訳者あとがき『MDC あるアメリカン・ハードコア・パンク史 ―ぶっ壊れた文明の回想録』

『MDC あるアメリカン・ハードコア・パンク史 ―ぶっ壊れた文明の回想録』ですが、絶版でもあるので、訳者あとがきをこちらにも掲載します。
※漢数字をアラビア数字に改めてあります。



『MDC あるアメリカン・ハードコア・パンク史 ―ぶっ壊れた文明の回想録』(2019年5月発行)
訳者あとがき
鈴木智士/Gray Window Press

 MDCはその前身のStains時代を入れたら、今年2019年で活動40年目。活動歴それ自体がハードコア・パンクの歴史とそのまま重なる最古参バンドのひとつだが、それゆえに、世代によって最初に聞いた音源が全然違うバンドかもしれない。ただ本書の第24章にも登場するが、ニルヴァーナのカート・コバーンがそのフェイバリットにも挙げているファーストアルバムの『Millions Of Dead Cops』は、アメリカン・ハードコア、いや、あらゆるハードコア・パンクのマスターピースと言える名盤中の名盤であることは疑いがないだろう。再発を繰り返し、今も世界中で流通されている。私が最初に手に入れたMDCの音源も、このファーストアルバムとシングルなどが集められた、『Millions Of Dead Cops / More Dead Cops』というCD(のフランス盤)だった。
 正直なことを言えば、レコード、音源を全部集めるほど一生懸命追いかけたバンドではないが、そのファーストアルバムは私がハードコア・パンクを聞き始めた十代の頃はもちろん、今聞いても速くて激しくて、何よりこの警察=目に見える最も身近な「権力」をターゲットにしたバンド名がかっこいい、という印象はいつまでも変わることがない。そもそも、特にパンク、ハードコア、スラッシュ、クラストなど何でもいいが、服を買う金もなく小汚い格好をして、カラフルな髪、長髪、ドレッドロック、タトゥーに刺青もごく当たり前の私たちのようなパンクスにとって、警察は厄介な存在でしかない。いや、日常生活においてや、デモに参加したとき、醜悪なレイシストのデモに対するカウンター行動に赴いたとき、どんな場合でもいいが、「警察さんありがとう」なんていう場面に遭遇することも、まずない。見た目で判断されて職質を受け続けたら、MDCのアルバムを聞きたくもなる。本書にも登場する数々の警察関連のエピソード(学生時代、薬瓶を万引きしただけで警官に撃ち殺されたデイヴの友人の話もあった)を読んだあとなら、その感覚は世界中どこでも同じようなものなんだと感じることだろう(80年代のベルリンやオランダの警察は無抵抗でおとなしそうだったが…)。現にアメリカでは、今も黒人が黒人というだけで警官に撃ち殺される、そんな権力機構が存在する世界に私たちは生きている。
 そう、改めて言うまでもないが、MDC=Millions of Dead Copsというこれ以上ないくらいの反権力的なバンド名は、それ自体がハードコア・パンクのあり方を体現しており、権力となるものへの批判、あらゆる差別への徹底的な抗議、そして平等主義を掲げ、それらの信念に妥協しないバンドのみが名乗ることのできる名前なのだ。名は体を表す。

 2016年5月に発売された本書のオリジナル版を手に入れたのは、MDCの最初の来日ツアー時、2017年2月2日の新大久保アースダムでのライブのMDCの物販においてだった。MDCの初来日だったあのツアーは、まあとにかく彼らのパフォーマンスが素晴らしすぎて、久々にライブを見て感涙しそうになったくらいだったのだが、翌年の再来日でまた見た時も相変わらずの熱量を持ったライブをやっていて、このバンドは一体このあとどう進化していくのだろうと、楽しみにすらさせてくれたのを覚えている。
 本書のオリジナル版を読み、DIYパンクのジン、El Zineの第28号(2017年12月発売)にその書評を掲載してもらった縁から発展して、本書の著者でMDCのヴォーカルのデイヴ・ディクター本人と連絡を取るようになり、その流れで今回日本語版を出版することになった。原著の出版社であるManic D Pressからは、本書のイタリア語版の出版も進行中だと聞いたが、80年代から今に至るまで続く、MDCとイタリアのスクワットやバンドとの強い結びつきを考えると、それはとても自然な流れに思える。
 ここ日本では、「アメリカン・ハードコア・パンク」についての書籍というのは、デイヴ・ディクターも出演しているが、ドキュメンタリー映画にもなったスティーヴン・ブラッシュの『アメリカン・ハードコア』(メディア総合研究所、2008年)がただ一つあるだけだと思うが、同書はデイヴやDicksのゲイリー・フロイドのことを、「アメリカ史上最悪の悪夢だった。あの二人は口汚いホモのコミュニストだ」(P.57)と書いていた(同書は網羅的資料としては素晴らしい本だと思うし、部分的には二人のことを褒めてもいるのだが、基本的にマッチョなアメリカン・ハードコアを好むスタンスの本なので、まあその罵言も「当然」の反応と言えるが)。じゃあその「口汚いホモのコミュニスト」は、一体どんな思いでバンドをやってきたのだろうか。アメリカのハードコア黎明期から存在したマチズモやセクシズム、レイシズム、ホモフォビアなどに、どのように対峙してきたのだろうか。その精神、行動は、当然この本でデイヴにより語られている。そしてもちろんそれはデイヴだけではなく、本書によく登場する人物で言えば、MDCの他のメンバー(個人的には、亡くなる前にはホワイトハウスの前でハンストをしていたという初期のベーシストのひとり、フランコ・メアズのことがもっと知りたい)や、先述のDicksのゲイリー・フロイド、Maximum Rocknroll創設者のティム・ヨハナンなどの姿勢にも見られることだ。ジェロ・ビアフラも本書へのコメントで言っていることだが(帯裏面参照)、そういった先人たちがその身をもって実践してきたハードコア・パンクの思想の積み重ねの上に、今のバンドやシーンがあるわけだ。そのようにハードコア・パンクの歴史を再認識するという意味で、あくまでデイヴ・ディクターの自伝であるこの本だが、日本語版にはあえて「あるアメリカン・ハードコア・パンク史」というタイトルを付けた。時代は常に変わるが、その時々において、何がパンクなのか、ハードコアなのか、クソッタレな社会に抵抗することとは何か、そこで躓いたとき、自問するときには、この本を開くと、何か答えが見つかるかもしれない。

