ミシェル・クルーズ・ゴンザレス著、『スピットボーイのルール』、発売して4年ほど経ちました。
ちょっと今更感ありますが、試し読みとして、同書の第10章、「人種、階級、スピットボーイ」をウェブサイトに掲載します。
第10章
人種、階級、スピットボーイ
Race, Class, and Spitboy
私の祖母のデリアは、私たちがやって来るのをまったく予想しておらず、短い髪はトロール人形みたいにボサボサで、眉毛も書かず、口紅もつけていなかった。でも日曜の夜で、祖母は75歳だし、家にいるはずだと思って突然訪ねてみた。
「ミーハ(可愛い孫娘)!」 ドアを開けて私や他のSpitwomenを見た祖母は、困惑と驚きが半々の表情をしていた。私たちはほとんどが黒ずくめの格好で、レギンスの上に汚れたデニムの短パン、ブーツやどっしりしたドクターマーチンを履き、タトゥーも入った体に、色あせたタンクトップ姿だった。
Spitboyはそのとき、ロングビーチでの大きなフェスティバルなどLA周辺で連日ライブしていて、私たちはその帰り、ベイエリアに戻る途中だった。私はイーストLAに住む祖母デリアの家にどうしても立ち寄りたくなったのと、あとSpitwomenに彼女に会ってもらいたかった。タフなばあさんで、訛が強く、英語とスペイン語で悪態をつく、アメリカ生まれのアメリカ育ち。それが私の祖母で、彼女の両親はメキシコ革命のさなかの1918年にアメリカにやってきた。自分流にアメリカ人であることを誇りに思い、でも文化的にはメキシコ人で、「指図するな。自分のことは自分で決める」という祖母だが、彼女もずっとフェミニストだった。
玄関口で祖母に強くハグして、私たちはこのあたりでバンドの演奏をやってきて、今はその帰りだということを説明した。祖母の家はリンカーン・ハイツの高速道路を降りてすぐのところにあった。ワークマン・ストリートに入ると、自分が生まれたロサンゼルス郡立病院を指差し、ここがイーストLAで、私の家族の地元だと3人に説明した。
「何か作ろうか?」
「いいよ、おばあちゃん。長くはいられないから。みんなに会わせたかっただけ」
「さあ入って、入って」 祖母はみんなを迎え入れようと、ドアを大きく開けた。「中にも入れずにごめんなさいね」
Spitwomenは柄にもなく静かにベランダにつっ立っていた。普段はどこでも自分から笑顔で自己紹介するエイドリアンですら黙っていた。家の中に入り、誰かが重い鉄のドアを閉めた。カリンは部屋の中をじろじろと見ている。カリンの目は部屋に飾ってあるものを順に追いかけ、本当にたくさんの飾り物や写真、壁掛けがこの小さなリビング・ダイニングにあることに私も気がついた。その中のひとつには、「家庭とは、痒かゆいところを掻か くことができる場所である」と書かれている。フェイクレザーのズボンをはいたエイドリアンは両手を前で握りしめて立っていて、ポーラはやさしく微笑んでいる。
「おばあちゃん、彼女がカリン」 私はカリンを指差した。「カリンはギターを弾くの。それでこっちがヴォーカルのエイドリアンで、ポーラはベース担当」
「よろしくね。どうぞ座って」 3人はコーヒーテーブルとソファーの間に並んで立ったままだったので、祖母はそう言った。
祖母は他に何を言えばいいのかわからないようだった。
3人はソファーに座った。カリンはソファーの端に座り、その頭の近くのマクラメ編みのプラントハンガーからは、スパティフィラムの葉があふれ出ていた。カリンの表情は、これまでショウに行く道中、何度か私の家族について聞いてきたときと同じだった。それは私の家族についての会話、というよりは、たくさんの質問だった。
「トッドは弟とも妹とも父親が違うんでしょ?」
「そう、みんな違う父親」 なぜこれを聞かれたかは覚えていないが、カリンはそう質問し、私はそう答えた。不快だった。カリン、ポーラ、エイドリアンの両親は、全員が幸せというわけではないのかもしれないが、離婚もしていなくて、特にカリンの両親はとてもすてきな人たちで、心身ともに健康で、家にはアウディと通勤用の車があって、歯は真っ直ぐで、カッとならないタイプの家族だ。
「じゃあみんな姓が違うの?」 カリンは眉間にしわを寄せた。
