2024年もお世話になりました。
今年は「Debacle Path別冊2」を出しただけだったが、同別冊の目玉、「パンク本座談会」での『パンクの系譜学』批判からは、アカデミックにアンダーグラウンド文化を取り上げることの是非、のようなところにまで議論が(一部で)発展した気はするので、その点は出してよかったと思っている。ただパンク・シーン内でそういった議論が起こったかというとそうではなく、優等生的リベラル・パンクスも増えた昨今、アカデミズムや、ブル新、NHK等といったメジャーなメディアのような、「お上」「権威」から認められたいという、成り上がり願望、上昇志向や承認欲求のようなものは、以前よりも強くなっているのかもしれない。(すべてではないが)パンク、ハードコアがなぜアンダーグラウンドでやっているかの意味は今一度考えられるべきである。
(「オフショア」の山本佳奈子さんが「カルチュラル・タイフーン」のBad Brainsパクリポスター問題と合わせてブログで取り上げてくれているのがいいまとめになっているので、未読の方は読んでみてほしい。『パンクの系譜学』著者の川上幸之介氏はこのポスター問題も含めて(パクリポスターを「デザイン」したのも同氏)、無視&ブロックを決め込んでいるのでまったく話にならないが…。)
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ここ数年やっていなかったが、今年は「その年よかったもの」を再開した。音楽に限らず、本、映画、ドラマなど何でもありにした(ランキングではない)。以下Debacle Path寄稿者5名+私のよかったものです:
執筆者:
楠間あゆ
エリフ・エルドアン
Terroreye
久保景
A. K. Acosta (only in English)
鈴木智士
楠間あゆ
・ザ・ゲスイドウズ(監督:宇賀那健一、2024年)
ポップな4人組パンク・バンドのザ・ゲスイドウズは一発ヒットで世界中に名が知れ渡るも、その後全く売れず、マネージャーから過疎化した農村に滞在して曲を作るよう命じられる。全体的にまんがちっく(コミカルというよりひらがなのこの語が似合う)な演出で、どっかで見聞きしたことあるようなストーリーだ。素晴らしいカメラワークはないし、役作りも最低限。ロック・スターは27歳で世を去る、と信じて疑わないハナコは、毛筆で書いた文字のカットアップ手法で、ヒラメキによる曲作りをするのだが、毛筆の文字とインテリアや和服を組み合わせた美術は良い仕事をしている。プロデューサーが東京フィルメックスのQ&Aで、メンバーのうち二人の役者は現役のミュージシャンだが、高崎の農村ロケは一週間で終え、バンド演奏もその間に数回一緒にやっただけと言っていたので、作中で演奏に合わせて飛びはね叫ぶ夏子はすごいと思った。ほのぼのしたい人向け。
・生きづらい明治社会——不安と競争の時代/松沢裕作(岩波ジュニア新書、2018年)
2024年は通俗道徳にハマってしまい、関連書を読むことが多かった。通俗道徳という語の提唱者・安丸良夫の本は難しくて読むのに時間がかかるのだが、この本はジュニア向けで分かりやすいうえ、現代社会と共通する不安定雇用、貧困、立身出世のための競争やそのしわ寄せといった明治社会の不安を、広く通俗道徳のワナとの関係で考察していて勉強になる。勤勉、倹約、親孝行といった徳目の実践は必ずポジティブな結果をもたらす、ゆえに「弱者も貧困者も怠惰の帰結だから自己責任」と弱者を切り捨てる通俗道徳のワナは、まさに現代の生きづらさとかぶっていて、支配者に都合のよいイデオロギーだ。ほかの通俗道徳関連の本では女性がどんなしわ寄せを受けるかあまり触れられていないのだが、この本の「第6章「家」に働かされる」では女性が「家」(家制度の家)に従属する者として人身取引の対象であり続けたことが書かれている。ちなみに、現代でも同じような問題があることは、以下の映画や本からも分かる。
・あんのこと(監督:入江悠、2024年)
2020年の新聞に掲載された、実際の事件を題材にしたフィクション。娘を虐待する母親から売春で稼いでこいと要求され、覚醒剤で捕まったあと、自立を目指して進む少女・杏を河合優実が演じる。なぜ暴力家庭から逃げることが難しいのかが分かる構成になっている。特筆すべきは、このケースが通常より過酷とはいえ、現実では子供の被害が「親孝行」として美談にすらされるチャイルドケアラーの親子逆転問題を、はっきり問題として描いていることだ。生活保護の水際作戦に代表されるような、家族を問題のゴミ溜めにして切り捨てる通俗道徳的価値観や、良い人と悪い人の境目の曖昧さ、支援の使いにくさなど、困難の背景もよくリサーチされている。カメラワークも印象的。
