(旧ブログより)
EL ZINE vol.31に掲載してもらった、ニューヨーク紀行文の後編です(前編はこちら)。
ニューヨーク2018 〈後編〉
3月に行っていろいろと見てきた久々のニューヨーク。前号掲載の前編では、主にレコード屋、見たライブなどに触れましたが、この後編では、その中で何回も出てきた「ジェントリフィケーション」とは何かを、日本で実際に起こっている事例も交えながら、噛み砕いていきたいと思います。あんまりニューヨークのことについて書いていませんけど…。
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ジェントリフィケーションとは
今日現在、世界の大都市、じゃなくてもいいが、いわゆる「第一世界」の「都市」について何かを語ろうとすれば、「ジェントリフィケーション」という言葉は避けて通れない。来日するアメリカや西欧のバンドは、口を開けばジェントリフィケーションによっていかに生活が逼迫しているかを語るし(でもまあツアーに出られ、日本に来れてるんだから、そこまで切羽詰まってるわけじゃないとは思うが。旅をすることは、「先進国」にたまたま住んでて、「それなり」の金がある人の特権だということでもある)、これまでEL ZINEに取り上げられたバンドでも、この言葉を口にしていた海外のバンドはいただろう(前号にインタビューが掲載されていた、スペインはマドリッドのバンド、OBEDIENCIAのインタビューでも語られていた)。その前号に掲載されたこの拙文の前編では、特に何の断りもなく使ったが、この後編ではまず、ジェントリフィケーションとは何か、から話を進めたいと思う。
ジェントリフィケーション(gentrification)の日本語訳は、「(下層住宅地の)高級化」とされる場合が多い。ただ、それだけ聞いてもよくわからない。「高級化する」というと、聞こえがいいと思う人もいるかもしれない。「高級化」のプロセスはいろいろあるみたいなので一概には言えないが、簡単に説明すると、貧困層が住む地域に、金持ちやヒップスターたちが流入したり投資をすることで、その地域の「価格」が上がり、もともとそこに住んでいた人たち=貧困層は、高くなった家賃や物価を払う余裕がなくなり、遂にはそこを離れざるを得なくなるという現象のことだ。ここ数年よく耳にするのは、カリフォルニアのベイエリア周辺の「テック・ブーム」により起きているもので、GoogleやFacebookなどのテック系企業がベイエリア近郊にオフィスを構え、若い金を持ったそれらの企業のエンジニアなどがサンフランシスコやその近郊に移り住んで(彼らは会社が用意するバスで、街から会社へ通勤することもあるとか)家賃が高騰、元々住んでた貧困層は家賃が払えず住めなくなり、他の都市に移るか、最悪ホームレスにならざるをえない、という末路が待っている。要は、金がなければ出て行け、というあからさまな排除が行われる、とても資本主義然とした現象だ。
ちなみに「高級化」をする側、つまりお金を持ってて移り住む側の視点で考えてみると、「中間層~富裕層の人々が、貧困で治安の悪い地域を再開発し、『高級化』させる」とネットに書いてあったのを見たことがある。「街をポジティブにアップデートする」なんていう、吐き気のするような言い回しも見た。
ジェントリフィケーションのひとつのプロセスとして、以下のようなものがある。
芸術家、つまりパンクバンドをやっていたり、絵を描いたり、何かアートをやっているような人たちというのは、お金がない。だから必然的に家賃の安い地域へ住むことになる。しかし、そんな人たちがかろうじてやっていける地域に、例えばアート・ギャラリーが出来る。それがちょっとした流行になると、ヒップスター(流行に敏感な(ウザい)人たち)が、「クール!」とか言って目をつけて移り住む。そしてそれを見た開発業者が、お、その土地いいじゃん、みたいな感じで、投資の対象地域に選ぶ。その土地に投資が起こることで、高級店やレストランなどが増え、家賃が上がり、元々住んでいた芸術家やパンクスのような貧乏人は、上がった家賃が払えなくなり、その土地を出ていかざるをえない、というサイクルなわけだ(この「芸術」によってジェントリフィケーションが起こることを、「アートウォッシング」とも言うらしい。芸術家も元々安いからとやってきたのに、その結果自分で自分のクビを絞めることになるから、辛い部分もあるだろう)。ちなみに2016年12月2日に、カリフォルニア州オークランドの芸術家のコレクティブ、「Ghost Ship」が火事になり、36人が亡くなった事故があったが、これもある種のジェントリフィケーションの被害によるものだという意見もあった。