2025年、よかったもの/Things we liked in 2025

2025年もお世話になりました。
今年は何も出版しませんでしたが、野良猫のグレ多を迎えたので仕方がないということにしておきます。猫は人間よりも圧倒的に尊い。
年末の「よかったもの」をまたDebacle Path寄稿者の方々にお願いしたので、退屈な冬休みの暇つぶしにでも、どうぞご高覧下さい。


楠間あゆ
Closh
Terroreye
新井一三
A・K・アコスタ
鈴木智士


楠間あゆ

音楽
・Black Star Musical Club & Lucky Star Musical Club Nyota: Classic Taarab Recordings from Tanga
アフリカ東部ザンジバル島発祥のターラブという歌謡音楽。今年はインド洋の東と西の音楽の共通性が面白くてちょこっと調べていた。アラブやペルシア、ポルトガル、インド、東南アジア、西アフリカ、そして南アメリカ音楽と相互に参照し合うアフリカ内陸部の影響が見られるこのアルバムは、ターラブの見本としては幅広いほうだと思う。Lucky Starはもっとおどろおどろしい音も演奏するので音源を発掘したい。植民地時代に独立の気運を高める役割を担ったターラブの歴史や東南アジアとのつながりも調べてみたいものである。

・Outgrow Madness【Live】「われらの狂気を生き延びる道を教えよ Vol.2」@東高円寺二万電圧(2025年7月12日)
久々のハードコアパンクのギグ。Outgrow Madnessの音は速いけど、シャカシャカしておらず、厚くてしっかりしている。ヴォーカルのマリノ氏はステージを飛び回っているのに、こちらも声が吹っ飛ばされることなく、演奏とがっちり組み合っている。わずか数十秒の中にメリハリのある音のナラティブを展開するのが流石。



映画
ハリー・クーメル監督“Malpertuis”(1971年、ベルギー・フランス・西ドイツ) は、『マルペルチュイ』という同名の小説が原作の、ダークファンタジーミステリー。主人公である水夫ジャンが故郷に戻ると、自分の生家も隣人たちもいなくなっている。意識を失った彼が気がつくと、そこはオーソン・ウェルズ演ずる叔父が住むマルペルチュイの館で、彼の一族が住んでいる。叔父は皆に、この館に住み続け最後に残った男女に遺産を分けるとの遺言を残して死ぬ。一族の者たちは叔父が信じていたギリシア神話の役を割り当てられており、ジャンが恋に落ちた相手はメドゥーサだった…。マチュー・カリエール演じる主人公は美少年系で、役づくりと演技はイマイチ。オーソン・ウェルズが嘘っぽく演技しているのはなぜだろう。でも中央ヨーロッパ的な色と暗さや、水夫が行くバーのケバケバしさとのコントラスト、マルペルチュイの館の雰囲気も素晴らしい。
インドの『私たちが光と想うすべて』 (2024年、パヤル・カパーリヤー監督)は伴侶の選択や身体を社会規範や家族にコントロールされる女性たちの苦しみを、インドに馴染みのない観客とも共通の日常風景とともに淡々と、美しい映像で訴えかける作品だった。ギナ・S・ヌール監督の“Like & Share”(2022年、インドネシア)はポップなビジュアルながら、リベンジポルノに巻き込まれる女子高生とソーシャルメディアの問題を扱った作品。啓発的な教育映画にとどまらないのは、宗教や法の無力を織り込んで、インドネシア社会の問題にも言及しているからだろう。


・The Mental Load List/Cat Sims (2023)
家事やケアといった再生産労働は、生存に直結しているのに価値を軽視され、無償化され、その担い手は女性に大きく偏ってきた。認識されない「名もなき家事」の可視化は家事時間のギャップを埋める方策の一つである。本書は議論でもエッセイでもなく、主にmental loadの実用的なリストとワークシートである。Mental loadと呼ぶことで、日本で最近注目を集めるようになった「名もなき家事」を、物理的のみならず、精神(注意・認知・心理)的負荷でもあると認識しやすくなるだろう(認知心理学や人間工学で何十年も前から有償の「仕事」の同じ問題が「メンタルワークロード」として議論されていたにもかかわらず、ようやく)。頭の中の「ToDoリスト」を可視化して分担を話し合うためのワークシートはそれ自体結構な作業を要求するので使い勝手が良いか分からないが、少なくとも、人間の生存にどれだけたくさんの見えない作業が必要か認識し、共有し協力するためには重要だと思う。
https://www.notsosmugnow.com/store-1/the-mental-load-list