・家族と国家は共謀する——サバイバルからレジスタンスへ/信田さよ子(角川新書、2021年)
著者は深刻さが理解されにくい母娘関係の問題を「墓守娘」という言葉で表現したことで知られる臨床心理士だ。日本社会と家族の暴力構造の中核には、強者による権力行使に対して抵抗するのでなく、自分より弱い者に向かって同じように権力行使する『抑圧委譲』(丸山眞男)があると指摘し、家族もそのような暴力構造を持つものと捉えたうえで、臨床事例を用いて議論を展開している。家族内虐待被害者と戦争神経症者の共通点として、家族イデオロギーや国家イデオロギーの正当化のために被害が否認・隠蔽されていると指摘する。被害を「なかったこと」にさせず認知させる、そして自らも被害を認知すること自体が「抑圧委譲」へのレジスタンスになるのだという。被害者の苦しみは自由な個々人の自己責任ではなく、社会の問題だと主張する著者からは、自らも「レジスタンス」に連なる気迫が感じられる。
今年改正(改悪)された共同親権に関する家族法や、自民党の憲法改正案24条は、いずれも旧統一教会が掲げる家族像に合致する。家族を暴力装置化するこの動きに対し、個々の「レジスタンス」はどう立ち向かって行けるだろうか。
エリフ・エルドアン @eliffatale
・【Live】マダムロス(2024/7/6@桜台pool)
私は学校の先生なのだが、コンサートに行って生のパフォーマンスを観るのと、Spotifyで音楽を聴くのとでは、どんな違いがあるのかと生徒に質問されたことがある。Spotifyの方が自分の好きなように音楽をコントロールできて便利だと彼らは言うのだ。その不意な質問に対して、私は満足のいく返事ができなかった。今回この年末の記事を書くことになって、なぜ生でライブを観ることが重要なのかということについて、マダムロスのライブを思い出している。
私がパンクのライブに行くのをやめたのは、男たちからぶつかられたり、叩かれたりすることが何度もあったからだ(「ぶつかる」というのはモッシュピットのことじゃない。モッシュピットは別に気にしないし、何ならモッシュピットの中に入るのは私も好きだ)。とにかく不快だし、そういった男たちは、自分で何をやっているのかをわかってやっている。故意なのだ。そういう情況だとたいていは、ああ自分は歓迎されていないのだと感じる。楽しいだろうと思ってライブに行くのに、早々に家に帰ることになる。
セーフスペースという概念は、様々なところ――学校、公共交通機関、職場、コミュニティ、あるいはパンクのライブなどですら――で議論されてきた。ただしパンクにおいては、特定のベニューや企画者たちを除いては、セーフスペースというものは議論されていない。パンク・ミュージックが好きなひとりの女性として、私が楽しんだり、どこかに“なじむ”という権利が他の誰かによって妨害されるのは、ただただ苛立たしい。
私はマダムロスというバンドを長い間追いかけてきた。彼女たちの音楽や姿勢には、フェミニスト的、クィア的な特徴があって、マダムロスが出れば、そのイベントは楽しめるということはわかっていた。マダムロスのようなバンドがいれば、他の政治的で進歩的なバンドやミュージシャン、おまけにオーディエンスもその場に参加するはずだ。
マダムロスの音楽は気まぐれで、私たちが見落としがちな日々の生活とのつながりをもたらしてくれる。ライブもとてもいい。自分が好きなもの、嫌いなものを、速いビートに乗せてドラマーが叫んでいるのを見るのも時には楽しい。ミュージシャンがライブの最中に、メンバー同士やお客さんとコミュニケーションを取っているのを聴くのも楽しい。同じような興味を共有しながら、その瞬間を一緒に過ごせるオーディエンスのひとりになれるのもいい。
マダムロスのようなバンドのおかげで、自分から奪われてしまったと感じていたものがまた楽しめるようになった。マダムロスのようなバンドのおかげで、私と同じような境遇の人たちが居場所を作ることの重要さを考えることになる。この日見たライブでは、彼女たちは何も特別なことはやらなかったが、それでもその存在自体がとても重要だった。
(翻訳:鈴木)
久保景(Deformed Existence) @misery_and_despair
・グレン・グールド 孤独のアリア/ミシェル・シュネデール著、千葉文夫訳(ちくま学芸文庫)
