Antischism/Where We Stand
(“Antischism” Discography, Selfless Records,1995年)
黒杉研而
アメリカはサウスカロライナ州の州都、コロンビアで短期間ながら活動していたAnarcho Crustバンド、Antischism。解散後、あるいは同時期の派生を見る限りでは米国に於ける90年代ハードコア・パンクの草分けと言ってよく、その派生は一部列挙するだけでもInitial State、Guyana Punch Line、Damad(~Kylesa)、Chronicle A/D etc.…と中々豊富だ。Initial Stateはベーシストと活動エリアが変わっただけの実質同バンドという説もあるが。
その結成は1988 年と意外と古く、85年には既に活動を始めていたニューヨークのNauseaとも活動時期は被っている。両バンドに直接の交流があったのかは判然としないが、91年のとあるギグで同じニューヨークのBorn Againstと対バンしている事、NauseaのAlとそのBorn AgainstのJavierはSinというインダストリアルメタルのプロジェクト(Deviated InstinctメンバーによるSpine Wrenchとスプリットをリリースしている)をやっていた事、そしてJavierは一時期Kylesa のメンバーでもあった事等から、緩かなつながりはあったであろう事は推し量れる。
音楽性としては、アメリカらしいドライで割とストレートなCrusty Thrashとも言うべきサウンドで、ケルティックな要素のないSeditionやScatha 型クラストとも言えるが、男女ツインボーカルの掛け合いスタイルという点では、アメリカ版Disaffectと言うべきか。楽曲はシンプルな構成のものが多い中で、ツインボーカル――特に女性ボーカルであるLyzの、比較的ピッチも高く、高域成分も強めなそれが随所でレゾナンス的に機能する事で、楽曲に起伏と緊張感を持たせている。
Anarcho Crustなので、歌詞で主題として取り上げられる政治的/社会的テーマは幅広く、所謂フェミニズムのみに焦点を絞ったバンドではないのだが、直訳すると「私たちの立つ所」、意訳すれば「立場性」とも訳せるこの曲の歌詞では、性差別的なアメリカ社会、及び世界に対してのはっきりとした主張を明確に読み取ることが出来る。
再び、彼らは自らの属さない「倫理」を押し付ける
改めて、わたしたちは彼らのセクシズムとの闘いに立たねばならない
奴らが用いる女性への憎悪の基底にあるねじれた信仰、奴らはそれを「プロライフ」と曰う
今、わたしたちが議事録を正す時が来た
毎年幾千もの女性が吊り木やナイフで死にたがっているなどという、病的な嘲りにも等しい奴らの悪罵
奴らは中絶を「殺人」という、だがその代案とは何だ?
それは奴らが断罪すべきと主張してやまない、同様の忌々しき殺人に他ならない
だから、奴らの偽善の裏に隠された真実を暴露しよう
奴らの上っ面の道徳の根底にあるのは、全てのその性差別的価値とそれに基づく性役割を用いてわたしたちの告発を無化させようとする宗教だ
アメリカやその他キリスト教圏の国では、福音派に代表されるような、キリスト教系集団の中でも特に保守的な層/集団が女性の人工妊娠中絶に強烈に反対している。CPCsという、信仰に基づく集団の支部がアメリカ全土に約3000 ほど存在し、それはアメリカ全土の中絶クリニックの総数である約800を遥かに上回る。この団体は妊娠した女性たちに相談支援という名目で「選択肢」を提供すると嘯きながら「中絶をすると自殺や薬物中毒になる」といった荒唐無稽なデマを吹き込んでいる。またこうした団体は、屡々州から資金提供を受けてもいて、その主な支持母体は共和党員であることから、依然として米国内で大きな力を持っていると言えよう。州によって法律の異なるアメリカでは、既に中絶禁止が可決されてしまっている州もあり、2009年にはカンザス州で中絶手術を施していた医師がそうした勢力の者に射殺される事件も起きている。仮に女性が提訴して裁判になっても、レイプされた事による妊娠の中絶でさえ殺人として起訴されるといった、「プロライフ」に基づく、司法と宗教勢力が一体となった抑圧が行われている。Antischismのこの曲はまさにそういった構造的、文化的な差別に対して真っ向から抵抗する事をいわば宣誓したもので、明確な政治的立場性の表明に相違ない。かのじょらが提起したこの問題は現在も連綿と続く深刻な問題であり、この曲は今日に於いても大きな意義を持つものであると私は考える。キリスト教圏のみならず、宗教はあらゆる性差別的な価値観の基礎になっているのだから。
「ハードコア・パンクの歌詞を読む ―Debacle Path 別冊1」より