Los Crudos/Sueltalo
(“Canciones Para Liberar Nuestras Fronteras”, Flat Earth, Nabate/Lengua Armada, 1996年)
渡邉(MATERIALO DISKO)
これまでの人生で物事はありのままの姿であるということを私達は学んできた
学校で本や一部の教師から学んだ歴史は誤りと嘘に満ちている
最悪の場合、子供達は皆これを純粋な真実として受け取ってしまい、
将来それを手放したり、学んだものが純粋に嘘だったと受け入れるのが難しくなる
解き放つんだ!
大人は偽の情報で頭を満たしてしまっていて、真実がそこにあるにも関わらず、
信じているものから自由になることができない
解き放つんだ!
“Sueltalo”
先ず以って私はアメリカの教育に明るくはないが、サンフランシスコの友人曰く、ここで言われている「嘘」のひとつは「サンクスギビング(感謝祭)」であるという。現在アメリカでその日は祝日とされ、家族や親戚で集まり食事会をするのが恒例となっているが、その由来を辿れば、入植者と先住民との間で起きたと言われる出来事が基となっている。
大まかな内容はこうだ。
1620年、宗教的圧迫から逃れる為、当時ジェームス一世の絶対王政下にあったイギリスからアメリカ大陸プリマスに辿り着いた清教徒の一団ピルグリム・ファーザーズは、冬の厳しさから死者が出てしまう程に困窮していた。しかし、近隣の先住民ワンパノアグ族から生き延びる為の知識や物資を授けてもらい、その冬をなんとか乗り越える事が出来た。教わった農耕技術により豊作となった翌1621年の収穫期には、先住民を入植地へ招いて前年の協力への感謝を表した祝宴をとり行い、途中で料理が無くなれば先住民達も食糧を持ち込み、お互い分け合いながらの宴は3日間続いたという。
この出来事が始まりとされるサンクスギビングであるが、これは後に先住民との対立の中で繰り返された略奪や虐殺を覆い隠し、歴史を「良い話」にする為の美談に過ぎないように思えなくもない。
これは私達の身近なところでも同様のことが言える。
広島県で生まれた私は、学校で「平和教育」を受けてきた。夏休み中の8月6日は登校日になっており、8時15分には皆で黙祷をし、原爆の悲惨さを訴える映画を観たり、語り部の方の被爆体験を聞くなどした。小学生時代は社会見学や修学旅行で広島と長崎の被曝遺構や資料館を巡った。私達は過去の凄惨な出来事を通し平和について学ぶ。この史実は「嘘」ではなくおざなりには出来ないし、繰り返されてはならないということは確かだ。
私も10代の頃はそれに違和感を覚える事もなかったが、20代の初め、16~17年前の8月6日に、平和をテーマに広島市内で行われたハードコア・パンクのライブに出演した際、友人の「平和を訴える企画であるなら今日だけを特別視するのはどうなのか」という意見を聞き、それまでの当たり前だった事を改めて考えさせられるようになった。
原爆投下に至った戦争がいかに人々を狂わせたものだったか。それを知る為には、天皇制軍国主義の下、この国がいかにアジアを侵略・蹂躙してきたかを知る必要がある。この事を学校で詳しく教わった覚えは無い。
過去、日清戦争より朝鮮半島・中国大陸への格好の派兵拠点として機能してきた軍都広島。近代化を図る為、脱亜入欧の考えの下に始まったアジア侵略。アジア太平洋戦争では東南アジアの人々を「土人」と見下し、強制労働、虐殺、残虐行為の限りを尽くした。その精神は未だ私達の無意識下に残っているのではないか。物心ついた頃にはアジア諸国からの出稼ぎ労働者への偏見・差別が身の回りにあった記憶がある。私達の祖先がかつて「帝国臣民」であったという過去からの連なりを置き去りにして、一人歩きする様にも見える「平和」は何処か虚しい。被害の事実ばかりを注視してしまえば、当然哀れみの感情が先行し、それ以外が見えにくくなってしまう。そこから見える「平和」を享受しているのが今の私達ではないか。その「平和」から自身を解き放ち今を見て、この先を見る必要が私達にはあるのではないだろうか。
「ハードコア・パンクの歌詞を読む ―Debacle Path 別冊1」より