劇映画の中のパンクス ―『処刑教室』からアンゲロプロスまで

そろそろ発売から1年経つので、この記事をこちらにも掲載します。
Debacle Path vol.2に掲載した記事に数本映画を追加し、関連動画も載せたものです。動画はYoutubeにフルで上がってるのが結構あるので、見つかった限りフル動画を貼るか(字幕はほとんどないですが)、もしくは文中で触れている「パンクス登場シーン」があればそれを、なければ予告編を貼っておきました。


劇映画の中のパンクス ―『処刑教室』からアンゲロプロスまで /鈴木智士(Gray Window Press)

目次:
イントロダクション
(1) 本当に悪いパンクス
(2) 社会的弱者としてのパンクス
(3) 体制に立ち向かうパンクス
(4) 成り上がるパンクス
(5) 風景としてのパンクス ――ニューヨーク、ロサンゼルス、ベルリン――
(6) パンクは孤独の音楽
(7) 希望としてのパンクス ――『エレニの帰郷』
パンクは再び〈脅威〉になりえるのか

イントロダクション

 パンクスは映画に頻繁に登場してきた。特にパンクが世間に広く認知されていた70年代後半から80年代あたりまでは、社会風俗を表すイメージのひとつとして、大なり小なり様々なスクリーンに映し出されてきた。
 また、パンクのムーブメントやバンドについてのドキュメンタリーもかなりの数の作品が作られてきた。『ウェインズ・ワールド』といった映画でも有名なペネロープ・スフィーリスが制作した『デクライン』三部作(『2』はメタルについてだが)などが特に有名だが、2000年代以降はCrassのような大物バンドを扱った『CRASS: ゼア・イズ・ノー・オーソリティ・バット・ユアセルフ』(2006年。英文をカタカナにしただけの長いタイトルはいい加減やめよう…)から、文字通りアメリカン・ハードコアをアーカイブした原作本を元にした『アメリカン・ハードコア』(2006)や、ボストン・ハードコアを扱った“All Ages: The Boston Hardcore Film”(2012年。監督は80年代のNYHCのバンド、Antidoteのヴォーカル。ボストンのストレート・エッジがいかに男性優位だったかが確認できる…)もあったり、あと昨年最後の来日を果たしたPoison Ideaのドキュメンタリー“Legacy of Dysfunction”(2017年)では、ヴォーカルのJerry Aがホワイトボードに合ってるのか合ってないのかよくわからないメンバーの変遷を書きながら過去を振り返る姿が楽しめる(再加入したギターのベジタブルが、映画内のインタビュー中にバンドを再び辞める発言をする、というサプライズ付き)。


 ただ、何でもかんでもドキュメンタリー〝作品〟にしてしまう昨今、中には大して面白くもなく、単なるノスタルジーやバンドの宣伝に始終しているものも存在する。ヤラセなのか何か知らないが、予告編を見る限り、バンドや対象に〝試練〟や〝問題〟、〝メンバー間の不和〟、そして〝知られざる秘密〟のような安いドラマを与えてお涙頂戴、というものが増えているような気がして(そもそも「ドキュメンタリーは嘘をつく」ものだ)、私自身は興味を失っているのであまり観ていない。でもまあそのバンドやテーマが好きなら、内容の良し悪しは問わず、ある程度は許容できてしまうものでもあり、先ほど挙げたPoison Ideaのドキュメンタリーも、Poison Ideaのことが好きでなかったら、巨漢(撮影時はややスリムになっているが)ヴォーカルが何かくっちゃべってるだけ、と思われるのかもしれない。
 比べるのも失礼な話なのかもしれないが、フレデリック・ワイズマンの一連のドキュメンタリー作品のような、決められた被写体を徹底的に撮って、膨大な量の映像を編集で仕上げる、という種類の〈パンク・ドキュメンタリー〉などは、ワイズマン自身がパンクをターゲットにしてくれない限り見ることもないだろう(そしてそれは遅くとも80年代のうちに撮られるべきだった)。一般にロック、パンク関係のドキュメンタリーは、被写体に近すぎる人物が制作しているからか、深みや発見があまりなく、すでに知っている情報におまけが付いてくる程度のものが多い。もちろん実際に目にすることのなかった「過去」が映像としてアーカイブされたものは資料的価値はある。ただそれ以上に、どこの誰が撮ったかもわからないようなライブの映像を、かつてはコピーで出回ったVHSで、今ならYoutubeで見ている方が、より生々しいものが見れて面白いのかもしれない。そして今も現役で活動しているバンドであれば、ライブを見に行けばよい。

 さて、ドキュメンタリーの話はこれくらいにして、ここではパンクと劇映画の関係について考えていきたい。

 映画や小説といった表現は世情、世俗や流行の文化を取り入れるが、パンクが世間に認知されサブカルチャーのひとつとして定着した70年代末~80年代にかけてと、それらが薄まり存在感を失った現代とでは、もちろんパンクの露出量は全然違う。なのでパンクが登場する映画は、ほとんどが70年代末~80年代のものだと言っていい。もちろんメインストリーム文化における〝パンク受容〟にも変化があり、たとえば90年代などは、ポップパンクの流行のようにパンクがメインストリームの文化のひとつとして消費された時期もあったが、それは映画に出てくるパンクスの典型のような、「派手、もしくは黒くて尖ったファッションをしていてタチが悪い」というものとはかなり距離があり、一般的な意味での「ロックっぽい」格好や、ちょっとダボっとしたバギーでジョックなファッションも多かった。そうなると絵的につまらないので映画には取り上げられなくなったのか、90年代以降、パンクスは映画にはあまり登場しなくなったらしい。
 そう、先にネタばらしをしてしまったが、映画におけるパンクスは、そのほとんどが「見た目が派手」であり、そこにパンク以前の〝悪者〟たち――ギャングやバイカー、チンピラのような――のイメージを重ねた、〈悪〉として描かれているものが多いのだ。

