ニューヨークへ行ってきた

(2018/4 旧ブログより)

3月中旬、約2年ぶりにアメリカに行ってきた。今回は何と14年ぶりにニューヨークへ行った。前回、初めてニューヨークに行ったのは2004年、無我の米西海岸ツアーの後にフィラデルフィアに3週間くらいいて、フィリーのパンクスたちと一緒に、その年ニューヨークで開かれた共和党大会に反対するデモに参加したときだ。が、滞在中ずっとデモだったりなんだったりで観光はこれっぽっちもしていないので、どこに行ったのか、何をしたのかもおぼろげにしか覚えていない。全米から集まったラディカルなグループが、マンハッタン各地で多種多様な行動を勝手に企画し、何をするのかよくわからないままついていっただけの私は、ただその数と熱量に圧倒されたのだけは覚えている。911後のイラク反戦運動などの余波もまだ残っていた時期で、「運動」にパンクスがガンガン参加していて頼もしかった。
今回ニューヨークには6日間の滞在だったが、この間に見たニューヨークのハードコア・パンク関連のことは、EL ZINE vol.30, 31と2回に分けて掲載される予定なので、そちらをどうぞ。相変わらずの「ジェントリフィケーション」をキーワードに、レコード屋や見たライブのことを書きました。

しかしそれにしても寒かった。最高気温は連日3度とか。陽は出てても風が強い。ベタベタの雪も降った。パーティー野郎じゃないので夜は近所のバーに行ったくらいだが、一つ行ったライブの帰りは、寒さでもう泣きそうだった。まあ暑いよりはいいか。
あと他には、翻訳関連の資料やら本探しでひたすら古本屋を回ったり、もはやカンパ制ではなくなってしまったメトロポリタン美術館に行ってベックリンの「死の島」の第2バージョンを見たり(展示物は多すぎるし人も多いし、1日で全部見る気にはなりません。チケットが3日間有効ってのはそういうことなんだろう)。滞在前半はグリニッチビレッジのあたり、後半はブルックリンのプロスペクトハイツと、それぞれakの友人たちのところに間借りさせてもらっていたのでいろいろ助かった。あっちは部屋の住人本人がいなくても、友人がしばらく滞在するから、とドアマンに鍵を預けておいたりとかが普通にできて(そりゃ民泊も当たり前)、日本みたいな、賃貸の契約時に念押しされる、「第三者を勝手に住まわせない」みたいなルールはないわけだ。そういえば昔岐阜に住んでいたとき、海外の友人数人を家に泊めた際、彼らが到着して30分もしないうちに管理会社から電話があり、「鈴木さん、怪しい外国人を泊めていらっしゃるんですか?」とぶしつけに聞かれたことがある。ふざけるなと電話口で怒った覚えがあるが、どうやら同じアパートの誰かが「密告」したらしかった。友人がただ遊びに来ただけでこのありさま。そりゃここまで移民・難民に冷酷な国にもなるわけだ。「日本は『日本人』のもの」という無意識が、様々なレベルにおいて共有されているんだろう。恥ずかしい。

古本屋は結構回ったので、昔ここでエルサレムの古本屋や那覇の古本屋について書いたみたいに、そのうち書くつもり。
滞在中は相変わらずファラフェルばっかり食ってたが、もうさすがに書かなくてもいいか。東京でもおいしいファラフェル食べたい。
あとニューヨークのあとはワシントンDCにも行って、ちょうど銃規制強化を訴える”March for Our Lives”の大規模集会が24日にあって見てきたので、これも書いておこう。

ただまあ今回の旅の主な目的は、今のニューヨークのパンクシーンや、これまでのニューヨークのパンク的「名所」を見ておこう、ということであり、それらはEL ZINEに載るのでここではまだ書けないんだな…。

ブルックリンのデコトラ