法律的に「住んではいけない」場所に多数のアーティストが住んで、イベントを行っていたらしいが、そうでもしないと住めない状況に、そのアーティストたちは追いやられていたわけだ。それは別にギャラリーだけに限った話でもなく、たとえば日本のケースに置きかえると、「アメリカ西海岸からやってきたオシャレなカフェ」とか、「オーガニック料理を出すエコロジーなレストラン」といった、ゼイリブ的世界をにおわせる美辞麗句をまとったお店が、東京であれば、いわゆる下町なんかにできた時は要注意だ。そのお店に善意があろうがなかろうが、それが結果として「流行」を起こせば、その土地がジェントリファイされるきっかけにもなる。まあ今の所日本のジェントリフィケーションは、行政が主体となった「再開発」が主流で、現在なら前編にも書いたように、2020年のクソ忌々しいオリンピックのために、明治公園や渋谷の宮下公園(こちらは三井不動産と渋谷区の結託事業らしい)を再開発するために、野宿者の排除が平気で行われているありさまだ。え? きれいになっていいじゃない? 野宿者とパンクは関係ない? 再開発賛成? そんなあなたはもしかしたら、「高級化」をする側の人間かもしれない。Nadaたちがかけてたあのサングラスをかけて、鏡の前で己を見てみるといい。
ニューヨークのジェントリフィケーション
さて、この紀行文はあくまでニューヨークについてのものだった。ジェントリフィケーションの説明に始終して誌面を減らす前に、ニューヨークのそれについて感じたことも書いとかないと。タイトルに偽りあり、になってはいけない。
前編の最後に引用した、「世界で一番長い旅路は、ブルックリンからマンハッタンへの旅路である」という意味深長な言葉は、アメリカのネオコンの始祖とされるユダヤ系アメリカ人学者、ノーマン・ポドレッツが1967年の自伝、『文学対アメリカ――ユダヤ人作家の記録』(原題:“Making It”)の冒頭に書いた言葉だそうだ。ポドレッツは移民の町ブルックリンに住む貧民ユダヤ少年、まわりはイタリア系移民や黒人に囲まれた状況。そんな少年が、イースト川で隔てられた、たった数百メートル先にあるマンハッタンという島に憧れる――貧しい人たちが住んだ当時のブルックリン側からの、中産階級への憧憬がこの言葉や、貧しいユダヤ人から中産階級、はては保守論壇のスターとなったポドレッツの人生からは読み取れるわけだが、心理的にはそれくらい長い距離が、当時のマンハッタンとブルックリンの間にはあったのだ(念のため断っておくが、私はポドレッツの思想を支持するものではない)。
今となっては、ブルックリンのあらゆる方面とマンハッタンは、数本の橋だけではなく、血管のようにはりめぐらされた地下鉄でつながっている(もっともユニオンスクエアからウィリアムズバーグ方面へと向かうLトレインは、2012年のハリケーン「サンディ」の影響で、来年から修復のために一時閉鎖となるらしいが)。前編で書いたように、マンハッタンの南東地域、イースト・ヴィレッジやロウアー・イースト・サイドはとっくにジェントリフィケーションが済み、それが川向こうのブルックリンにもだんだんと侵食し始めた。奇妙なデザインのハイライズがイースト川沿いに立ち並び、リノベーションされた倉庫にオシャレなお店が入るウィリアムズバーグがまずその筆頭だ。もともとはユダヤ人やプエルトリコからの移民が住んでいた地域だが、そこにマンハッタンから溢れた中産階級の白人が住み始め、家賃は高騰。今「ウィリアムズバーグ」と日本語でググると、「NYで一番オシャレでアツい!」とか出てきて、そのサイトを開けば、「ウィリアムズバーグで流行の最先端をいくヒップスター気分を味わってきてくださいね」とご丁寧に安い推薦文まで出てくる。ヒップスターってやっぱり「ポジティブ」な言葉として理解されてるのか? うんざりだな。
ちなみにウィリアムズバーグのイースト川沿いには、かつて“Death By Audio”という、インディー・バンド向けのライブができる倉庫があったが、2014年にVice Mediaがその建物を借り上げ、退去を求めたため立ち退かざるをえなかったという。他にも285 KentというDIYなハコもあったが、(お金がなくて)違法営業だったことも手伝い、こちらも2014年に建物が買われ閉店。DIY文化も金でぶっ潰す。これもジェントリフィケーションのひとつの側面だろう。