 その〈パンク=悪〉の図式がまず根底にあり、その上で、描かれるパンクスがその図式通りに悪役なのか、それとも社会=体制に立ち向かう活動的なパンクなのか、それとも社会から疎外されたアウトサイダーなのかは、もちろん映画によって様々だ。また単にパンクスを時代の風俗・現象のひとつとして、風景的に扱う映画もある(おそらくここに当てはまるものが一番多い)。主役になるにはニッチすぎて、また物語の強度を保つことができるほどの魅力も深みもなく、昨今の「悪人にも心がある」的アンチ・ヒーロー映画ならいざ知らず、基本的なイメージは「社会の敵」。それが劇映画におけるパンクスである。もちろんこのイメージは、「一般人」とは違った、ド派手でトゲトゲしたファッションや、ライブで狂ったように飛び跳ねて踊る姿、そしてドラッグ、アルコール、バイオレンス、社会ののけ者、敗残者、社会に対する脅威、などという、世間の持つ基本的なパンク・イメージに起因する。ではなぜパンクスはそうなったのか。イギリスでは、当時の経済危機や高失業率(おまけに高離婚率を原因のひとつとする見方もある)からくる先の見えなさによる無軌道さ(=No future, 未来などない)、ブルジョワジーに対する労働者階級、あとはフーリガンなどから身を守る自衛的コミュニティ、そしてもちろんそれらの根本にある既存の秩序や常識に反抗する精神など、パンクが生まれた理由は様々あり、アメリカでも同様に、若者のフラストレーションの爆発をパンクが担った部分もあるが、ここではそういった「パンク・カルチャー基本情報」に触れる紙幅がないので省略する。
 パンク興隆の時代の中、スクリーンに悪役として登場し、そのまま悪役として消えていくことがほとんどの映画の中のパンクスたちを、この論考ではいくつかのカテゴリーに腑分けしてみる。ただ先に断っておくが、これから挙げる映画は私が実際に観た映画だけであり、この他にもおそらくこれらの数十倍、数百倍の「パンクス登場映画」が存在する。また本稿はアメリカ映画が中心であり、日本映画は今回は省いた。もちろん日本映画にもパンクス登場映画は結構な数あるだろう。『眠らない街 新宿鮫』(1993年、監督:滝田洋二郎)のラストで浅野忠信はDischarge “Never Again”のTシャツを着ているし、森崎東の『ニワトリはハダシだ』(2004年)にはMCR Companyの名が登場していたし(あれはちょっと違うか…)。

(1) 本当に悪いパンクス

 パンクは社会への、状況への反抗であった。ここ最近日本のメディアにおいて意図的に頻繁に使われるようになった「反社=Anti-social」とは、そもそもパンクスのような存在のことでもあった。現実には体制、権力、既存のシステムへの反抗が多くのパンクスに通底する姿勢であったのだが、世間一般の間では、体制に順応しない〈悪〉として、パブリック・エネミー(公共の敵)として、そのイメージは増幅していくこととなった。それを映画の中で担うのが、完全な悪役を任されたパンクスたちだ。〈パンク=悪〉映画で最も世に知られているものは、おそらくその強烈なビジュアルが印象を残す『処刑教室』(1982年、監督:マーク・L・レスター)だろう。「未成年は現行犯じゃないとしょっ引かれない」という法を盾に高校でやりたい放題のパンクスたちに、新任の音楽教師ノリス(ペリー・キング)が立ち向かうというストーリーだが、クールなファッションをした女性パンクスのパッツィ(リサ・ラングロワ)を含むパンク・ギャングたちは、授業の妨害は当たり前、校内でドラッグの取引まで行って学校崩壊まっしぐら。そんなパンクスにやりたい放題された挙げ句、真面目な生徒たちによるオーケストラの発表会の夜に身重の妻を輪姦され、怒りの頂点に達した音楽教師は、パンク・ギャングたちを次々と…。
 ちなみにパンクスの登場する映画だから、後ろに流れる劇伴はパンクの曲が多い、というわけでもなく、おそらくパンクは速すぎてうるさすぎて、時に映画の雰囲気をも破壊してしまうのであろう、代わりにほどよいうるささのハードロックやシンセサイザー音楽が使われることが多い。この映画ではアリス・クーパーの“I am the Future”や、パンクだとLAのバンド・Fearの曲が流れる。


