【寄稿】初期あぶらだこの歌詞が描きだす日本のリアルな情景

初期あぶらだこの歌詞が描きだす日本のリアルな情景
楠間あゆ

 80年代前半のパンクバンドの中であぶらだこは異彩を放っていた。歌詞表現の秀逸さと、独特の世界観は類を見ず、40年経った今でも色あせていない。
 私が初めてあぶらだこを知ったのは1983年に『Great Punk Hits』というオムニバスアルバムが出たころで、私は高校生だった。このアルバムに収録されたあぶらだこのヴォーカリストの声は、当時私が持っていた「普通のパンク」のイメージからはあまりにも乖離していたが、密度の高い緊張した音とスピード感ゆえに、私の一番のお気に入りになった。そのアルバムに歌詞は提供されていなかったが、「がなり立てているのだから、どうせ聞き取れないだろう」くらいに思い、あまり注意を払わなかった。しかしその後、渋谷だか新宿だかのライブハウスで初めてあぶらだこを観た私はうろたえ、「好き」なんてとても言えないと思った。というのは、ヴォーカルのヒロトモ氏は眉を剃り、詰襟の制服という、いわゆる長ランのツッパリ(今で言うヤンキー)スタイルだったからである。ツッパリは学生のうちは教師という権威に反抗するという点でパンクスと重なる部分があるものの、学校以外の権威には従い男尊女卑バリバリだ。だから私はツッパリが大っ嫌いで、ヒロトモ氏の格好を見て「パンクなのになぜ」とショックだった。ストレートな政治的スローガンや服装、行動や態度—それらがセットでパンクなのだと当時の私は思っていて、あぶらだこのライブの様子はその規格外だった。そんな単純さゆえに、私はつい最近まであぶらだこを無視していた。
 しかし最近になって、ツイッターに投稿された安保法制反対のデモのビデオを目にした時、ずっと忘れていた、不明瞭なあぶらだこの歌詞が脳内に突然浮かんだ。ビデオの中では仏教の僧侶たちが集団で為政者たちを呪う姿があり、デモと宗教という私にとっては全くかけ離れた二つが一つになっていた。そこには自分がこれまで知らなかった「怖さ」というものが確かにあり、その映像が私に、そういえばあぶらだこも「呪い殺せ」とか、「神が語ったことば」などと歌っていたな、と思い出させたのだ。その歌詞が表現する世界は、私が高校時代に「パンクらしい」と信じていたような、単純なスローガンとは違う地平にある何かなのだ。その気づきが、この記事を書くことにした理由である。
 この記事では初期のコンピレーション・アルバム『ADK Years 1983-1985』(以下『1983-1985』) にフォーカスし、前半ではアルバム全般の背景を扱う。後半では例として初期あぶらだこの代表曲と言える「米ニスト」の歌詞を取り上げ、アルバム全般の背景と関連づけて掘り下げ、解釈を展開する。

【ヒロトモ氏とことばと音楽の関係】

 まず全体の背景的情報として、ヒロトモ氏が歌詞を作る際に何を重視しているか見ておこう。『1983-1985』に収録されている曲は、ヴォーカルのヒロトモ氏が全面的にあぶらだこの歌詞を担当していたと記憶している。この時期はあぶらだこの最初期に当たるが、当時その歌詞はすでに話題になっていた。私は一介の観客として東京のライブハウスに通っていたのだが、対バンのメンバーたちがどこかの雑誌の記事を引用して、「あいつ(ヒロトモ)は天才なんだってさー」と羨望まじりに話していたのを覚えている。ヒロトモ氏のインタビュー(「BURST」2001年1月号)によると、日本語の響きや漢字がもつ意味の広がりに可能性を感じていたらしい。彼の書く歌詞はその後さらに発展し、造語も増えて難解になってゆくのだが、外来語や英語が少し混じった初期の歌詞でも、そうした志向性を感じとることができる。
 のちに音楽性がどんどん変化したあぶらだこだが、ヒロトモ氏は初期に「ジョン・ライドンに影響を受けて歌っている」と発言しており、Lip CreamやLaughin’ Noseに参加していたマルがドラムを担当していたこの時期は、最もパンクらしいサウンドだ。