もしかすると、2024年は音楽よりも書物に救われた年であったかもしれない。たまたま手に取って開いたページから、今の自分が最も欲していたであろう言葉が飛び込んでくる。こうしたある種のシンクロニシティを何度か体験させてくれたのが、フランスの作家/精神分析学者のミシェル・シュネデールによって書かれた本書である。
カナダ出身の伝説的なピアニスト、グレン・グールドについての評伝とされるが、内容は散文調で、全体を貫く通奏低音(あえて、こう書かせて頂こう。)は詩的な響きに満ちている。各章が第〇変奏と銘打たれているが、これは明らかに「ゴールドベルク変奏曲」になぞらえてのことだろう。
グールドといえば、キャリア絶頂期にコンサート活動から引退する等、その奇矯な振舞いやエピソードばかりが独り歩きをしがちだが、この評伝では彼のそういった側面も含め、全ては音楽を追求する為の精神的な行為であったと説く。
本書の中に繰り返し現れ、不思議と印象を残すのが「消滅」という言葉だ。グールドが敬愛したピアニストのフェルッチョ・ブゾーニは、『演奏者が「自己の存在を消し去る」ように求めていた。』(p.58)という。グールドも同じであった。それは内的世界へと没入し、自己忘却の果てに「個」を失うこと——音楽という「非実体的実体」と同化することを示している。その時、もはや演奏者は存在しないものとなり、最後の1音が鳴り止んだ後、彼は音楽と共に文字通り「消滅」するのだ。そうなることを望んだグールドにとって、コンサート会場にひしめく聴衆の眼差しは邪魔なものでしかなかっただろう。
音楽家の両親を持ち、自身もアマチュアのピアニストであるシュネデールの著作だけあって、何かしらの形で音楽に携わっている人間ならば読んで損は無いはずだ。グールドのことを知らなくても、彼の音楽に対する姿勢や哲学的示唆に富んだ言葉からは、得るものが有るだろう。
・Totalitär/Wallbreaker 1986-1989(Armageddon Label, 2003年)
活動初期にリリースされた3枚の7インチとライヴ音源をコンパイルした音源集。Totalitärといえば、90年代以降の活動が特に有名だが、結成されたのは1984年と意外に古い。Dischargeの影響から発展したスウェーデンならではのロウ・ハードコア・パンクは、初期のDoomやDisasterといったUKのバンドにも多大な影響を与えた。
・Disaster/War Cry (Cassette, Blood Of War Records, 2023年)
マレーシアのBlood Of War Recordsから極小数だけリリースされたもの。DisasterのベーシストだったNeil氏からもSNS上でアナウンスがあったので、オフィシャル・ブートと呼んで差し支え無いだろう。何と言っても白眉はB面いっぱいに収録された“‘Live At Liverpool Planet X’ in 1991”だ。スタジオ音源よりもスピーディでシンプルな演奏は、彼等がDischargeだけでなく、先述のTotalitärやDiscard、Protes Bengtといったスウェーデンのバンドからも影響を受けていた事を伺わせる。おそらく意図したものではないヴォーカルのズレ方もCalそのもので絶妙だ。
Terroreye(Kaltbruching Acideath)@t_r_i_f_o_a_d
2024年よかった音源
・宇波拓/bot box boxes (Erstwhile Records, 2023年)
即興演奏家として活動しながらエンジニアとしても様々な盤(最近だとUNCIVILIZED GIRLS MEMORY/Wolf CreekのSplit CDのマスタリングも担当)に携わっている氏の、段ボールと新聞紙をひたすら千切ったり擦ったりしている音源(CD3枚組)。ぼーと聴いていると次第に段ボールと新聞紙を千切っている人物が目の前にいる気がしてきて、謎の不安感に襲われました。
・NAT000/VISTA (Self-release, 2024年)
Butthead SunglassやAbraham Crossに参加していたSONICのNAT000名義のソロ作。音はだいぶ違うけども、Roland Kaynのサイバネティック・ミュージックの電子音が無限に生成変化してくあの感じを思い出したりしました。
・Morbid Angel Dust/Demo (Self-release, 2022年)
そろそろRSRから編集盤が出る(出た?)はずのチェコの2人組グラインドコア。バンド名もイケてるが音もExcruciating Terrorを彷彿とさせるサグいグラインド/パワーバイオレンスで、個人的にはどストライクです。ライブも観たい…!!