 他の〈パンク=悪〉映画を見てみる。トロマ・エンターテイメントの『悪魔の毒々ハイスクール』(1986年、監督:ロイド・カウフマン他)もその一つだ。この映画では、原発のすぐ隣にある高校にたむろするパンク・ギャングたちが、自分たちのことを“Cretins”(クレチンズ。先天性甲状腺機能低下症患者、あるいはそこから差別的に転用されたのだろう、「バカ」という意味もあり)と名乗り、その原発の敷地内で原発労働者が栽培した“Atomic High”というブッ飛んだ名のマリファナを、友達以上恋人未満の関係のジョック男と学園のアイドル的少女が吸ってセックスし、その翌日にモンスターが産まれる…、という、まあトロマ映画なので真面目にプロットを追う必要もないが、ここでその「クレチンズ」たちは、廊下をバイクで走り、校長を縛りつけて他の生徒を校舎から追い出し、反教育を地で行く反抗精神を見せる。パンクスはやはり社会の悪であり、そして彼らは残念ながら、体育会系(ジョック)白人が代表する〝正義〟によって倒される運命にある。

 お下品なトロマはさすがに〈悪〉のパンクスが好きなようで、この映画より前の、トロマで一番有名なシリーズである『悪魔の毒々モンスター』の各作品でも悪役として多少パンクスを登場させたり、他にも、製作はトロマではないようだが、『悪魔の毒々サーファー』(1986年、監督:ピーター・ジョージ、原題“Surf Nazis Must Die”)という映画の配給を行っている。この映画では大地震後のポスト・アポカリプス的ロサンゼルスの海岸を舞台に、いくつかのギャングが縄張り争いをするのだが、そのメインとなるのがナチ・パンクスの集団だ。今でもたまに見かけたり耳にしたりする「パンク=ナチ」というイメージは、おそらくシド・ヴィシャスやスージー・スーなどの、きわめて有名なオリジナル・パンクスが、その思想は無視した上で、「反社」的イメージによって周囲に衝撃を与えるために使用した鉤十字(スワスチカ)などの意匠を、メインストリームの文化や社会一般がそのまま解釈・利用した結果生まれたものだと思われるが(現実にはもちろんネオナチのようなナチ思想を持ったパンクバンドも存在するが、ナチ・スキンヘッズそのものを描いたようなものを除き、多くの映画で描かれるナチ・パンクスは、思想など持たない単なる〈悪(ワル)〉だ。ナチは〈悪〉を増長させる)、この映画でサーフィンをするナチ・パンクスは、50~60年代あたりから実在した“Surf Nazis”という、サーフボードにスワスチカをペイントしたり、実際にレイシスト的な言動もしていたらしい南カリフォルニアのサーファーたちから着想を得ていると思われる(1)。ボディスーツにヘタクソな手書きのスワスチカを書いて波に乗るのだ。ただいかんせん映画があまりにもつまらないので――争いの間に必ず長閑で楽しそうなサーフィンのシーンが入り、映画の流れをぶった切る――、この映画を観てナチのことを真剣に考える必要もないのかもしれない。ちなみに邦題には『悪魔の毒々モンスター』にならって「悪魔の毒々」と付いているが、それらのように核廃棄物などが原因で生まれたとされるモンスターはこの映画には一切登場しない。日本でトロマの『毒々』映画を配給していた松竹富士による過剰宣伝の産物だろう。この映画のパンク的な情報を一つだけ追記しておくと、登場人物のメンゲル役(そう、キャラクターの名前も、アドルフ、エヴァなど、第三帝国から拝借している)のマイケル・ソニイという俳優は、その後もB級映画の脚本を書いたり出演をしたりしながら、Haunted Garageという、当時のLAアングラ界ではそのシアトリカルなパフォーマンスが有名だったというホラーパンク/メタル・バンドのフロントマンをやっている。

 80年代のオーストラリアにはこんな映画もある。『地獄の脱出/デッド・エンド』(1986年、監督:ブライアン・トレンチャード=スミス)だ。これはほとんど『マッドマックス』の亜種のような映画で、世界危機によりポスト・アポカリプスの様相となった車社会のオーストラリアで、車を襲撃してはパーツを奪うパンクス風貌の悪い集団を隔離するために、政府がドライブインシアターにそういった「反社」を閉じ込め、デート目的で偶然そこに入り込んでしまった無職の真面目な若者がそのパンクスや警察と戦う、というストーリー。『マッドマックス』シリーズもそうだが、悪がはびこるポスト・アポカリプス世界にパンクスはとてもよく似合う。その「ドライブインシアター式収容所」は完全に〝パンとサーカス〟状態で、政府からはジャンクフード、ドラッグ、ビールが配給され、夜にはバカっぽいアクション映画がかかり(この映画の監督の過去作品らしいが)、パンクスたちはまるでそこでスクワット(空き家占拠)生活をするかのように、日々をエンジョイし、もう悪いことをする気もあまりない。この映画はパンクスやゴス、ニューウェーバーたちの衣装やメイクが他の映画よりもちゃんとしているのだが、エキストラで地元のパンクスを雇ったり、コスチュームやメイク担当に本物のパンクスがいたようで、一般人エキストラをパンクスに仕上げていったらしい。ストーリーの中に移民に対する差別なども盛り込んで、先述の一連のトロマ映画よりはかなり見応えがある作品だ。