【『ADK Years 1983-1985』 が描くもの—故郷・卑近な日常・悩み・ウヨク・宗教・民俗的世界】

 さて、次に『1983-1985』全体において、その歌詞が描き出している世界を見てみよう。すると当時のパンクシーンにおける(そしてその後につながる)あぶらだこの異質さが見えてくる。
 ヒロトモ氏は前出のインタビューで、「日常生きているまわりのこと」を歌詞にしていると言っている。“忍耐”では文部省唱歌「故郷」の歌詞や、テレビアニメ「忍者ハットリくん」が締めに言う「ニンニン」を入れたり、キリスト教の神の愛の深さや対象のメタファーである髪の毛や羊(そしてカエル)だけを愛している「誰か」を登場させている。“エルサレムの屈辱”では偽善的キリスト教徒らしき「友」を非難しつつ、悲しい事件やことばの「悩み」を忘れてしまえと自分に言い聞かせており、故郷と少年時代への回顧が随所に見られる。“WHITE WOLF”は三三七拍子やかけ声など、明らかに応援団チックだ。それに加えて“エルサレムの屈辱”で歌われる「愛国マゾヒスト」や“絶句”の「歌舞伎町で/サンシャインビルで割腹してくれ」は、ウヨク的な匂いをただよわせる。“LOGOS”は歌舞伎調の発声による宗教的法話風の台詞回しから始まり、子供向け特撮テレビドラマの曲調に移る。原爆のような平和問題のキーワードをまじえつつ、上記はいずれも変哲のない日常生活において見つけられた素材を使って描き出された光景という感じだ。
 しかしそれは一部のフォーク歌手が歌うような民衆の日常の辛苦でも、政治的メッセージでもない。“原爆”の曲のあとに入っている会話は、原爆であの世に行った人たちの会話だろうか。ここでは「創価学会、パンク…ホントはウヨク」などと言い、ソーラン節を歌っている。“煉瓦造りの丘”では「呪い殺せ」ということばを使っている。キリスト教や創価学会、法話風の台詞に加え、“ランニング・ハイ”では「神の語ったことば」に言及するなど、ヒロトモ氏の歌詞には宗教的なモチーフが満載である。
 こうしたスピリチュアルな世界観が、ヒロトモ氏の「悩み」や問題に対する独特の解決策につながっているように思う。彼のインタビュー記事「語録 長谷川裕倫」(「フールズメイト増刊:あぶらだこ」1989年)を読み進めると、彼が吃音で、それはそれは苦労したことが分かる。当時は職安(ハローワーク)でも門前払い、就職面接で上手く行かず、吃音の問題を克服するために修行というか苦行のようなことをしていたようだ。私からすると、権利と義務はセットだなどと信じられている日本で、尊重されるべき人権をもつ市民となるには少なくとも住所と職業が必要なのだと実感することが多々ある。後ほど詳しく述べるが、自分の居場所がある故郷を離れて、このような経験をする中で、自分が人として尊重される場所は東京にはないとヒロトモ氏が感じたとしても不思議はないだろう。私がパンクらしいと信じていたような、単純な政治的スローガンで表現できる政治観というのは市民社会意識と相性が良いが、修行や苦行という自助努力に解決を求めるのは、それとは真逆に見える。
 このようにヒロトモ氏の歌詞の舞台は故郷や現代の都市であり、そこにはテレビアニメや応援団、歌舞伎といった文化的実践が描かれている。さらにはあの世すら舞台となり、ソーラン節が歌われている。つまり彼の目から見た日常世界とは、民衆文化や信仰が共に息づく現代の民俗的世界なのだと思う。そしてそれは明らかに当時の他のパンクバンドの歌詞のそれとは一線を画しているが、「いかにも政治的なスローガン」を歌わないこと以上に、民俗的世界観もまた、日本のパンク界隈ではお門違いと思われてもおかしくないだろう。

