映画『白い暴動』評

コロナ禍が始まって数ヶ月経った2020年6月に確かヒューマントラストシネマ渋谷でこの映画を観たあと、勢いで書いたまま公開するのを忘れてしまっていたもの。先日友人Tが観たと言ってて思い出したのでした。


白い暴動
White Riot
2019年 イギリス
監督:ルビカ・シャー

70年代イギリスの反人種差別ムーブメント、“Rock Against Racism”を取り上げたドキュメンタリー映画。4月に劇場で公開していたらしいが、目下のコロナ禍によりこの間はオンライン上映が行われていた。ただこんな音楽ドキュメンタリーを小さなモニターや家のテレビで観ても仕方がないだろうと思って待ってたら、二番館?で観られたのはよかった。
情報としては知っていても、これまで目にしたことのない当時の映像を見るとやはり理解は多少変わってくる。それがこういった音楽ドキュメンタリーの唯一の良さだろう。エリック・クラプトンやボウイ、ロッド・スチュワートまでがホワイトパワーを信じて(保守政治家のイーノック・パウエルの支持を表明するなど)、「有色人種はこの国から出ていけ」という立場だったことは、やはり文字で読むよりも映像で見たほうがインパクトは強い。
ただ世代のせいでもあるが、The Clashを通らずにハードコアの洗礼を受けた身からすると、この映画でClashが称賛されるのは何かの見間違えなのではと思ってしまう。トム・ロビンソン・バンドの前座をオファーされてゴネる権威主義者のどこがパンクだ、と言い捨てるのはやや手厳しいだろうか。RARはNational Front(NF)のような極右に対抗するために起きたムーブメントなわけだが、パンクはそこに運良く「便乗」した、とも言える。もちろんRARとしても当時爆発していたパンクを取り込んだ、というわけでもあり、双方が利用し合ったわけだ。

しかし少なくとも当時のRAR企画者は、自分たちが植民地主義の子孫だ、という自覚があったことは映画の中で触れられる。また性的マイノリティの問題が当時はまったく取り上げられていなかったことについても、“Temporary Hoarding”の記事で書いたことも(その後どういった反響や影響があったかはまったく触れられなかったが)。この映画から私たちが何か受け取るとしたら、「音楽は人を動かす」という、やや陳腐な幻想とも言える美辞麗句に酔う前に(人は自らの意志で動くものであり、音楽などはその後押しをする程度なのではないのかとよく思う)、イギリスと同じような帝国主義の「列強」の一員と化し、それらの国々に負けず劣らず植民しまくった日本帝国主義の間接的な当事者として、今私たちには何ができるのか、という点なのではないか。つまりこの映画は78年のロンドンに勝手に共鳴するものではなく、その視点を欠いている者にとっては、未清算のポストコロニアルの課題を突きつけてくる映画なのだ。

Sham 69がNFから支持されたのは、より地に足のついたストリートの音楽を歌っていたから。キングスロード・パンクスのような派手さもなく、労働者階級のバンド、という認識だったということは、先日書評を掲載したハーレー・フラナガンの自伝にも書かれている。日常の鬱屈がパンクというフィルターを通して、右へ行ったのか左へ行ったのか。その違いはとても小さな状況――周囲の環境や友人づきあい――に左右されたのではないだろうか。NFだからといって切り捨てるわけにもいかないし、RARに参加したからといって手放しに称賛できるものでもない。ギリシャにはネオナチをボコるのが楽しいからアナキストやアンチファと一緒に行動している若者もいた、それは称賛していいか。

おまけを言えば、この映画は“パンクの映画”ではなく、レゲエ視点で撮ることも可能だったはずだ。この映画によれば、マトゥンビがRARの最初のコンサートの出演者だったらしいが、そのマトゥンビの音楽を日本に持ち込もうとしたが、どいつもこいつも資本主義の奴隷になってしまった旧友たちが勤める日本の音楽業界はそれを聴こうともせず、逆にせせらわらう、という物語……。そう、この映画の続きを観るとすれば、それは若松孝二が内田裕也を主演に迎えて撮った『餌食』なのだ。今私たちに必要なのはジョー・ストラマーではない。RARの企画者たちのように、自国の植民地主義、資本主義を見つめ、多々良純の恨みも引き継いで、たったひとりの“暴動”を起こした『餌食』の内田裕也なのだ。

さらに蛇足。この映画はビスタサイズで作られているが、当時の映像はスタンダード。この切り替わりがややいびつに見えるのは、「古い」という演出のために、その両方に人工的なフィルムノイズっぽいものを施しているからだろう。もう今やこの手のドキュメンタリーのお決まりとなってしまったこのノイズ演出だが、単なる雰囲気モノであり、安っぽくてわざとらしく、映画の内容を貶めるものですらある。こういうのはほんといらない。

(2024/1/13)