 Debacle Path第1号でボブキャット・ゴールドスウェイトについての短い紹介記事を書いたが、そこでも触れた『ポリス・アカデミー』シリーズの第二作目、『全員出動』(1985年、監督:ジェリー・パリス)に登場する、ゴールドスウェイト演じるゼッドが率いるパンク集団もこのカテゴリに入るだろう。ただゼッドはベジタリアンという「真面目」なキャラ設定であったり、そもそもおバカなコメディ映画でもあるので、その〈悪さ〉は可愛いものだが。ただボブキャット・ゴールドスウェイトがMDCのようなバンドと一緒に「ロック・アゲインスト・レーガン」に参加していたことからもわかるように、政治的パンクに影響を受け、それを映画に還元していた人たちもいたであろうことは想像できる。

〈パンク=悪〉の極めつけは、チャールズ・ブロンソン主演の西部開拓自警団精神映画『狼よさらば』(原題:Death Wish, 1974年、監督:マイケル・ウィナー)の続編にあたる、『ロサンゼルス』(Death Wish 2, 1982年、監督:同)や『スーパー・マグナム』(Death Wish 3, 1985年、監督:同)の「Death Wish」シリーズだろう。これら続編の『2』、『3』では、『1』においてチンピラ(日本語訳だと「族(ゾク)」と訳されていた人たち)が担った悪役をパンクスが任されており、強盗、レイプ、人殺しを平気に行う極悪集団として描かれている。娘や友人、パートナーが殺されようが、ほとんど表情を崩すことのないチャールズ・ブロンソンと敵対するパンクスたちは、誰がどう見ても悪そのもの。そんな極悪パンクスにチャールズ・ブロンソンが「ひとり自警団」として立ち向かい、最後のひとりまで殺して復讐を果たすさまに、観客はカタルシスを感じたのだろう(『3』では地元の民間人も加わった文字通りの自警団が、パンクスをぶっ殺してみなで喝采するシーンすらある)。もちろんパンクスが極悪行動をとる理由など描かれるわけもなく、悪は成敗すべき、と滅多撃ちにされるパンクスだが、この映画ではそういうキャラクター設定なのだからもうどうしようもない。先ほども述べたが、実際にどうだったかはさておき、一般的なイメージにおいて、パンクスとはやはり悪そのものだったのだ。この映画のパンクスには黒人も多く含まれているが、そこには〈黒人=悪〉という時代のステレオタイプも含まれていたのかもしれない。

その他有名な映画では、『ロボコップ』(1987年、監督:ポール・バーホーベン)では、女性を追いかけてレイプしようとしたら、ロボコップに女性の股の間を通して撃たれる男がパンクス風貌である。これもまた典型的な〈パンク=悪〉イメージであり、パンク以前であれば、前述の『狼よさらば』のように、チンピラかギャングがその役を担っていたのだろう。

 この他にも〈パンク=悪〉の図式を踏襲する映画はたくさんあるが、脚本家の小中千昭氏の「ホラー映画ではよく人が死ぬ。というより、人が死ぬことで物語が展開していく(2)」という言を待つまでもなく、ホラー映画においてパンクスはしばしば簡単に死ぬ。最も有名なのは、45 GraveやCramps, TSOL, The Damnedなどがサントラに参加しているパンク・ゾンビ映画、『バタリアン』(1985年、監督:ダン・オバノン)だろうか。集団の中で一番パンクな見た目のキャラである〝スーサイド〟などは、パンク集団のボスなのかと思ったら〝タールマン〟に脳ミソを食われてあっという間に死んでしまう。例を挙げればキリがないのだろうが、『サスペリア』(1977年)、『フェノミナ』(1985年)などで有名なダリオ・アルジェントが製作、脚本に関わっている『デモンズ』(1985年、監督:ランベルト・バーヴァ)でも、警察に追われて封鎖された映画館に闖入してくるコカインをやりすぎたパンクスたちは、救世主として登場したのかと思ったら何てことはない、単なるバカなジャンキー連中として描かれ、最終的にはいとも簡単にゾンビ化してしまう。パンクは社会の悪であるから、劇中で簡単に殺されたとしてもハハハと笑えてしまうのかもしれない。しかも「物語の展開」にすら関わることなくさっさと殺されるパンクスたち…。しかし残念ながら、それが世間一般のパンク像なのだ。