【宗教的モチーフと社会政治観】

 私は典型的な東京郊外の新興住宅地で生まれ育ち、日本の宗教的伝統や実践と接触することが少ないまま今に至る。しかし前述のモチーフを手がかりに歌詞を解釈するためには、ヒロトモ氏の出身地において宗教がどういった意味を持つのか、前知識を得ておく必要がある。
 ヒロトモ氏の出身地である島根県は、出雲の国だ。というわけであまりにも有名な出雲神話のイメージを即座に想像してしまうのだが、ヒロトモ氏自身も自分の出身地は神秘的な地域だと表現していた。先に挙げた「フールズメイト」のインタビューでは、要約すると以下のように語っている。

山で消息を絶ち「半年後に犬っぽい姿かたちで帰って来」た人とか、「血が濃い」がゆえに問題があるとされる子供など、医者や科学者が困る現実が彼の故郷のコミュニティにはある。言語障害や精神病の人はサニワ(審神者)のところに連れて行かれる。サニワのような人は役割分担として人間の手に負えないことを扱っており、お告げによる解決を提供する。みなそれを胡散臭いとは思ってはいるものの、それは人々がどう扱ってよいか分からない人たちに対して、居場所を提供する結果になっている。同時に人々は、人間は完全ではなく、「警官や法律や現金以上に畏怖すべき対象というものが存在する」と認識する程度には謙虚さを持ち合わせている。ヒロトモ氏の出身地の近所の人々は、特定の宗教には帰属していないという建前で、さまざまな宗教を実践しているが、「霊界物語」はどこの家でも揃えていて、王仁三郎は想像がつかないくらいカリスマ扱いをされている。また地元では行者信仰もスタンダードである。

 サニワというのは古代神道で神託を受け神意を解釈して語る人らしい。また、「霊界物語」というのは明治25年に創設された大本という神道系新宗教のリーダー出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)が書いた経典の一つである。近代化の中、あまりにも過酷な貧しさと不幸を経験した一介の女性出口なおが、55歳の時に神懸かりになったのがこの宗教の始まりで、大本は世直し的なビジョンを打ち出してゆく。王仁三郎はなおの娘婿となり、大本に実体を与える役割を担った人物だった。
 大本は大正10年と昭和10年の二回、不敬罪などの理由で大日本帝国政府による弾圧を受けている。昭和10年に王仁三郎が検挙された場所は、ヒロトモ氏の出身地、安来に隣接する松江市の大本教島根支部で、その日は約二千名の信者によって祭典が挙行される日だった。この第二次大本事件では幹部44人が検挙され、信徒1500人が取り調べを受けた。この検挙の後、本部や全国の別院を破却するために、21日間で1500発以上のダイナマイトが使用されたという。新聞は連日邪教だ、国賊だ、とセンセーショナルに騒ぎ立てた。特高による取り調べでは小林多喜二と同じような拷問の手法が用いられ、耐えかねて発狂する者や自殺する者が続出した。信者たちも迫害を受け、失職したり、離縁や勘当をされ、経済的にも社会的にも追い詰められて、発狂し自殺したり、行き倒れになる者が出た。容易に忘れることのできない、あまりにも凄惨な記憶。それがヒロトモ氏の歌詞の背景の一部を成していると考え、解釈の参考にするのは、そんなに不自然ではないと思う。

【米ニストの歌詞を解釈する:(1)剃り込みジジイ】

 前置きが長くなったが、ここからが本題である。“米(コメ)ニスト”の曲は1983年の『Great Punk Hits』というオムニバスアルバムに収録されたのち、OKレコーズの『あぶらだこ1983-1984』(通称『OK盤』)としてリリースされた。いずれのリリースにも歌詞が提供されていないが、ここでは2008年にP-VINEから出された編集盤『ADK Years 1983-1985』から聞き取ったものを挙げておく。ネット上には多くの人が試みた歌詞の文字起こしがあり、私の聞き取りと異なる部分もあるため、参考のためにカッコ内に示しておく。
 特筆したいのは曲の後半部で「I’m 米ニスト」の発音が「I’m コミュニスト」とか「愛国ニスト」に聞こえることだ。ことば遊びや音の置き換えが好きなヒロトモ氏のこと、私の聴き間違いというより、意図的なバリエーションだろう。


米ニストの歌詞

湯船の中で  クソしてくれ
自殺の原因  因果でfry(減反のcry / 喧嘩に不和)
酸素の中で  叫んでくれ
剃り込みジジイの  ハルマゲドン (春が来て)

