えられた完璧な牢獄

お前は監視されていると感じ、裁かれていると感じる
あたかも巨万の民の所有であるかのように 重く、長大な鎖に自らを括り付けた
巨万の精神に拘束されたのだ

愚か者よ、目を覚ませ! 手遅れになる前に
薬漬けのまどろみから立ち上がり、幻想の世界を打ち破れ

 Black Waterと肩を並べるWhisper in Darknessのレーベル名がラヴクラフトの著作からの拝借であるように、北米のクラストも前述のスペキュレイティブ・フィクションからのインスピレーションを比較的積極的に用いる印象だ。それ自体は何もクラストに限った話ではなく、パンク、あるいはロック以降のポピュラー音楽全般を俯瞰すれば、とりわけ珍しい事ではない。ただ、パンクバンドやメタル界隈でのフィクションの引用が、メインストリームな界隈でのフィクションのオマージュetcと質を異にする点を敢えて挙げるとすれば、それは文学的修辞・装飾や表現としての審美性の域を超えたものであるという事ではないだろうか。
 それは屡々、私たちが単に逃避的に幻想の世界に耽る事を良しとせず、むしろフィクションからのインスピレーションを通じてこの現実社会を見渡す事を私たちに迫るものであり、また現世はフィクション以上に奇異で不条理な、荒廃した世界であるという事を私たちに突き付けるものでもある。「悲劇を眺め~」の一節に、スマートフォンという便利なポータブル・デバイスに生そのものを規定されてしまっている私たちの姿を重ねたり、SNSでの止む事なく矢継ぎ早に訪れる不毛な「炎上」文化、それに付随しがちな、無益なヘゲモニー合戦へのある種の軽蔑のような感情を読み取るのは、決して的外れではないだろう。それらは消費的で従属的な人間の生き方であるという評価を下してしまう事も、いわゆるパンク・レトリック的には可能だからだ。

 「薬漬けのまどろみ」が北米での深刻なドラッグ問題を揶揄しているのかは定かではないが、それは自身らが属するコミュニティで生起しがちな“歪み”をも内在的に批判しているようにも受け取れる。パンクやメタルはサブカルチャーに熱狂するドロップアウトしたユースを鼓舞し、エンパワメントする文化には違いないが、常に完璧なものではなかった。一般的な社会通念や規範意識を遠ざけるコミュニティが私たちに与える逸脱的な経験のいくつかは、時に個人の目を社会的な事実から背けさせ、ある種の迷妄へと走らせるものとしても作用する。どんな文化も、それ自体として独立に存在しているという事はなく、周縁的なものとの相互的な干渉や対立、あるいはある種の「妥協」をその内に孕みつつ存在している。其処には、依然として私たちを眩惑の世界へと誘う道が無数に待ち受けているのであり、個人がひとたび選択を誤れば、立ち向かうべき対象をいつしか見誤ってしまうという事も起こり得る。
 終末の世に産み落とされた、パンクとメタルの鬼子とでも言うべきこのバンドの鵺的な性質そのものが、肯定も否定も無い混ぜの、矛盾をその内に含むサブカルチャーの弁証法的な発展の過渡を体現しているかのようで、筆者もその出現を嬉しく思ったものだ。
 コロナ禍の最中でバンドは一時解散、あるいは停止状態にあったようだが、この記事を書いたおよそ2年後の今日、バンドは記念すべき最初のフルレングスを引っさげて再登場する事となった。直近の世界を暗く覆う「幻想的な」茶番劇に終止符が打たれつつあるとは到底言えず、ロシア・ウクライナを始めとした大きな動乱に揺れる国際情勢ではあるが、黙示録的な情勢だからこそ、その活躍が楽しみなバンドの一つだ。

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