(2) 社会的弱者としてのパンクス

 次のカテゴリーは、〈パンクス=社会から疎外されたマイノリティ〉という、パンクスの実態のひとつを理解したような描き方をしている映画についてだ。と言っても、必然的にパンクスを映画の主軸に置かないと描けないこともあり、このカテゴリーに入る映画はそんなに多くなく、今のところ私が観た限りでは、冒頭に挙げた『デクライン』三部作などのペネロープ・スフィーリスがロジャー・コーマン製作で撮った『反逆のパンク・ロック』(原題:Suburbia, 1983年)と、比較的最近の映画で“Bomb City”(2017年、監督:ジェイムソン・ブルックス、日本未公開)があるのみだ。
 『反逆のパンクロック』は、同監督のLAパンクについてのドキュメンタリーである『デクライン』の一作目を劇映画に書き換えたような物語で、LA郊外の廃屋をスクワット(空き家占拠)して複数人で住んでいる〝TR〟というパンク集団が主役だ。盗みで日々何とか食いつないでいるTRのパンクスたちは当然町の嫌われ者。ただこの若者たちがこうやって生きていかざるをえないのは、それぞれ家庭や生育環境に問題があるからで、たとえばその仲間に新たに加わった少女は、家では父から性的暴行を受けていて、母は世間体を気にして何もできず、そんな家庭から家出した末に見つけた居場所がTRだったのだ。他にも高校のランチ代を払う金がなくてドロップアウトしてそこにやってくるパンクスもいる。その廃屋である種の共同体を築き、酒を飲んで騒いだり、盗みで生活し、夢も希望もないまま刹那の疑似家族のように生きるTRのパンクスだが、オーバードーズで死ぬ仲間がいたり、そしてついには町の白人自警団から襲撃されて悲劇が起こる。この映画ではパンクスによる「反逆」と言えるほどの出来事は起こらず、この邦題は相変わらず内容を無視したひどいものだが、原題の“Suburbia”とは「郊外生活の『空気』」を意味する。つまり都市部には住めない中~低所得層の家庭に生まれたこれらの〈居場所のない若者たち〉の問題の根源がタイトルになっているわけだ。
 劇中、TSOLやFear, Germsなどの曲も使われ、当時まだFearをやっていて、レッド・ホット・チリ・ペッパーズを結成する前のフリーが、TRのパンクス役でネズミと戯れる怪演を披露している。


“Bomb City”は、1997年に核兵器製造工場を持つ町・テキサス州アマリロで実際に起きた、「アメフトジョックによるパンク少年殺害事件」の映画化だ。当時19歳だったモヒカン・スケーター・パンク少年のBrian Denekeが、スクワットではないが家賃を工面してなんとか維持しているパンクハウスを舞台に、そこに集まってくるドロップアウトした少年少女たちやライブをやって酒を飲んでは刹那的な人生を生きるパンクスたちを描いている。アメフト選手=アメリカン・ドリームの体現であり、社会的には「よい」とされる存在と、パンクス=社会的な「悪」の対比がストーリーの中心で、前者は未成年飲酒していようがパーティーして騒ごうが警官はお咎めなし、一方パンクスに対しては、ちょっとしたことで令状なしの家宅捜索、暴行、逮捕というあからさまな差別対応。そして劇中にはさまれる裁判のシーンでは、「権力に盾突き、自ら選んだ挑発的な見た目で社会に挑戦する〝チンピラ〟」だと、ジョックの弁護士に辞書に書かれた“punk”の定義まで引き合いに出されて批判され、その結果あまりに不条理な判決が下される。まず起こり得ないだろうが、いつか公開されることを願ってこれ以上のネタバレはやめておくが、この映画のパンクスの衣装はほぼ完璧で、当時人気のあったベイエリアのFilthのロゴ、“Destroy Everything”も効果的に使われたり、カオスをもたらすわけではなく、はみ出しもののアジールとしてパンクハウスが機能していることを丁寧に描くなど、パンクスを「弱いもの」として描いている数少ない映画だ。

(3) 体制に立ち向かうパンクス

 もちろん〈パンク=悪〉のイメージを持ちつつも、パンクの根源にある〝体制に順応しない〟という姿勢がちゃんと描かれているものもある。体制―社会になじまないから、パンクスは世間から疎外され、〈悪〉だと後ろ指をさされるのだ。そういった「反体制映画」としては、これもロジャー・コーマン製作でRamonesが全面出演! という『ロックンロール・ハイスクール』(1979年、監督:アラン・アーカッシュ)がまずその一つとして挙げられる。「ロックは教育に悪影響を及ぼすので撲滅する」という超厳しい女校長に対して、女子生徒のリフ(P・J・ソールズ)が対抗していく中で、映画の後半はまるでRamonesのビデオクリップのように彼らの演奏が堪能できる(しまいには学校内でゲリラライブまでやっちゃう)。反権力、反体制、反管理教育、といったパンクの初期衝動を楽しく映画化した、さすがはロジャー・コーマン製作の作品だ。もっとも当初はテーマをロックじゃなくてディスコ・ミュージックにしようとしていたらしいが…。


 他にも、(1)で挙げた『処刑教室』の続編にあたる『クラス・オブ・1999』(1990年、監督は引き続きマーク・L・レスター)は、マルコム・マクダウェル校長の不良高校に配属されたパム・グリアーらアンドロイド・マシーン教師たちが、パンク・ギャングの不良生徒を容赦なくぶっ殺すので、主役のパンクスたちがそのマシーン教師=体制を破壊していく、というものだ。ただパンクスの見た目は『処刑教室』ほど〝パンク・アウト〟していないし、音楽もナイン・インチ・ネイルズがかかっていたりとパンクさは減少している。