Closh (wetnap) @closh_aaa

・詩とは何か/吉増剛造(講談社現代新書)
今年の夏、初めての出産を経験した。子供が産まれてからは夜泣きや授乳に翻弄され、ほとんど何もせずに1日が過ぎ去って行く。 夜中に何度も起こされ疲弊した頭と、出産のとんでもない負荷で歪んだ身体では何もする気が起きない。文化的なものからずいぶん遠ざかってしまった。
産後5ヶ月ほど経った頃、ボロボロの状態からなんとか立ち直りたいと思いこの本を手に取った。小説は泣き声に中断されるから集中力が続かないし、詩なら短い時間でも読めるのでは? と考えたからだ。
短絡的な動機で巡り合ったにも関わらず、ものすごい内容に子育ての疲れがぶっ飛んでいった。
思考しながら独り言を呟いている老人がいて、彼の言葉を目の前で聞いているかのような文章に一文目から驚いた。一冊を通して彼は考え続けており、思考の流れや言葉の揺れがそのまま記録してある。
また、エミリー・ディキンソンの詩や、カフカの短編を詩人の眼を通して「体験」すると、詩人の世界と自分のとがオーバーラップして、別次元に膨らんでいくかのような心地がしてびびった。
この世界とは別の「詩の大陸」というものがあり、そこから詩が立ち現れると詩人は言う。詩が生まれるところには「しるし」や現実世界との「裂け目」があるらしい。「幽霊」とも形容していた。第六感に近い繊細な感覚器官で裂け目を捉え、それを言葉で押し広げていった先に現れたものが詩なのだろう。
来年は詩をもっと読みたい。まずはエミリー・ディキンソンから手に取ってみようと思う。


terroreye (Kaltbruching Acideath/Mestieri) @t_r_i_f_o_a_d

・Fear Of God/All Your Fears – Discography 1987-1988 (F.O.A.D. Records, 2025年)
最近レコードだけじゃなくてCDも地味に値段が上がってきて、あぁ物価高とぶつぶつ言いながら日々を過ごしているのですが、これに関してはさすがに買わねば…!!と思い購入しました。ニヒリズムの極致みたいな音も当然のごとく最高なのですが、おそらく現存する全てのアートワークやフライヤー、写真等が載っているブックレットも読みごたえがありすぎて最高です。ちなみにある日のフライヤーにBrötzmannの名前があって、まさかPeter Brötzmannと当時一緒にやっていたの!?マジか!!って気持ちになりましたが、改めて調べたらBrötzmannってPeter Brötzmannの息子がやっていたジャンクロックのバンドなんですね。

・Weed420/amor de encava (self released, 2025年)


ベネズエラのepic collage?のグループ(epic collageに関してはこの記事が詳しい:   https://note.com/raqm/n/nc6e47b73fd61)。電子音、ラジオ、街の雑踏、レゲトンやサルサのサンプリング等が中心点を持たずに暴力的な音像を描いていく感じは(誰も共感してくれないさそうだけども)ちょっとFlux of Pink Indiansのセカンドっぽいなぁと思いました。

・Sissy Spacek/Materializing Defective Fascia (Helicopter, 2025年)


John Wieseが長年やっているNoisegrindでMusique ConcrèteなグループのMorgue Breath/Sulfuric Cauteryでもドラムを叩いてるIssac加入後の2024年のMaryland Death Festでのライブを録音編集した盤。とにかくIssacの激速ブラストとノイズの相性が良すぎてビビります。何気にSissy Spacek、今が一番いいのでは!?。

・Deale/S.T. (WDsounds, 2025年)
いつぞやのライブの時に酔っ払った勢いで推薦コメント書きたい!!って自ら志願して、人生初の推薦コメントを書かせてもらいました。ホントに緊張感のあるアルバムだと思います。ちなみに今年うちのアパートに泊まった回数ランキングは圧倒的一位でドラムのH4さんでした。

・角谷美知夫/’87 KAD 3:4:5:6 (wine and dine, 2025年)