I’m 米ニスト
I’m 米ニスト

何回死んだか(だんだん死んだか) 解らぬや
何回生きたか(だんだん生きたか) 解らぬや
前頭葉から  屁が出る(芽が出る)
剃り込みジジイの  ハルマゲドン (春が来て)

I’m 米ニスト
I’m 米ニスト
I’m コミュニスト
愛国ニスト

 この曲の主人公は剃り込みジジイである。現在はツーブロックなどの髪型を剃り込みと言ったりするらしいが、当時はヤクザっぽいパンチパーマやリーゼントを際立たせるために、額の左右をM字型に剃り込むことを意味していた(イラスト参照)。こうしたスタイルを好むのはツッパリで、1980年にデビューし、テレビで絶大な人気を誇っていた横浜銀蠅やそのファンがその典型である。彼らはウヨク的スローガン(「愛国」「八紘一宇」など)を取り入れた語りや服装を好んだ。
ジジイ
 私が思うに大人のパンチパーマは、80年代の地方の農村ではそれほど珍しくなかった気がする。剃った部分は伸びるとタワシのようになるだろうから、せっせとメンテナンスしないと迫力のある容貌でなく、ただの面白い人になってしまうので、剃り込みは軽い気持ちではできないだろう。いずれにせよ会社勤めには難しいと思われる。そういうわけで、ウヨク志向かどうかは分からないが、この剃り込みジジイの風貌は、少しコワモテであることが想像できる。
 「湯船の中で クソしてくれ」という歌詞は、ボケて他の場所でするくらいなら湯船でしてくれ、ということか、それとも便秘なのでそれで出るならそうしてくれということか。前頭葉の老化は、意識障害や見当識障害、言語障害を引き起こす。そこから屁が出るというのは、機能しそうでしないスパーク状態といったところか。いずれにせよ、ジジイは高齢であると想像できる。1983年当時に高齢であれば、太平洋戦争中の兵役経験者であった可能性は非常に高い。彼はどんな人生を送ってきたのだろうか。

【米ニストの歌詞を解釈する:(2)因果でfry】

 私は最初、「因果でfry」の部分を「減反のcry」だと思っていた。曲のタイトルが「米」だから、このことばで解釈を進めるのはアリだと思った。前述のように、ヒロトモ氏の出身地は島根県安来市だ。平成16年に安来市に合併した広瀬町のデータを見る限り、 1960年から1980年の間に農業人口が約半数になり、農業で食う農家が減って、農業以外の収入に頼る農家が5倍近くに増え、年寄りだけが農業をする形になった。もし剃り込みジジイが当時60歳以上の農家だったとしたら、政府から戦後、食糧自給のための米作りを奨励された経験をしただろう。しかしその後農業の近代化や米の消費量の減少で、減反政策がはじまった。米は地域の祭りや宗教、共同生活の一部でもあるが、それも減反と同時に消えていったことが想像できる。
 ……などと「米」に関係させて減反のことを考えていたのだが、「減反」ということばを聞き取ったと言う人はネット上では見つからず、Debacle Pathの編集の鈴木さんも「減反には聞こえない」と言うので、あぶらだこのオフィシャルサイトに問い合わせをしてみた。するとスタッフの方から、ヒロトモ氏が言うには、この部分は「因果でfry」だとの返事を2023年1月18日にいただいた。
 全体的な宗教的モチーフも併せて考えると、「因果」は前世や過去の悪業ゆえに現在の不幸があるという仏教用語だろう。fryは英語だとすると油で揚げる・炒めるという意味か、稚魚、もしくは今回初めて知ったのだが、電気椅子で処刑するという意味もあるらしい。