・Jeff Parker/The Way Out of Easy (International Anthem Recording Company/rings, 2024年)
アンビエントジャズ……、シュッとしたカルチャーに対して複雑な気持ちを常に抱いているんで、思わず警戒してしまうジャンルですが、このトータスのジェフパーカーの盤はグッときました。ポストロックとかシカゴ音響派とか昔聴いたけど今はさっぱりだなぁという人も是非。
・Sex Messiah/Sexus-Mortem Ouroboros (Sex Desire Records, 2024年)
大阪のベスチャル・ブラックメタル・バンドの新作。暴虐さと(誤解を恐れずに言うならば)唯美主義さが混じり合い、狂気としかいいようがない音楽に。まさに性と死、ウロボロスなアルバム。聴いていて怖くなりました。アートワークも素晴らしいです。
・今年を振り返って
元ATFのリキさんが去年ギターで入ってKaltbruching Acideathも5人編成になり早1年。曲も増えたし来年は音源作らないとですねぇ。
A. K. Acosta @insomehexagon
Five books I read in 2024
Cosmic Scholar: The Life and Times of Harry Smith/John Szwed, 2023, Farrar, Straus and Giroux
In his 68 years of life, Harry Everett Smith was an anthropologist, music anthologist, animator, artist, collector, and visionary mystic. To be a legend in any one of these fields would be enough for the history books to remember him, and Smith became a legend in all of them. John Szwed, who has also written biographies of Sun Ra and Miles Davis among other figures of American music, does an incredible job of bringing the rich complexities of Harry Smith to the page. The book covers everything from Smith’s lifelong relationship with different Native American tribes and his efforts to preserve their songs and traditions, to his groundbreaking abstract animations and visualizations of jazz music, his genre-defining Anthology of American Folk Music, and his friendship and influence on the Beat Generation. Szwed is a perceptive and nuanced biographer and does justice to the fascinating life of Harry Smith.
Creation Lake/Rachel Kushner, 2024, Scribner
A novel about an American woman calling herself Sadie, who works as a spy and agitator, hired to infiltrate an anarchist commune in rural France that is led by a Guy Debord-obsessed activist. Sadie prepares for the job by hacking into the commune’s email account and reading the voluminous correspondence between the communards and Bruno Lacombe, a philosopher who has abandoned society to live mostly in a cave and think about Neanderthals. Lacombe’s emails are often quite moving and seem to eventually have some effect on the cynical Sadie. This novel will be especially interesting to those with knowledge of the contemporary French intellectual and activist scene, with many clear references to the ZADs (“zones of defense” in rural areas meant to block development projects), to the Invisible Committee and their anonymously authored far-left works of theory, to authors like Michel Houellebecq. Yet the references are often shallow and left me wondering if the novel was as cynical about radical politics as the corporate spy who narrates.
All-Fours/Miranda July, 2024, Riverhead Books
I’m not sure exactly when it started, but over the past year or two, women on the internet were all talking about perimenopause- those years, usually in your 40s, where hormones change, and a variety of physical and mental symptoms can set in. Alongside numerous articles advising women to be aware of this phase of life, Instagram ads sell special, expensive supplements for perimenopausal women. Amidst this trend comes Miranda July’s highly acclaimed novel All Fours, about a successful artist in her 40s experiencing a midlife sexual and creative revival after solving her perimenopausal troubles. The novel doesn’t disguise its desire to raise awareness of women’s health- there is even a graph of women’s falling hormone levels in the section where our narrator begins hormone replacement therapy and finds that a bit estrogen can make a big difference. The novel is being touted as a feminist call to arms, but it may feel quite distant to women who don’t have anything like the narrator’s well-padded financial safety net. It was often frustrating to read about the life of this rich and self-absorbed Los Angeles artist, and yet there are also some of the funniest sentences I’ve read in recent memory in the book.
Margo’s Got Money Troubles/Rufi Thorpe, 2024, William Morrow
Another very 2024 novel, about a twenty-year-old girl who gets knocked up by her college professor and turns to OnlyFans to make money after the birth of her baby. She’s helped by her father, a former professional wrestler, and shunned by her mother, a former Hooter’s waitress. The novel experiments with narrative form, just as the narrator experiments with creating an online persona that will bring her financial success, making the book much more than a hyper-contemporary story about social media. The novel was picked up almost immediately to be transformed into a television show, and the book ends with a bit of a cliffhanger that practically screams “lead in to season two.” The plot and characters will easily translate to the small screen, but Thorpe’s mastery of the art of storytelling is meant for the page. And unlike All Fours, this is a novel that truly understands, with deep empathy, what stress about money can feel like and how it can shape our lives.