Deformed Existenceの久保君と自分が偏愛しつづけている角谷美知夫の未発表音源がまさかのリリース、しかも中島らもの遺品の中から出てきたという話には本当にびっくりしました。PSFから出た編集盤を買ったときは思春期の真っ只中のもあって、幻聴に関する事柄や音像のいびつさについ目が行きがちでしたが、今作を聞くとNW以降のサイケデリックフォークをNikki Sudden等とは違う独自の解釈で展開していたんだなぁと改めて気づかされました。と色々と書きましたが、世界に対する居心地の悪さを吐露していく歌と詩がやはり何よりも唯一無二。

・今年を振り返って
先週Kaltbruching Acideathの録音がやっと終わりました!!というわけで来年音源出ます(これからジャケのデザインetc頑張ります)。あ、あとMestieriにも正式に加入したんで、そっちもよろしくです。


新井一三

・斜め論/松本卓也(筑摩書房)
著者は精神分析、とりわけラカンを中心に論じてきたが、主著『人はみな妄想する』で見せた臨床的問題意識に刺激をされて、以降注目をしている。
「垂直でもなく水平でもなく斜めに横断するのだ」と、それだけ書けば「ああ、いわゆる現代思想っぽいやつね」と早合点してしまいそうになるが、実際にドゥルーズやガタリへの言及もあるものの、概念と戯れてウットリするような仕草とは無縁である。
垂直性は、序列や指揮命令のという権威的な関係性だけでなく、上昇や深みといったような優劣の表象も喚起させる。他方、水平性は、対等や協力そしてケアといった「いいことばかり」を想起させる。
読者各氏もおそらくアナキズムに共感的であろうから水平性を重視しているはずだが、実践においてはその水平性が無責任とダイナミズムの喪失を生起させているという「矛盾」を経験し、徒労や無力感で折れてしまったことはないだろうか。いま、臨床界隈では、ケアによる支配という概念さえ検討され始めている。
本書は、68年論に触れてはいるものの運動=実際に起きた現象に対する解像度は低いが、それはそれでしょうがない。言論に全てのこととものの起源やメカニズムの説明を求める必要もない。
生きていくなかで、おそらく誰もが苦悩や屈折に突き当たるだろう。その時に折れないために、折れても立ち上がるために、そして立ち上がれなくても生きていくために臨床の思想はあるし、本書によって提示された縦横斜めの空間理解は私たちの視界をスッキリさせてくれるだろう。

映画
・KNEECAP/ニーキャップ/リッチ・ペピアット(2024年、アイルランド、イギリス)
「ノイズ・パワーエレクトロニクスのショック戦略とファシズム」(https://note.com/maldoror000/n/n64138d26c623)で知られるmaldoror000さんから誘われて、2026年1月5日に行なわれるアイルランド北部のラップグループ、kneecapの来日公演に行くことになった。全く知らなかったグループだったが、映画も公開されているということでライブの予習も兼ねて見に行った。
※映画そのものと現代アイルランド事情についてはT・S・デミによる記事がとてもよいので参照してください。
https://niewmedia.com/specials/kneecap_edyou_wrdemi/
https://tsdemi.substack.com/p/963?utm_medium=ios

サウンド的には、アイルランド伝統音楽とヒップホップとレイヴの影響を受けていると言われるが、それはアイルランド固有の文化文脈と本人たちの実存的問題意識から選ばれたものだろう。最新アルバム『Fine Art』はToddlaTがプロデュース、UKベースの影響も表れている。
しかし、これまで全く気にならなかったUKベースという呼称も、kneecapを知り聴くことで違和感を感じるようになった。「UK」なんて反帝からすれば問題外だし(反語的になら使える?)、せめてブリティッシュベース、イングリッシュベースなんじゃないの?
抵抗も商品化されるのが資本主義ではあるし、そのフィールドに乗っかって闘うか否かは永遠の課題だ。だが、kneecapのパレスチナ連帯はその商品化を突き破ろうとするものといっていい。

来日公演、チケット高いけど(高いから?)余ってるっぽいから、みんなで行こうよ!


