Alement/Onward
(“Onward” EP, Desolate Records, 2019年)
黒杉研而
筆者の幾人かのアメリカの友人諸氏をして「最高のUS現行クラスト」と言わしめた、ペンシルバニア州フィラデルフィアで遅くとも2014年から活動しているAlement。これまでに2本のテープと2つの7”EPをリリース、そして2019年にはこの『Onward』12”EPをリリースした。それまでのどちらかというと直線的でスラッシュメタル好きにも受けそうなアプローチと打って変わり、アトモスフェリックなシンセや空間系ギターで曲間を彩りつつ、スピードや勢いだけでなくリズムや曲構成の多様さでじわじわ攻めあげる、聴き応えのある作品となった。
メンバーの内2人は現地のDIYスペース〈Vanishing Point〉の運営メンバーでもあるようだ。幸運にも筆者は2019 年にそこでNo fuckerの復活ギグを観たのだが、ここが中々スペースとして面白そうな場所だった。何かの廃工場、あるいは製造所を丸々一棟フリースペースとして改装したような場所で、当日も私が見たgig の他にメタルか何かのgigが行われていたらしく、人も多かった。帰国時間の関係であまり長居出来なかったのが残念だ。
フィラデルフィアはニューヨークからバスで3、4時間で行けるという距離だからか、両者のシーンは現在も交流が活発なようだ。パンクスの政治的な傾向も近いようで、例えばどちらで過ごしていてもトランスジェンダーのパンクスには普通に出会うし、もはやそれが珍しい存在であるとか、特別な事という感覚すらなかった。むしろ“They” や“Them”を使えずに何度か“She”と呼んでしまう(注)、自身の周回遅れっぷりに恥を覚えたものだった。「アクティビズム」との距離も両者は近そうだ。
そんなシーンに身を置き活動するAlementだが、歌詞は直接に政治的な題材を扱ったものは多くなく、暗喩を用いた言い回しが多い。恐らく何某かの幻想文学からの引用で、どちらかというとメタルにありそうな歌詞だ。例えば1曲目“Seas of Consequence”の歌い出しなど「Fire from crimson stone」といった有様だ。だがよく読めばそれは、過度にファンタジックな装いを演出して現実社会の問題の直視から遠ざかり、厭世に耽るというメタルにありがちな態度ともまた違うように思える。
論争と破滅の時代を通じて生まれた原初の混沌
征服に次ぐ征服、ろくでなしの支配の勝利
永遠の没落の中、絶える事のない帝国
歴史の発展に於ける死の試練
終わりのない道を私たちは戦い続ける
野蛮な意志の楽節は続く
創造の手は、破壊の手でもある
底知れぬ恐怖の炎の中で鍛造された、血と鋼の武器を振るえよ
我々の選択が、逆説的に要塞を崩すだろう
なかなか抽象的で、明確に批判対象が指示されている訳でもない。資本主義体制のような、近代〜現代のいわゆる「システム」を暗喩しているわけでもなさそうだ。それよりもむしろ、人類史を通して私たちが今だに克服する事の出来ない性質―争い、憎み、犯し、奪い合う―といったある種の咎、それが歴史の通奏低音として永続的に機能してきたし、それがこの先も続き得るのだという俯瞰と、そこからくる一種の人類に対しての諦観のようでもある。「帝国」とは、歴史上に存在した固有の国家ではなく、そうした拭う事の出来ない人類の罪や汚穢の暗喩とも取れそうだ。有り体に言えば、そこには何の救いも希望も示されてはいない。叙事詩的な特異な文体ではあるが、クラスト―パンクとメタルの歪な鵺的存在―の総体としての精神的傾向を鑑みると、質的には普遍的なものとも言える。
「社会主義者」は基本的に性善説の立場に立つ故に、しばしば人類そのものに対するオプティミスティックな肯定を内面化させてしまう人もいる。それに対して、例えば動物解放運動や環境運動のようなものは、人類史をただ進歩史観的に首肯するのではなく、それそのものの捉え返しが必要であるといったオルタナティブな視点を提示してきた。それが行き過ぎたペシミズムであるといった社会主義からの異議申し立てもあり、ここ日本でも両者の理論的相違が論争に発展した歴史も少なからずある。屠殺や皮革産業などのいわゆる「部落産業」を倫理的ではないと批判した動物解放運動と、それは国家から押し付けられたものである、という部落解放運動の立場からの反論などがそれだ。90年代のアニマルライツがもっとも勢いづいていた頃のクラストの歌詞を眺めてみれば、そうした相克を想起させるような断片、痕跡を見つけることも出来る。大胆に言ってしまえば「クラスト」には前述した両者的な思想双方からの影響があるとも言え、その意味でも鵺的存在だという事だ。以上を踏まえると、ここでAlementが提示しているのは、そうした個々の立場性を超えた、より鳥瞰的な視点なのではないかと思う。求める社会の青写真が近い人々であっても、ヒトは容易く争う。「内ゲバ」を持ち出すまでもない。今日ではSNS上で「リベラル」と「ラディカル」が不毛な小競り合いを続けている。共同性の復権など夢のまた夢だ。その一方で人間が自然―つまり社会の外部に与える悪影響は明らかに地球から持続可能性を奪いつつあり、滅びの道へと突き進んでいるとも言える。人類の咎は我々の政治や経済システムがよいものに置き換わるだけで祓われるものではなく、人類自身の内在的な変革を要するものではないだろうか。
(注) いわゆるミスジェンダリング( 本人の性自認と異なる取り扱いをする事) に相当する。
「ハードコア・パンクの歌詞を読む ―Debacle Path 別冊1」より