Magnificent Rebels: The First Romantics and the Invention of the Self/Andrea Wulf, 2022, Knopf
At first glance, we might think there’s nothing particularly contemporary about the German Romantics at the turn of the 19th century. They lived over two hundred years ago! What do Goethe, Schiller, Fichte, and others of their social scene in the university town of Jena have to say to us in the 21st century? Quite a lot, as it turns out. Wulf’s exceptional book shows us how their novels, plays, poems, philosophy and especially how these figures lived their lives profoundly shaped contemporary ideas about selfhood, individuality, and freedom. Though the men of this group are more remembered today, the book shows how central women, including the incredible Caroline Böhmer-Schlegel-Schelling, were to the creation of new ideas and ways of living. Wulf is one of the best historians writing today, able to weave detailed research and complex philosophy into compelling narratives that read almost like novels.
鈴木智士(Gray Window Press)
・伊藤野枝と代準介/矢野寛治(弦書房、2012年)
少し前の本。代準介の曾孫にあたるのが著者の妻で、その代の自家出版自叙伝「牟田乃落穂」から伊藤野枝を捉え直す、という画期的な著作。代は野枝の叔父にあたり(野枝の父親の妹=叔母キチが代の後添)、13歳から商売を始めて財を成した代は、実は経済的にだけでなく精神的にも野枝や大杉栄を支えていた、そしてその代は右翼の巨頭・頭山満の遠縁にあたり、頭山満と野枝や大杉がつながっていた(お金をもらっていたこともあった)のもこの代がいたからという、何とも面白いめぐり合わせである。
さて、この本が訂正しているのは、瀬戸内寂聴が野枝と大杉を主人公として書いた伝記小説、『美は乱調にあり』でどうやら広めたという、「辻潤の不倫相手は野枝の従姉の千代子(代の実娘)」説である。吉田喜重による映画『エロス+虐殺』もこの説を踏襲していたようだが、本書によれば、実際に不倫していたのは「従姉」=千代子ではなく、まったく別人の、野枝の「従妹」が正しいということである。瀬戸内寂聴の作品はやはり「創作」であるのだろうが、それによって長い間汚名を着せられた家族たちはたまったものではない。その後書かれた『評伝 伊藤野枝 あらしのように生きて』(堀和恵著、2023年、郁朋社)もこの事実を踏襲しているので、寂聴本はもう無視してしまった方がいいのではとも思うが、今は岩波現代文庫に入っているようで、その内容は正されているのかが気になるが、まあ読むことはないだろうな…。
・霊的最前線に立て! オカルト・アンダーグラウンド全史/武田崇元、横山茂雄(国書刊行会、2024年)
私は熱心にオカルトを追いかけているわけでもなく、単に横山茂雄先生の著作やトークのファンで、カナザワ映画祭関係で少し交流させていただいたこともあるラッキーな身なのだが、とにかくこの本は古今東西時代を問わず、オカルト/オカルティズムの情報量が膨大すぎて、一読しただけで頭に入るようなシロモノではなく、私のようなニワカは興味のある部分を繰り返し読んだり、索引を使って資料的に参照する、辞書のような使い方が正しいのかもしれない。横山先生が稲生平太郎名義で出した、高橋洋監督との恐るべき映画対談本『映画の生体解剖 恐怖と恍惚のシネマガイド』(洋泉社)もそうやって使っている。ただオカルトに惹かれるのは、そのアンダーグラウンド性、神秘性や反権力、反メインストリームの姿勢が、パンク、ハードコア(や、どちらかといえばデス/ブラックメタルの方がさらに近いか)と通じるものがあるからだと思っている。実際にオカルティズムと左翼は相互に関係してきたことも本書では何度も語られる。