A・K・アコスタ @insomehexagon

今年は新しい本をほとんど読まず、新しい映画も観なかった。インターネットはChatGPTのナンセンスで満たされ、ネット文章がどれも同じような奇妙なリズムを持ち始める中、私は古いものの中に美しい言葉とビジュアルを見つけて逃避した。

・The Last Man(最後の人間)/メアリー・シェリー
1826年に書かれた最初のパンデミック小説、そして最初のディストピア小説の1つ。疫病が世界中に蔓延し、ゆっくりとすべての人々を殺し、最終的に語り手は一人ぼっちになる。シェリーは夫のパーシー・ビッシュ・シェリーと、友人のバイロン卿の死から数年後にこれを書いた。もうこのような散文を書ける人はいないだろうし、おそらく誰も挑戦すべきでもない。日本語版は『最後のひとり』というタイトルで2007年に出版されているようだ。日本語訳はどんな感じなんだろうか。

・19 Ways of Looking at Wang Wei/エリオット・ワインバーガー(New Directions)
1987年に初版が発行され、2016年に改訂版が出版された。唐代の詩人、王維(ワン・ウェイ)の詩の、西側言語 (主に英語、一部スペイン語、フランス語、ドイツ語) へのさまざまな翻訳を比較している。

鹿柴

空山不見人
但聞人語響
返景入深林
復照青苔上

———
Deer Park

Empty Mountains:
no one to be seen.
Yet—hear—
human sounds and echoes.
Returning sunlight
enters the dark woods;
Again shining
on the green moss, above

(ゲーリー・スナイダーによる「鹿柴」の英訳)

ワイズバーガー氏は各翻訳について解説を行っている。以前の翻訳では、ほとんどの場合、「私は山に一人でいる」というように主語が追加されていたが、この詩には主語がない。私の個人的な意見では、ゲーリー・スナイダーによるものが最も印象的な翻訳だ。ゲーリー・スナイダーは日本に住んでいたこともあるビート・ジェネレーションの詩人であり、彼自身も優れた詩人であることに加えて、本格的な仏教研究者でもある。まだ存命だ。この本は日本語訳がないが、翻訳に興味がある人には大変おすすめだ。この本を読んで、私は漢文を勉強し、もっと詩を読んでみようと思った。

・戦争と平和/セルゲイ・ボンダルチュク (1965-1967年、ソ連)
インターネットで破壊された私の頭が総上映時間431分の映画に耐えられるのか、おそらく無理だと心配していたので、映画を短く分けて観た (映画は4部に分けられているが、それよりもさらに短く分けて)。映画の細部はすべて申し分なく、これまでに作られた映画の中でも、正に大作という言葉がふさわしい。とても美しい作品で、ひどく質の悪いNetflix作品に対する救済のようだった。Mosfilmはこの作品をYoutubeで、高解像度で無料で公開している(英語の字幕でよければ)。

・『WAVE』とその他のペヨトル工房の雑誌
ここ最近、修士課程の学生に日本の1980年代について教えている。現代の学生が持つ1980年代のイメージは、シティポップ、バブル時代のファッション、高度消費社会がほとんどだが、ペヨトル工房の雑誌は、80年代のサブカルチャー、批評、音楽、アートなど、まったく異なる世界を紹介するのに役立っている。学生たちはよく私に、『WAVE』と同じくらい面白い現代雑誌を知っているかと聞いてくる。毎週末の高円寺の古本市で、まだ持っていないWAVEの号を探している。


鈴木智士(Gray Window Press)

・ネコは(ほぼ)液体である ネコ研究最前線/服部円(KADOKAWA)
今年の7月に野良猫が1匹うちにやってきて、グレ多と名付けてそのまま住み着いたことはブログに書いているが、もうそれ以来頭の半分は常にグレ多のことを考えている気がする。猫はかわいいが、謎が多い。グレ多が凡人(間)には理解できない行動をとるたびにウェブで検索するが、それらはどうも感覚的に書かれた記事が多く、猫の実態を捉えたものは少ない気がしている。図書館に行って猫の本を借りて読もう、と思っていたが、車で片道25分かかる図書館に行く時間すらもったいなく感じる。そんなタイミングでこの本のことを知って読んだら、ああそうそう、これだ、というようなことが、ちゃんとした研究、論文をもとに書かれている。そして何より、学術的研究というものは、こういった、大多数の人からすれば、いわば「どうでもいいこと」の探求の余地がないと面白くない。本書には「人は猫語を理解できない」という事実が統計的に調べられた研究も載っているが、それはある意味当然ともいえる。それゆえに猫はかわいいのである。人間などにそう簡単に理解されてたまるか、と、グレ多もきっと思いながら、今日もご飯を待ちながらニャーニャー鳴いている。