 あと比較的最近の映画で、『グリーン・ルーム』(2015年、監督:ジェレミー・ソルニエ)というものがあったが、これは主役となるバンドのメンバーがDead KennedysやMinor ThreatのTシャツを着ているあたりは、〈パンク=悪〉のイメージとはやや違い、ベイエリアやワシントンDCあたりの真面目で政治的なパンクスを意識していたのかもしれないが、ストーリーは彼らがツアー中、金がなくてどこかライブをやる場所はないかと探していたら、オレゴンのネオナチのハコをブッキングしてしまい、そこで騒動に巻き込まれ、ネオナチと対決するというもの。ただし監督が昔ワシントンDCのハードコアシーンを実際に見ていたわりには、ここで描かれる「パンク精神」というものが、頭を剃ってネオナチのフリをして敵を出し抜く、というちょっと小狡いようなもので、インパクトは非常に弱く、映画としても面白みに欠ける。そもそもツアー中の資金獲得のためのブッキングとは言え、ネオナチ臭のするハコでライブをやらないだろうに…。
 その他〝真面目パンク〟映画であれば、その後の「反グロ」運動の画期となった、1999年11月のシアトルでの反WTO行動を映画化した『バトル・イン・シアトル』(2007年、監督:スチュアート・タウンゼント)には、パンクスと思しきブラックブロックの連中が登場するが、映画自体は平和的なデモを計画した人たちを中心に描いているため、ブラックブロックは「運動側の秩序を乱す悪いアナキスト」として登場する。ブラックブロックは「真面目」だからこそ、銀行、大企業やブランド店のショウウィンドウを破壊するのだと思うが、これは見る者の立場によって解釈が変わるのだろう。

 似たような真面目政治映画で、2013年の『ザ・イースト』(監督:ザル・バトマングリッジ)という作品では、ELF(Earth Liberation Front)のような、「エコテロリスト」とレッテルを貼られる、直接行動を行うアナキスト集団が描かれるが、その「ザ・イースト」と名乗る集団の実態を把握するために接近するスパイ――それがある調査機関に勤める主人公なのだが――が、〝ウーグル〟(ジェフ・エヴァンスのインタビュー(本号8ページ)参照)の仲間に入ったりと、パンクスの描き方はかなり今日的で現実的だ。そのエコテロリスト、もとい環境保全活動団体の描き方はちょっとヒッピーがかりすぎているかもしれないが、全体としてエコロジー活動家たちの実態をよく捉えている映画と言える。この映画の主役と脚本、製作を務めたブリット・マーリングは、監督のザル・バトマングリッジらと一緒に(この二人は他の映画も一緒に製作している共同作業者)、過去にフリーガン〔路上やゴミ箱から、まだ使えるものや食べられるものを探して生活する人たち〕になって生活していたらしく、フリーガンたちが食料などを獲得する手段であるダンプスターダイビング〔大きなゴミ箱に文字通り〝飛び込んで〟モノを得る作業〕も経験したことがこの映画に生かされていると言うから、地に足のついた映画製作を行ったことが伺える(3)。

 ちなみに「悪趣味の帝王」ジョン・ウォーターズは、パンクのことを「面白くておっかない」から好きだとよく言っているが、70年代中盤のパンク出現以前から、パンクを先取りするかのような奇矯なキャラクターを映画に登場させている(単にまわりにいただけなのかもしれないが)。『デスペレート・リビング』(1977年)では、イディス・マッセイが牛耳るモートヴィルというこの世の掃き溜めのような町に、レザージャケットに身を包んだパンク風貌の用心棒の男たちがたくさん出てくるし、『マルチプル・マニアックス』(1970年)や『ピンク・フラミンゴ』(1972年)で見せる反警察・反権力・反社会性は、後にパンクスのお手本となったのかもしれない。実際に、私のまわりのパンクス友人にもジョン・ウォーターズ好きは多い。ただこの駄文ではあくまで「パンクス描写」に限定しているので(「パンク精神」を持った映画であれば、時代を問わず、たくさんの映画が存在するだろう)、その制限に従えば、ジョン・ウォーターズの映画であれば『シリアル・ママ』(1994年)の後半、L7のライブにパンクスがたくさん登場するシーンは見ていて楽しい。

(4) 成り上がるパンクス

 パンクのバンドを始めることで、有名になり、ロックンロールのスターダムにのし上がる(そして凋落する)、というプロットは極めて簡単に思いつく。パンクとはいえ、世間から見れば所詮はロックの亜種であり、我々のようにアンダーグラウンドに巣食ってメジャーを忌避する者は、パンクのDIY性にきわめて従順なだけであり、今でも少数派なのだろう。そんな「パンク成り上がりもの」と言える映画がいくつかある。
 一つは撮影当時15歳だったというダイアン・レインが主役のパンク少女を演じる“Ladies and Gentlemen, the Fabulous Stains”(1982年、監督:ルー・アドラー、日本未公開)だ。親に先立たれ、妹を食べさせるためにバイトで金を稼ぐ少女ダイアン・レインが、世間の女性蔑視的価値観に真っ向から対抗すべく、その名も“The Stains”というバンドを、妹(マリン・カンター)とローラ・ダーン(!)演じるいとこの三人で組んで人気を得て、全米の女の子たちに〝Stains現象〟を起こす、というもの。ダイアン・レインの強烈にかっこいいパンク・メイクや挑発的なファッションをファンの少女たちが真似するのだが、それは抑圧された少女たちのことを代弁する歌を、ダイアン・レイン演じるCorinneが歌ったからみなそうするのだ。その後一度は人気を失うも、ラストのエンドロールで流れるMTV風ミュージックビデオが示すように、彼女たちは成功を掴んだのかもしれない(このラストシーンは諸事情によりあとで付け足しで制作されたものらしいが…)。この映画は公開時からしばらくは誰にも見向きもされなかったものの(映画としては確かにダラダラしていて、パンクが主役なのにテンポが悪いのが致命的。監督は音楽プロデューサーをやったり、『ロッキー・ホラー・ショー』などの製作をやっていた人らしい)、その後ケーブルテレビなどで放送される過程でカルト的な人気を得て、劇中で描かれる女性をエンパワーするという点で、Bikini KillやBratmobileのメンバーがこの映画のファンだったなど、のちのRiot Grrrlムーブメントを先取りした映画として現在は認識されている(一時期ダイアン・レインと付き合っていたジョン・ボン・ジョヴィもファンらしいが…)。そしてこの映画の最もパンク的な部分は、イギリスからアメリカにツアーにやってきてロクな扱いをされずに辛酸をなめている“The Looters”というバンドのメンバーが、ドラムとギターは元Sex Pistolsで当時はThe Professionalsをやっていた“Cook ‘N’ Jones”であり、ベースはThe Clashのポール・シムノンという超豪華オリジナル・パンクスという点だ。ただ彼ら&ヴォーカル(レイ・ウィンストン)の話す英語が訛りすぎていて、何を言っているのかほとんどわからない。


