Industrial Suicide/Police Terrorism【ハードコア・パンクの歌詞を読む―Debacle Path 別冊1】

Industrial Suicide/Police Terrorism (“Demo ‘90”, 自主, 1990年)
久保景

 Industrial Suicide(Βιομηχανική Αυτοκτονία)はギリシャの首都アテネ出身のクラストコア・バンドだ。前身となったのはFear Of God、Seven Minutes Of Nausea等と並ぶ反音楽ノイズ・グラインドの始祖的な存在であるSound Pollutionである。僅か2年程というその活動期間の短さと、当時残した音源が自主リリースによる数本のデモのみであったという事も相まって、彼等はギリシャ・クラストの伝説的な存在として知られている。Napalm Death の初ギリシャ・ツアーのオープニング・アクトを務めたブラック/デス・メタル・バンド、Sadistic Noiseの中心人物であるFlesh(R.I.P.)もベーシストとして在籍していた。
 Industrial Suicideにとっては現時点で(近年、なんと彼等は再結成を果たし、New LPのリリースも控えている)最後のデモとなる“Demo ‘90”は、これ以前に録音された2本のリハーサル・デモで聴く事の出来るグラインドコア路線から、仄かにメタリックな要素を漂わせつつ同時代のHiatus(ベルギー)にも通じるような、Doom影響下のユーロ・クラストコアへと変貌を遂げた、彼等のターニング・ポイントを捉えた貴重な音源である。Doom の“War Crimes”をフェイバリットの1つに挙げるヴォーカリストのSakisが当時からDoom、特にギタリストのBriや、Sore ThroatのRich 等と深い親交を持つ人物だけあり、全編に渡って如何にも90 年代初頭らしい、燻銀の素晴らしい内容だが、今回取り上げるのがそのデモの2 曲目に収録された“Police Terrorism”だ。

国家の分身が権力を誇示する
外見だけで人を有罪と判断し
叩きのめす事によって
これがお前の方法か?
これがお前の治安維持の方法だ
武装した警察と暴力
拘置所への投獄と脅迫
これが治安維持
罪の無い人々へのセキュリティ

 パンク、とりわけハードコア・パンクというジャンルにおいて、「警察」は歌詞からアートワークに至るまで散々ネタにされ、かつ忌み嫌われてきた存在である。“Police Terrorism”では、「治安維持」や「警備」という名の、警察による暴力行為について歌われている。
 Sakis 曰く、ギリシャでも警察の横暴な取り締まりは日常茶飯事であり、それは時として、市民の殺害という最悪の形に発展する事もあるという。
 1985 年11月17日、1人の少年が警察に後頭部を銃で撃たれ、死亡するという事件が起きた。少年の名前はMichalis Kaltezas。まだ15 歳という若さだった。
 11月17日をギリシャではポリテクニオン・デー(学生蜂起記念日)と呼んでいる。1973年11月17日、当時のギリシャ軍事独裁政権が崩壊するきっかけとなった、アテネ工科大学の学生蜂起を記念する日だ。毎年この日の前後には、アテネ市街中心部において大規模な集会や反政府デモが催されるのだという。
 Michalis Kaltezasは1985 年11月17日、アテネで行われたデモに参加していた学生の1人であった。警察の武力による制圧から逃れる為、他のデモ参加者と一緒にその場を離れようと走り出した彼を、警察は20メートル後ろから拳銃で頭部を狙い撃ち、殺害したのである。彼を射殺したAthanasios Melistasは、はじめ2年半の懲役刑を言い渡されたが上訴し、
Michalis Kaltezasを射殺したのは「職務を全うせんとする情熱」の為であったとされ、最終的には無罪となった。
 この一連の事件を受けて、Industrial SuicideのSakisをはじめ多くのギリシャ・パンクスも警察への怒り、そして国家や司法への不信感をより一層募らせていったであろうことは想像に難くない。同じくギリシャのハードコア・パンク・バンドのAntidras(i Αντίδραση)が1st LP “Κατάσταση Κινδύνου…”(1990)初回プレス盤のセンター・ラベルにMichalis Kaltezasの遺体写真を使用するなど、彼の死は80 年代後半〜90年代にかけてのギリシャD.I.Y. パンク・シーンにも大きな影を落としたのである。Sakis自身、1988年2月に警察に職務質問を受けた際、顔が気に入らないという理由(その当時、彼の髪型はモヒカン・ヘアーだった)で連行され、真冬の冷水の中に頭を無理やり突っ込まれる等の暴行を受けた事もあるらしい。
 着ている服や髪型、刺青の有無、顔つき、肌の色でその人が犯罪者であるかどうかを判定する事が可能だろうか? 考えるまでもなく、そんな馬鹿な事は可能なわけがない。人種やその人の外見が気に入らなければ、無抵抗の人間にすら暴力を振るい、あまつさえ「殺人」を冒すことも許される。それが警察であり、こんなおぞましい権限を持つ連中が世界中に存在しているのだ。犯罪者とやらは一体どっちのことなのだろうか?
 ギリシャでは2008 年にも、Alexandros Grigoropoulos(彼も15 歳であった)が抗議活動中に警察に射殺されるなど、Michalis Kaltezasと同様の痛ましい事件が起きている。より最近の例でいえば、アメリカでBlack Lives Matter運動が生まれ、また再燃するきっかけにもなった、警察のアフリカ系アメリカ人に対する残虐行為や、在日クルド人男性に怪我を負わせた東京都渋谷区での不当な職務質問等、警察による暴力事件は現在も世界中で後を絶たない。無論、これらは氷山の一角に過ぎないだろう。
 彼等警察の中に通底しているのは紛れもない「差別」の意識だ。私達から人権を剥ぎ取り、社会的弱者やマイノリティ、そして国家や権力にとって都合の悪い存在を容赦無く攻撃して排除し、また、そのような残虐行為を「正義」であると平気で正当化する。警察とは、「差別」を生み続ける社会のシステムそのものであり、その自己防衛プログラムなのだ。彼等が守っているのは、私達人民の安全や平和などではなく、そのおぞましいほど肥大化した、自らの醜悪な欲望だけなのである。

「ハードコア・パンクの歌詞を読む ―Debacle Path 別冊1」より