・パレスチナ、イスラエル、そして日本のわたしたち 〈民族浄化〉の原因はどこにあるのか/早尾貴紀(皓星社)
2023年10月にガザ虐殺が始まって以降、特に何かの運動に参加したわけでもないが、正直そういったパレスチナをめぐる「反戦運動」にどういった立場で参加すればいいのかわからないでいた。日本という国は歴史的にも経済的にも圧倒的にイスラエルの側に立場が近く、そんな国で悠々と暮らしているのに、「パレスチナに連帯」などと口先だけで言えるのか、言ってしまっていいのか。もちろん過去にはそういったデモやBDSのような運動に参加したこともあるが、そういった運動が弱すぎた結果、半ば必然的に起きたのが今回の、以前とはまるでスケールの違う侵攻・虐殺なのではないかと。2002年に桧森孝雄さんが日比谷公園で焼身の抗議をされて20年以上経ったが、状況は当時よりも悪化しているだけなのではないかと。そう思うと無力感しか感じるものがないわけだが、いくつかパレスチナ・イスラエル関係の本を読む中で、この本にはそういった無力感をある意味で「肯定」(かつ「否定」)してくれることが書いてあった。

「戦前の日英同盟時代から戦後の日米同盟時代までパレスチナ問題に関して帝国の側で共犯者・加害者であり続けた日本社会・日本人が、パレスチナの抵抗運動に同一化することはできない」(P.282)
(2023年10月以降の運動について)「(略)かつてのあらゆる時期のパレスチナに関わる日本の社会運動の規模を凌駕するものとなったが、普遍的な人間性への訴えはあっても、そこに歴史と現在における日本の加害性を問い、そこから変えていこうという意識は希薄であった」(P.283)

・旅と日々/三宅唱(2025年、ビターズ・エンド)
ハングルがノートに書かれるシーンで始まり、そのノートに書かれた脚本の海辺は、一見どこだかわからないような崖と黒い海に挟まれた狭い浜があって、これはキム・ギヨンの『異魚島』へのオマージュなのかなと思ったが(キム・ギヨンの映画とつげ義春の作品は、その“ロウ(生)さ”でつながりそうだが)、変な坂道があったり、河合優実(ここでも圧倒的な存在感)が山を抜けたらまた海に出たりと、いかにもつげ義春が行きそうな、変な島である。伊豆諸島の神津島だそうだ。その韓国から来たらしい日本語を話す脚本家が雪国へ行く後半は、ほぼ原作通りで、日本語を母語としない日本語話者ゆえの独特の間が、やさぐれた堤真一(だと最初わからなかった)が経営するボロ宿の妙な空間で炸裂するので、ほとんどコメディ映画のようだった。その韓国人脚本家が言う、「旅とは言葉から離れようとすることかもしれない」というセリフがとても心に残るが、それでも旅先においても言葉は否応なしについてくるのだ…。現代のつげ義春解釈としてこれ以上のものはない映画化。

・Bidirna Dhamani/Pannavimutta Paccaniyani CD (Kaliyuga Konspiracies)