さて、もちろんジェントリフィケーションの「侵撃」はウィリアムズバーグにとどまることなく、南のベッドスタイ(黒人が居住するエリアにあるイタリア系のピザ屋を中心に、人種差別を扱ったスパイク・リーの1989年の映画、『ドゥ・ザ・ライト・シング』の舞台)や、その東のブッシュウィックなど、ブルックリン各地でそれぞれ違った経緯をたどりながら広がっているらしい。ブッシュウィックは前編で触れたレコード屋、Material Worldや、古本屋以外閉まっていた“Punk Alley”があるエリアだ。ウィリアムズバーグとブッシュウィックを分けて東西に走るフラッシング・アベニューには、この写真ような建設中のマンションが多数あった。
このあたりは道はまだガタガタ、道路はゴミだらけで、どこか安心するわけだが、こういったマンションに富裕層が住み始めれば、小綺麗で画一的な風景になってしまうんだろう。
ジェントリフィケーションがマズい点は色々あるが、コミュニティを破壊し排除する上に、差別を再生産する点が一番の問題だろう。元々住んでいた住人たちを経済的に追い出すわけだから、その人たちが長年にわたって培ってきた関係やコミュニティは、一気に破断されてしまう。そして入ってくる金持ちは、マンハッタンの企業に勤める資本主義、拝金主義の申し子みたいなのばかりだから、そんな横のつながりは気にも留めない。元から住んでいた「貧しい負け組」たちを軽蔑、排除し、差別するだけだろう。悔しかったら金を稼いでみろとでも言わんばかりに。
ジェントリフィケーションはそこらじゅうにある
日本でジェントリフィケーションを体感したければ、東京なら先述の東京オリンピックの名のもとにヤられている渋谷の宮下公園や、「出来上がったもの」であれば、「かつて」のドヤ街、山谷の北にある南千住を見たり調べたりするとわかりやすい。「ホームレス排除」も、もちろんジェントリフィケーションが取るひとつの手段だ。最近は「排除アート」と呼ばれる、その場所・空間を意図しない形で使わせないように、民間主導による「アート」を利用するといういまいましいものすらあるように、アートそのものがジェントリフィケーションの過程そのものに組み込まれ、まるでそれが「市民」の同意も得たものかのように振る舞う排除の方法もある。公園のベンチにアームレストを置いて寝転がれないようにしたり、椅子のようなオブジェクトに傾斜をかけて座れないようにしたり、高架下のスペースなどにホームレスが寝泊まりしないように、ゴツゴツした石を埋め込むとか、そういうやつのことだ。都市部であれば、ちょっとそこらを歩いてみるだけで、いたるところに存在するのが目につくはずだ。
あとは「維新」の橋下が市長時代に打ち出した、大阪は釜ヶ崎の「西成特区構想」、あいりん労働福祉センターの建て替えも、ジェントリフィケーションの一形態だ。そこに住む「汚くて暗い」高齢者たちを追い出し、子育て世代を呼び込むとか何とか。山谷の場合もそうだが、「労働者の街」という「負」のイメージを払拭し、そういった汚く醜い分子を払拭した、「きれいな」街のイメージを作ろうというわけだ。この問題を考える時、日雇い労働者の生活を歌った、岡林信康の「流れ者」も忘れちゃいけない。
ほとんどニューヨークとは関係なくなってしまったが、ニューヨークはその都市の持つ「スピード」により、あらゆる物事の移り変わりが圧倒的に早い。だからそのジェントリフィケーションの歴史を見るにしても、ひとつのいい例なのだ。今やジェントリフィケーションはアメリカや世界の大都市に限った話でもない。果てしのない資本主義の欲望が変態し、見えないモンスターのように世界各地を襲っている。
「奴ら」が考える生活から逸脱するものを排除するジェントリフィケーション=高級化は、パンク的生活とは対極にある。それは多様性もクソも認めない。「豊かな」生活は楽しいぞ、黙って労働して税金を納めろ、という圧力を、町ぐるみで行うのがジェントリフィケーションなのだ。知らぬ間にそちらがわに参加させられている可能性すらある。つまりジェントリフィケーションが進むということは、その排除のターゲットである「下層」のパンクスが、いつの日か駆逐されることすら意味することを覚えておいたほうがいい。町も人も、一緒に「きれい」に一掃される。そんなのはゴメンだろう。
参考文献、サイト:
『ジェントリフィケーションと報復都市 新たなる年のフロンティア』ニール・スミス(原口剛訳)、ミネルヴァ書房(2014年)
『増補改訂版 – 追跡・アメリカの思想家たち』会田弘継、中公文庫(2016年)
『寄せ場 No.28 特集:ジェントリフィケーションへの抵抗』日本寄せ場学会、れんが書房新社(2016年)
「釜ヶ崎路上会議」ツイッター @kamagasakirojyo