 もう一本もほぼ同じプロットの“Desperate Teenage Lovedolls”(1984年、日本未公開)という映画だが、これは次のカテゴリの方が近いので、次章「ロサンゼルス」の項を参照。
 あと一つは、これは90年代の映画で、しかもパンクというよりはメタルに近いのだが、『ハードロック・ハイジャック』(1994年、監督:マイケル・レーマン)という映画もこのカテゴリーに入れていいだろう。ロスの三人組インディー・バンド“The Lone Rangers”がデモテープを大手レコード会社に売り込むも失敗。それをラジオ局へ持っていき、そこで騒動が起きてラジオ局に立てこもる、というおバカなコメディだが、持ち込んだデモテープが、「カセットテープだと低音が失われる」という本気さを感じさせる理由でオープンリールのテープだったり(もちろん簡単には再生できない 笑)、ボロボロのバンの中にはObituary, Grave, Deicideなんかのデスメタル・バンドのステッカーが貼ってあったりする。ベース役のスティーヴ・ブシェミの見た目などは、今のデスメタル・ヘッズと何ら変わらない。ロス暴動の直後なのでLAPD(ロス警察)をバカにしまくり、そしてバンドのリーダーのブレンドン・フレイザーが実は元オタクだったという“恥ずかしい”過去を暴露するシーンでは、「オレは元新聞委員だったぜ」と、Motörheadのレミーがカメオ出演。メジャー・レーベルの論理の前で最終的に彼らがどうするのかは見てのお楽しみ。

 メタルといえば、先ほどの『反逆のパンクロック』のペネロープ・スフィーリスが監督した『ウェインズ・ワールド』もHRHM映画の亜種と言えるが、この映画をよーく観てみるとテレビクルーのひとりがThe Crampsの黄色いTシャツを着ているので、一応パンク映画ということにしておこう…。

(5) 風景としてのパンクス ――ニューヨーク、ロサンゼルス、ベルリン――

 70年代中盤の出現以降、ひとつの文化的ムーブメントとして捉えられ、それなりに知名度も得たパンクだが、その後ムーブメントが落ち着くと、ある種背景化していく。〈パンク=悪〉のイメージはそのままに、ただ酒を飲み、ドラッグをやってフラフラつるんでいる連中や、また映画に刺激を与えるために、パンク・バンドのハチャメチャなステージングを使う作品も出てくる。そしてその多くは、ニューヨークやロサンゼルスなどの「都会」の風景として描かれることが多かったようだ。

ニューヨーク
 ロンドンと並び、パンクの最初の震源地のひとつとされるニューヨーク。この大都会を舞台とする映画は当然多い。メジャーなところから見ていくと、『1』でポール・ホーガンがオーストラリアの森林の中からニューヨークに移り住んだ後の続編、『クロコダイル・ダンディー2』(1988年、監督:ジョン・コーネル)では、通行人に黒人のパンクスやゴスっぽい格好をした女性が映るが、ポール・ホーガンがパートナーのスー(リンダ・コズラウスキー)をマフィアから奪還する作戦に協力するのは、〝ニューヨーク一クールなギャング〟と言われて抜擢されたパンクス集団だ。パンク以前であれば、街のチンピラ集団に声がかかりそうなシーンだが、ジョン・ウォーターズが言うように「面白くておっかない」パンクスならば、きっと協力してくれるだろう、というアイデアだったのだろうか。


 「ハリウッド史上最大の失敗作」という不名誉な烙印が必ずついて回る、アメリカのコメディエンヌ、エレイン・メイの監督作『イシュタール』(1987年)にも、左翼ゲリラ役のイザベル・アジャーニともストーリーともまったく関係ないところで一瞬だけモヒカンのパンクスが登場する。冒頭、歌手デビューを目指すウォーレン・ベイティとダスティン・ホフマンのダメ・コンビが、ニューヨークでのブッキングのショウで歌うシーンだ。ただその会場は、モヒカンのパンクスがいるには明らかに場違いの小綺麗なクラブで、しかも一瞬しか映らないのでまったく何の印象も残さない。ただそこにいるだけ。こういった現象は“Punxploitation”とでも言えばいいのか、大した意味もなくパンクスは映画に登場する。