コルカタのデス/ブラックメタルのデモ集。インドの西ベンガルと言われても正直ピンと来ないが、インドの都市はどこも東京くらいの人がいそうなので、こういった変なメタルが出てきても不思議ではないのだろう(ただパンクやハードコアのことはあまり聞かない、いるにはいるみたいだが)。Revenge Recordsはこの音源を初期SwansやThis Heatまで挙げて解説していたが、特に2枚目のデモは、Godfleshのような無機的なリフ+ツーバスに、金物がデタラメに入ってたり(これがThis Heat箇所かな)、ブルデスみたいな頭打ちのブラストもあったり、当地の民族楽器のような音が入っていたりと、特にこういったベスチャル・ブラック/ノイズメタルが特に好きではない私でも、ハマってしばらくリピートして聴いた。
ちなみに一度見たら忘れられないこのCDのジャケットを描いたり、ミックスにも関わっているメンバーがいる、同じコルカタのTetragrammacideというバンドは、浅学な私にはちょっともう理解が追いつかないような過剰な音なので、オンラインでたまに聴くだけ…。このバンド群は“Kolkata Inner Order Propaganda”と称したグループのようなものを形成しているようで、このCDにもそのイメージが載っているんだが、それだけを見ても彼らがどんな思想を持つのかはわからない。鉤十字はヒンドゥー教では幸運のマークだが、その横にはドクロや機関銃が載っており、なんだか不穏だな、くらいしかわからない…(ちなみにDeathrash Armageddonからミニアルバムが出た、同じコルカタのバンドでそのグループの一部であるらしいNihilserpentのCDでは、その鉤十字の部分は核マークになっている。自主規制?)。ヒンドゥー教的神秘主義を全面に出しているのか、それともほぼすべてのブラックメタルがキリスト教を否定するように、インドということでヒンドゥー教への冒涜も含まれているのか。おまけにそういった思想がイスラモフォビアにもつながるのか(インドの西ベンガルと隣のバングラディシュは元々ひとつの地域である)など、音楽以外の部分への興味も尽きない。

・Pagan Altar/Never Quite Dead (Dying Victims Productions)


オリジナル・ボーカルのテリー・ジョーンズが亡くなった後、ライブ要員としてボストンのMagic Circleのボーカルが入ったが、やはりライブだけでは飽き足らずなのかリリースされた新アルバム。Youtube等でライブ映像を見た限りでは、テリー・ジョーンズと比べても遜色ない声だなとは思っていたが、このアルバムも過去のPagan Altarの延長として十分楽しめ、ファンとしては嬉しい限りです。
しかしMagic Circleというバンドのメンバーは他にもメタルだけでなくハードコアのバンドも色々やっていて、中でもJustin DeTore(何て読むのか)はたぶん私と同世代なんだと思うが、元々R’N’R(懐かしい)みたいなパンクやボストン・ハードコアみたいなのから入って、Mind Eraser(ハードコアがパワーバイオレンスに接近した最初のバンドだと思っている)、唯一の7インチがSacrilegeまんまでかっこいいDeath Evocationや、Boston Strangler、Rival Mobみたいなハードコア、で今はInnumerable Formsなんかもやってるなど、相当の手練れのよう。Lifeless Darkをやってる人もいるが、これは実質Death Evocationの延長なのか。
ちなみに2012年にロンドンでPagan Altarのワンマン・フリー・ライブを見たことは、今後も言いふらし続けるであろう数少ない私の自慢です。その夜は1時間半くらいひたすら演奏してて、名曲のオンパレードで至福の時だった…。その時撮ったビデオ↓

その他だと、イラン系のディアスポラによるバンドだというAmeretatのLP(コンタクト取って話を聞きたい)、この10年くらい改めてハマっているLudicraの2022年再結成ラストライブの音源をよく聴いた。Teitanbloodの新アルバムは音が詰まりに詰まってて激しすぎたな…。あとは1月に泉下の人となったデヴィッド・リンチの映画をいくつか見返したが、『ワイルド・アット・ハート』の異様なテンションがやっぱり好きだ。
「ドーキー・アーカイヴ」のアナウンスから心待ちにしてたチャールズ・ウィリアムズ『ライオンの場所』は、やはりとんでもない形而上ファンタジー?小説でビビった。さすが横山茂雄先生のあの翻訳もすごすぎた。雑誌Spectatorのパンク特集号は、ジョーダン・ムーニーの記事や(本は高くて買えない)突然段ボールのインタビューなどは面白かったが、おそらく本号のメイン記事である冒頭の「ロンドン・パンク史」に、「Crassが“Punk’s Not Dead”と応答した」と書いてあって横転(←これ一度使ってみたかった笑)。去年のDebacle Path別冊2の『パンクの系譜学』批判座談会でも触れたが、The Exploitedって本当に過小評価、あるいはガン無視されてるんだなと…。インテリ皮肉屋のCrassがそんなポジティブでストレートなこと言うわけないのに。
あとこれを書いていた年末に届いた2冊、Paul Mayの写真集とTOKONA-Xの本はざっと見ただけでも素晴らしい内容&ボリューム。高校3年のときに2回目のMurder They Fallで見たMOSは、すっとぼけたガキンチョには衝撃でした。
『原初の叫びを上げるもの』、来年前半には出ます。