 ただ、欲を言うとキリがないが、文中にも書かれるように、デイヴ・ディクターは自身のことをバイセクシュアルと自認しているのだが、それがうかがえるエピソードがあまり登場しないのは本書の惜しい点かもしれない。逆にデイヴの文章からも伝わってくる「男性性」というものは、残念ながら自覚していても知らぬ間ににじみ出てきてしまうもので、初期MDCのマネージャーだった女性、タミー・ランディーが、デイヴのマッチョ性がセクシズムにつながらないか注意して見ていたように、今でも「男性」が多くを占めるこのハードコア・パンクのシーンにおいて、「男性」以外からの声はとても重要だ。「男性」だけでそういった誤りに気付けないのも情けない話だが。これはデイヴが書いているように世代の問題も絡んでくるのかもしれないが、それくらいこの男性性というものは根が深い、ということにも本書で改めて気付かされる。
 読者によっては他にも、あれ? と感じる部分もあるだろう。これからレバノンに向かう海兵隊のためにライブをする、というのは、それは「ポリティカル」なハードコア・バンドとしてそもそもどうなのか、とか…。気になった点はデイヴに直接聞いてみてほしい。ちゃんと答えてくれるに違いない。
 MDCはこの本が出た数週間後、2019年6月後半に3度目の来日ツアーを行う。この間もツアーをしていたようだし、今回も素晴らしいショウを見せてくれることだろう。デイヴ・ディクターのパフォーマンスの裏には、ここで語られるハードコア・パンクの歴史が目一杯詰まっていることをさらに感じられるはずだ。

 なお今回日本語版の出版にあたって、原著の誤植と思われる点は、オリジナル版の出版社、著者本人に確認して適時修正を行った(デイヴの記憶があいまいで確認し切れなかった点もあるが、それはもう遠い昔のことなので仕方がない…)。原著よりも情報が確かだ、などと言う気はないが、特に80年代前半のアメリカ各地やヨーロッパツアーの話で登場する、いわゆる「クラシック」なバンドとの交流や対バンの話などは、ハードコア・パンクが基本的にそのクラシックを支持/踏襲する姿勢を持つ音楽であるからこそ、より読者の想像力をかきたててくれると思う。ライブでジョイントが飛び交う一連の「ロック・アゲインスト・レーガン・ツアー」や、MDCが1983年にオランダのスクワットでPandemoniumと、またその同じツアーのミラノ編ではWretchedと対バンしてたなんて、タイムスリップして見てみたいじゃないかと。

 今回、どこの馬の骨ともわからない私に、翻訳、出版の機会を与えてくれたデイヴ・ディクターと、Manic D Pressのジェニファー・ジョセフのお二人にはまず感謝を伝えたい。この気軽さがDIYパンクの醍醐味でもある。質問に答えてもらうたびに、友人たちとの写真、タイで象と戯れる写真なんかを送ってきたり、一度なんかはメールがハッキングされてちょっとした騒動もあったが、デイヴは本当に気さくでオチャメでステキな人だ。
 現在アメリカやイギリスでは、オリジナルのハードコア・パンクの世代や、もう少し最近の、90年代に活動していたバンドの人たちがよく自伝を出しているし、DIY、アンダーグラウンド・レベルのライターが、当事者へのインタビューなどを元に当時のムーブメントをアーカイブし、様々な角度から書き上げた本も多数出版されている。今後もこの出版レーベルを通じて、そういった本を日本語で紹介できたらと思う。まあ続けられるほどの需要があればの話だが…。
 日本語訳で既刊の海外のDIYパンク関連の本では、本書にもその有名な〈ダイアル・ハウス〉でのエピソードが登場するが、MDCの『Multi Death Corporations』7インチEPも当時リリースしていた、デイヴも大好きなイギリスのアナーコ・パンクバンド・Crassについての本、『The Story of Crass』が以前河出書房新社から出ていた。ただああいった本こそ、私たちが日頃から親しんでいるレコードやCDのような音源と同じように、DIYパンクのやり方で出すべき本だったのではないだろうか。そうすれば、最もよく知られたCrassのスローガン、“Fight War Not Wars(戦争を戦うのではなく、戦争と戦え)”の誤訳も起きなかっただろう。「DIYパンクは独占的で閉鎖的だ」ということではもちろんなく、この文化においては、やれることを「自分(たち)でやる」ことが、どこまでも重要なのだ。

 この日本語版の出版にあたり、様々な方にご協力いただいた。翻訳を手伝ってくれた私のパートナーのAKアコスタ、これまでのMDC日本ツアーを企画している張本人の、中野ムーンステップ、Flipout A.Aのナオキさん、限られた時間・予算の中で校正をしていただいた渡邉潤子さん、かっこいい装丁を仕上げてくれたScumraid, The Vertigosのイ・ジュヨンさん、またその他にも、訳語の質問や、細かい相談を何人もの友人にさせてもらった。この場を借りてお礼を申し上げたい。ありがとうございます。