【米ニストの歌詞を解釈する:(3)何回も死んで、生きて、ハルマゲドンの行き着く先】

 この曲で剃り込みジジイは「自殺」を図り、失敗して医療機関で酸素吸入しているようだと想像できる。自殺の原因は、過去の悪業と呼ばれる何かゆえの現在の苦しみだ。それはジジイ本人が「悪業」と認識したものなのか、他人から「悪業」とのレッテルを貼られただけのものかは分からない。しかしこの自殺は初めてのことではなく、彼は自殺未遂を何度も繰り返して来た。そしてジジイの自殺はその都度、彼のハルマゲドン、終末の決戦なのだ。
 では剃り込みジジイの自殺の原因とされる「悪業」とは具体的には何だったのだろうか。 王仁三郎は農業と食糧生産を国家の根幹に関わる問題と位置付け、大本の教義は今でも農産物を天恵物と呼び、農や食に関係する活動を展開している。そういう意味では前述の減反政策に関連した私の想像は、あながち無関係ではないかもしれない。米ニストのジジイも、もしかしたらこうした考え方を支持し、国民の腹を満たすための米の自給を望んでいたかもしれない。何らかの理由で「共産主義者(コミュニスト)」呼ばわりされ批難されていたジジイは皮肉を込めて自分を米(アメリカ)ニストと呼んだかもしれない。戦後日本政府はアメリカに詰め寄られて農作物輸入を了承し、日本の農家に転作や減反を迫り、稲が青いうちに刈らせるという愚まで要求するようになった。戦前は敵だったアメリカに従わざるを得なくなり、生きるために不可欠な食糧の生産が徐々に奪われるようになっていった。しかしジジイがこれらの意味で「米ニスト」であったとしても、自殺へと追い詰められるのは理不尽ではないのか?
 この“米ニスト”の歌詞に描かれているのは、酸素を吸入し、苦しみ悶えているジジイの姿である。ジジイの苦しみは、アメリカに翻弄される、出口のない閉じた日本で、修行や自己鍛錬といった自助努力によってしか解決を見出せない状況からくるものだと思う。それは分かりやすいスローガンではなく、今も実際に多くの弱者が直面している現実の世界だ。終わりのない輪廻を運命づけられているような、耐えがたい苦しみが、こんなに短い歌詞で表現されている。では繰り返し経験されるハルマゲドンはどこに行き着くのか。
 歌詞はもう一つの出口として、自助努力の先につながった霊的な世界を提示している。ビデオを観て私が怖いと感じた仏教僧侶たちの呪いは、この世を超えた深く底知れない世界を感じ取らせるようなもので、“米二スト”の歌詞はそうした地平から政治を見る人たちの存在を私に問いかけてきたのだ。“米ニスト”はアメリカ国家が使用していた電気椅子のメタファーを用いて、老人が地獄絵さながら「悪業」ゆえの「自業自得」という責めの下に処刑され、人肉が焼かれ、その臭いとともに煙がぶすぶすと立ち上る凄惨な情景を、サウンドと共に我々に提示している。私が感じるこの怖さの底には、そこにははっきりとした政治論がないとしても、“米ニスト”が持つ独特のエネルギーがある。このエネルギーは同アルバムの他の曲と比較すれば分かるとおり、速いスピードと、凝縮し密度の高い緊張したサウンド、他の曲とは違った叫ぶスタイルのヴォーカルによって、怒りとして表現されている。歌詞はジジイに呼びかける。ジジイよ、息を止めるな、叫んでくれ。俺はコメ主義者だ / 俺はアメリカ主義者だ / 俺はコミュニストだ / 俺は愛国ニストだ、と。ジジイよ、己を肯定しろ、生きろ、と。

参考文献:
・安丸良夫『日本の近代化と民衆思想』平凡社、2021 [1999].
・「おかやま人物往来58 黒住宗忠」岡山県総合文化センターニュース No.424、p.3、平成12年11月10日発行
・東京朝日新聞「悪質の不敬事件 教主を「ある存在」とし信者に盲信を強ひる」昭和10年12月8日号外(王仁DB 出口王仁三郎と霊界物語の総合検索サイト リンク
・早瀬圭一『大本襲撃—出口すみとその時代』毎日新聞社、2007.


楠間あゆ
80年代に都内のライブハウスのギグを観ていた。その後一旦パンクから離れて東南アジアをうろついたりしていたが、50歳を過ぎてやっぱりパンクのテクスチャーが自分の皮膚感覚に合っているんだと実感している。コロナ収束後、早くギグに行きたい。


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