Final Conflict/Abolish Police【ハードコア・パンクの歌詞を読む―Debacle Path 別冊1】

Final Conflict/Abolish Police
(“Ashes to Ashes”, Pusmort/Tacklebox Records/Tankcrimes他, 1987年)
鈴木智士

 反警察をテーマにしたパンクソングはおそらく何百何千と存在する。今回のこの冊子でもおそらく最も多く取り上げられたテーマだろう。
 警察は抗議する対象としてはパンクスの最も身近なものと言えるが、決して「仲間」になることはない。パンクだけではない、人民の仲間でもないだろう。例えばもっとも身近な事例、職質される基準を考えてみる。欧米に比べて「穏健」とされる日本の警察でもいい(実態はnot穏健 but陰険なだけだと思うが)。警官はまず見た目で職質する相手を決める。アイロンのかかったYシャツにスリムのパンツとピカピカで先のとがった革靴を履いたヒップスター風サラリーマンよりも、ボロボロのデニムに鋲ジャン、長髪、ヒゲ、あとタトゥーが見えていた方が、職質に遭う確率は断然高まるだろう。そして奴らはスキあらば捕まえようとしてくる。人種であればその国のマイノリティが標的になる。日本でも「白人ではない外国人」風貌だと不当に職質されるという話はよく耳にする。先日も東京で、在日クルド人が特に何の理由もなく強引に職質され拘束されたことがあった。つまり警察は差別をその原動力とするレイシストでもある。警察はナショナリストのデモや行進を守り、それに反対する人たちを攻撃する、というのは世界中で見られる光景であり、KKKのように警察そのものの中にナショナリストが入り込むことも多い。また警察は金持ちを守る。貧乏人、パンクス、マイノリティは「よい社会」の敵だから職質に遭う。警察は資本主義を守るために、マジョリティを守るために存在しているのだから、彼らからすればその選別は当然なのだ。何を言っているんだ、警察がいないと「平和」な生活が送れないじゃないか。そう考える人は、金もあって特に不自由のない毎日を送ってるマジョリティ側からものを見ているのではないか、一度自問したほうがいい。
 今年再燃したBlack Lives Matter運動で、“Defund the Police”(警察予算の削減)や“Abolish the Police”(警察の廃絶)というスローガンがよく聞かれた。これは簡単に言えば、警察の予算を削り、福祉や住宅、コミュニティの支援を増やして、警察の機能を縮小/廃絶して、犯罪そのものを起こす必要のない社会を目指すものだ。そもそもなぜ黒人は警察に銃殺されてきたのか。警察は何を守るために黒人を撃ち殺すのか。警察が存在する前提で作られたこの社会の仕組み自体を疑え、というわけだ。別に絵空事を言っているのではない。現実的な可能性として、警察のない世界を想像してみたらいい。よくあるパンクの歌詞のように「自由」を求めるなら、差別を再生産し「自由」を侵害する組織のない世界を考えるだろう。パンクはそれをずっと考えてきた、このFinal Conflict のように。

長い間やられ続けてきた
自分たちの目的をわからせる時だ
警察の暴力に虐げられる
現実に直面する時だ
奴らは私たちの権利を潰そうとしてくるが
自由のために戦い続けるんだ
自分たちの生を自分でコントロールするために戦えば
この戦争は終わる
所得税で奴らを太らせているのは私たち
奴らはその金であなたや私を抑圧してくる
今こそ奴らを止める時だ
暴力で抑圧 それが奴らのやり方
明日の自由のために今日戦う
(中略)
機能しないシステムなどは拒否せよ
自身のために全力で戦え
命に関わる問題だ
政府の憎悪の政策を止めよ
信頼のコミュニティを邪魔するために
私たちに仕え保護して、金を稼ぐ奴ら
良心の呵責もなく 権力を乱用する奴らの
この暴圧にやられる前に

「ハードコア・パンクの歌詞を読む ―Debacle Path 別冊1」より

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