完治はない/紙の本のマチズモ

  その年に観た映画や読んだ本などを年末に書いてきたが、それも新型コロナにやられてからは止まってしまった。感染から1年半経った。ここ2ヶ月ほど体調の大きな崩れはなかったので、おお、これはようやくよくなったのかなと思い、年末特有の圧殺されるような嫌な空気を払拭しようと感染以来の飲酒をしてみたら、あっという間に調子が悪くなってしまった。1年くらい前の状態が再発したのだ。(Long-COVIDに)酒はダメとは聞いたことはあるが、本当にダメなのか。断酒するしか選択肢はないのだろう。別にそこまで飲酒を必要とする生活を送ってきたわけでもないが。
  今もこんなような状態なので、この病気にはもはや「完治」がないとも言えるのかもしれない。いや、病気というか、これはもう難病奇病の類ですらある。このコロナ・パンデミックの開始からもうすぐ4年経つが、未だに機序も不明で有効な治療方法もない。科学はどうした。医療の発展はどこに行った。でも世間や国家はコロナを勝手に終わらせてしまった。ウイルスは今も変異を続けてのらりくらりと存在しているというのに。コロナが終わった人たちは羨ましい。2019年以前の生活に戻った人は羨ましい。私は戻らないだろう。ただしかし、めちゃくちゃ調子が悪い時期(絶望的な最初の3ヶ月を思い出すと今も死にたくなる)は過ぎたようなので、そろそろ仕事もやっていかないと、労働人口ゼロのわが実家では生活が続かない。去年は例年の20分の1くらいの仕事量だった(請け仕事をそのままノー・キックバックで横流ししたりもした、プラマイゼロ、意味ゼロ)、レコードを売ったり本を売ったりでなんとか医療費くらいにはなった。しかしこれだけ長い間休んだせいか、クライアントは離れていったようにも思える(いや、もしかしたらAGIのせいなのかもしれないが、そんなことは末端フリーランスには誰も教えてくれない)。当然か。転職も考えよう。

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  今住んでいる実家が山奥で車が必須という環境のせいもあるが、ほしいものが買いに行けない、新刊本チェックに行けなくなった(去年は書店には何と3回しか行っていない!)など、身体的に「自由に動ける自由」を結構な割合で(一時的にであれ)失いわかったことは多いが、おそらく40を過ぎて以降、機能が一気に落ちてきた私の体ごときよりも、昨年夏の芥川賞作品、市川沙央の『ハンチバック』で気づかされたことの方が、一応ISBNをつけた書籍を作って売っている身としては大きかったかもしれない。紙の本を読むことのマチズモ(健常者至上主義)はまるで考えたことがなかった。
  「紙の匂いや質感がいい」とか「紙の重さが重要」のようなナイーブな考えは元々ないが(基本的には読めれば何でもいいので、電子書籍も多少は利用している、ただ紙の方が付箋は使いやすい。電子書籍は検索が圧倒的にしやすい。当然か。何がどこに書いてあったかを見失いやすい洋書は電子書籍の方がいいのかもしれない。そしてDebacle Pathを出さないときは記事はウェブ上に無料公開しているし、過去のDPの記事もウェブサイトに載せている。言い訳がましいか。紙のよさというものは、ウェブと違い、時間をかけてまとまったものをじっくり書ける/読める、ということぐらいだと思うが、それがマチズモでもあると先の著者は言っているのかもしれない)、カッコが長すぎた。JPRO(出版情報登録センター)からたまに読書バリアフリーについての案内やメールが来て、うちはどうしようか、と考えているうちに数年たち、今のところ電子書籍ではなくPDFを作ることでお茶を濁している。PDFはページ・スクロールが絶望的にやりにくいと知りながら。今年は電子書籍やオーディオブックのことを勉強しよう。

(2024/1/9)