私は母を擁護した方がいいと思い、母は高校生のときに私を身ごもって、でも私の父親から暴力を受けていたから、私が生後8ヶ月のときに離婚したことを説明した。
Spitboyには家庭内暴力についての曲もあったから、これはカリンも理解してくれるだろうと思った。
「母はそのあとに私の弟の父親と一緒になったの。彼は母が私の父と離婚するのを助けてくれた。でもふたりは籍も入れずに、一緒にいたのは数年だけだった。そのあとに私の妹の父親と再婚して、妹が生まれた」
「結婚はまったくいいことではない」と私たちは考えていたこともあり、そのあと母は妹の父親と離婚して、それ以来再婚せず、もう一生結婚しないと誓ったこともつけ足した。
祖母は、彼女が呼ぶところのジョガー(ジャージ)と色あせた猫のセーターを着ていた。誰も何も話すことがなさそうだったから、私は祖母とおしゃべりしようと彼女についてキッチンへ行った。祖母は暖かくなるといつもハウスドレスを着ていた。
「おばあちゃん、元気だった?」 キッチンに入ってそう聞いた。
「元気よ。毎日老けていってるけどね」 指で髪をとかしながら、祖母はそう言って笑った。祖母の爪はマニキュアを塗ったばかりで、真っ赤できれいな楕円形をしていた。
祖母は私に水を入れたコップをふたつ手渡した。ひとつは縦線の入ったガラスのコップで、もうひとつは粉ジュースが冷たく飲めるような、さまざまな色がセットになった70年代製っぽいホーローのコップだ。
祖母と私が水の入ったコップを持って戻っても、Spitwomenはまだ静かに座ったままだった。カリンはすました顔で相変わらず部屋を見回していた。短い髪をいつもポニーテールに結っていたポーラは、何を話そうかと思いを巡らせているようだった。エイドリアンは膝の上に腕を組んで座っている。
「ミーハ、座って」 祖母は作りかけの刺繍が入ったカゴの隣にある椅子を指した。メキシコ人の女性が水差しを肩にかついでいるデザインの刺繍だった。
私はその椅子に座り、Spitwomenはひと口水を飲み、何も言わずにコップをコーヒーテーブルの上に戻した。みんながこんなに静かだったことはこれまで一度もなかった。どうすればいいのか私にもわからなかった。祖母は私の心配を悟って、この気の詰まる静けさを埋めようとした。
「みなさん疲れてるでしょ。長いこと運転して」
みんなうなずいた。
「あそこに写真があるでしょ」 そう言ってドアの横にある黒い鉄の棚を指差した。「ミシェルの母と父が高校生のときよ」
祖母が私のことを「ミシェル」と呼んだので、私は顔をしかめた。誰も私のことはそう呼ばない。みんな「トッド」としか呼ばないのだ。
「ダンスパーティーのときね。あなたのお母さんは可愛いわ、そう思わない?」
母の髪型は60年代後半のビーハイブ・ヘアで、16か17歳にしては老けてるといつも思っていた。父は背が低く、黒い肌に濃い黒の髪で、当時『ローズマリーの赤ちゃん』のミア・ファローのように短くしていた私の髪型だと、私は父に似ていた。
私は祖母に向かってうなずき笑ったが、なんだか悲しかった。相変わらず何を言えばいいのかわからなかったし、雰囲気は悪くなっていた。
祖母のところに立ち寄らなければよかった。5号線から降りるべきじゃなかった。世界で二番目にメキシコ人が多い街に寄ろうなんて言わなければよかった。私のせいでみんな気まずい思いをしている。私は体の外に出た感覚になり、大好きな祖母と、いつもきれいで居心地のいいこのイーストLAの古びた家や、家に飾ってある小物――他の3人は別の呼び方をするかもしれない――、そして祖母のメキシコ系の家族の写真を、別の目で見ていた。とても嫌な感覚だった。
LAを離れ、グレイプバインを越えて5号線を走るバンの中で、私たちはあまり言葉をかわさなかった。話すことはいくらでもあったのに、私は言葉を、そしてその言葉を口にする勇気を、心の中で探していたのだろう。当時の私には、いや、その後長い間、その言葉も勇気も見つけられなかった。しかしこの感覚は、まるでひどく痛む腫瘍のように私の中で悪化し続けた。大きくなり、もうそこにないふりができなくなるまで、ずっと悪化し続けた。
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