ここでは本書のアナキズム関係のことのみに絞るが、幸徳秋水が獄中で書いた遺著、『基督抹殺論』がなぜあんなに性器に執着しているかというと、生殖器崇拝=淫祠邪教=反権力、という理解が当時から存在しており、幸徳秋水も当然その影響を受けていた、ということや、ツイッターにも書いたが、トルストイアンでアナキズムから農本主義、日本主義へと転向した加藤一夫の偽史的側面の記述は目から鱗だ。近刊『農とアナキズム 三原容子論集』(アナキズム文献センター)にもやや古い加藤一夫論が2本掲載されているが、そこでは当然そういった加藤の偽史との接点には触れられず(神代文字が載っている『肇国史詩なかつくに』への言及は注にあるが)、やはり既存のアナキズムの視点のみでアナキズムを語っても、単に歴史をなぞるだけで、そこに広がりが生まれずあきたりない。
前述の本の伊藤野枝とも関係するが、「日蔭茶屋事件」で大杉栄を刺した神近市子が、反共ポーランド人、フェルディナンド・アントニー・オッセンドフスキーによって書かれた、当時ヨーロッパで話題になったというアガルタ関係の本『獣・人・神々』を、1940年に翻訳しているのにもびっくり。
・THE CURSE/ザ・カース(ネイサン・フィールダー、ベニー・サフディ、2023年)
このドラマのエマ・ストーンのキャラは、現代アメリカの金持ちリベラル(民主党支持者みたいなの)の自虐としては最高で、親が不動産売買成功者の白人、という自分の超絶的特権を意識せずに、やれ環境だの人権だの言い出す連中のことを心底バカにしていて、そりゃ民主党はあっさりトランプにも負けるわと大いに納得する。文字通りすべてをぶん投げて放棄するラストも楽しい。
アメリカではこういった社会的な気まずさや自虐ネタなんかを扱うコメディのことをcringe comedyと言うらしいが、社会に存在する差別や不平等を是正していくとこういう歪みが出てくる、というのを、フィクションとしてさらに皮肉って描くわけだが、HBOの『ホワイト・ロータス』が描いた、白人の優越性は終わってしまった中で、未だ文化的には圧倒的な影響力を持つ白人はどう生きるのか、という時代への皮肉のように、こういうのをもっと観たい。まあジョン・ウォーターズはとっくの昔からそういうことを描いてきたんだろうけどね。
・Concrete Winds/S/T(Sepulchral Voice Records)
ただその曲にワ――――っと圧倒されて、感想なんか思いつく間もなく、あっという間にアルバム一周が終わってしまい、何度も聴き直すはめになる音源というのがたまにあるが、このフィンランドのデス/ブラックメタル・バンドの3rdアルバムはまさにそんな感じだ。しかもライブ映像を見るとどうやらベースレスでやってるようで、こういったカオティックな地下メタルのモダンなサウンド・プロダクションにはもうロウネス、低音域は不要なのかもしれない。最初に聴いたときは、多分もうその存在を忘れた人がほとんどだと思うが、90年代末に活動していたニュージャージーのカオティック・ハードコア、Luddite CloneのRelapseから出ていたEPを思い出したほどにカオスなリフにあふれているし、おまけに曲も短く、ほとんどグラインドコアみたいなノリですらある。それぞれのジャンルが押し付けてくる様式美や掟に囚われずにエクストリームなものを追求していくと、ジャンルは違えど似た表現になることは間々ある。同じSepulchral Voice Recordsからのリリースだと、アメリカのBlack Curseの新アルバム“Burning In Celestial Poison”もうるさくてよかった。
ただこれらの音源もサブスクで聴いただけでフィジカルは一切手にしていないのだが、やはりこういうアンダーグラウンドの音楽は、録音についての情報や歌詞などを知りたくなるので、レコードかCDがほしいのだが、もはやそんな余裕はない。
ちなみにサブスクの統計によれば、今年一番聴いた音源はWilliam Basinski/The Clocktower at the Beachだった(作業用BGM)。
その他観た映画だと、黒沢清の中編『Chime』は、ほとんどインダストリアル・ノイズみたいな音楽が不安定なカメラとともに不安を煽り、狂気が浸透していく『CURE』系統の黒沢清で何とも恐ろしかった。「幽霊」に着目してもう1回観たい(黒沢清の新作が3本も観られたよい年でした)。『ナミビアの砂漠』は、終盤のピンクの部屋が、河合優実が演じた女性のアナーキーな直情とともに印象的。あと丹波哲郎の評伝『見事な生涯』(野村進、講談社)を読んで、東映の傍流映画『0課の女』や『忘八武士道』よりも、まず『砂の器』を久々に観直したのだが、ハンセン病療養所で加藤嘉と対峙するシーンの丹波の視線の凄みに単純に感動してしまった。『人間革命』が配信に乗った今、高村光太郎原作の『智恵子抄』が観たいので、誰か持ってたらコピーしてください。