 ウィリアム・フリードキンが、ニューヨークの〝レザー・ゲイ〟(という言葉が一般的かはわからないが)、ヘヴィな皮革衣料に身を包んだゲイ文化の中で起きた殺人事件をアル・パチーノ主演で映画化した『クルージング』(1979年)なども、パンクのコスチュームがこういったレザー文化から採用されている点を考えても、パンク映画と言うことができるだろう。ただこの映画、実際に起きたゲイ殺し事件に題をとっていることなどから、撮影時にはニューヨークのゲイ・コミュニティから反対運動が起きて撮影の妨害をされたり(抵抗者たちは鏡を使って光を反射させて撮影の邪魔をしたり、ジップロックに小便を入れ、それを投げて抵抗した、という直接行動の話も目にした)、そもそもそのゲイ殺し事件のモデルとなった人物が、フリードキンの代表作『エクソシスト』(1973年)に端役で出演していた人物だったという話もあり、映画の出来よりもそういった裏話の方が興味をそそる。さらには、この映画のためにGermsは曲を作るように依頼されて数曲作ったのだが、実際に使用されたのは“Lion’s Share”の一曲のみ。そして公開の年の12月に、ヴォーカルのダービー・クラッシュはオーバードーズで死んでいる。

 1982年の〝精神病院〟映画、『ジャンク・イン・ザ・ダーク』(監督:ジャック・ショルダー)は、ニュージャージーの精神病院から脱走した三人が、新しく赴任してきた精神科医一家を襲う、というストーリーだが、このニュージャージーにツアーで来ているのが、Sic F*cksというニューヨークのシアトリカルなパンク・バンドで、精神科医の兄が妹に連れられて、皆でそのライブを見に行くという微笑ましいシーンが登場する。ここでもパンクはニューヨークという都会からやってきたものとして、田舎者にはありがたがられる図式が見られる。

 ニューヨークの映画製作者はもちろんニューヨーク的な特殊な感覚を持っているのであろう、映画にたびたびパンクスを登場させた。2019年の3月に惜しくも亡くなった、脚本はもちろん、製作から監督まで自分でやる〝DIY〟ムービーメーカー、ラリー・コーエンは、『悪魔の赤ちゃん3 禁断の島』(1986年)や『新・死霊伝説』(1987年)といった映画で、かなりはっきりとパンクスの集団を描いている。ただやはりすぐに殺されてしまうのだが…。ちなみに『悪魔の赤ちゃん3』は、当時の冷戦構造や消費主義、原子力偏重の社会を皮肉りながら、パンクスもナイキのロゴで〝NUKE〟とデザインされたかっこいいTシャツを着て現れるので必見。ラリー・コーエンの脚本作品であれば、これもニューヨークが舞台の『マニアック・コップ2』(1990年、監督:ウイリアム・ラスティグ)などにもパンクスは少し登場する。


 またこちらもニューヨーク出身のアベル・フェラーラは、『ドリラー・キラー』(1979年)ではストゥージズのようなプロト・パンクのバンド(その名も「ルースターズ」)をストーリーの軸に、『タクシー・ドライバー』(や『ウォーター・パワー』)のような〝ニューヨークの鬱屈〟を、スプラッター映画として見せた。アベル・フェラーラといえば『天使の復讐』(1981年)が有名かもしれないが、『天使の復讐』で発話障害を持ち、レイプされた男どもに復讐をしていくという印象的な演技をする女優、ゾー・タマリスは、先のラリー・コーエンの作品『スペシャル・イフェクツ』(1985年)にも出演している。パンク的には、1999年に早逝したゾー・タマリスについての短いドキュメンタリーを、冒頭にも名前を挙げたドキュメンタリー映画、『アメリカン・ハードコア』(2006年)を撮ったポール・ラックマンが2本作っているのが興味深い。ニューヨーク・アンダーグラウンドの伝説的女優とハードコア・パンクがここでリンクしているのだ。

ロサンゼルス
――Desperate Teenage Lovedolls

 舞台をロサンゼルスに移しても、そこはハリウッドのお膝元、パンクスが登場する映画はもちろんあり、有名な『レポマン』(1984年、監督:アレックス・コックス)も舞台はロスだが、ここでまた一つ一つ説明していても長くなるのでロスについてはひとつだけ、先ほど「(4)成り上がるパンクス」でも言及したハードコア・パンクのインディーものを取り上げる。当時南カリフォルニアで“We Got Power”というハードコア・パンクのジンをやっていた、デヴィッド・マーキーとジェニファー・シュワルツらが自主制作した、“Desperate Teenage Lovedolls”(1984年、日本未公開)という映画だ。これはパンク、というか、ロックンロール的上昇志向をちょっと小バカにしたようなストーリーなのだが、バンドやりたい! と思った少女たちが“The Lovedolls”というバンドを組んで、そこに関わってくるプロデューサーを騙したり、パンク・ギャングたちと戦ったりしながら、最後はBlack FlagのTシャツを着たギャングに撃たれ、まるでそれまでのバンドの成功がつかの間の夢であったかのように、彼女たちのロックンロール生活は終わりを迎える。と書くと、とてもつまらない映画みたいだな…。出来がいい映画、というわけでもないが、パンク的気怠さと瞬発力を持ち、劇中でLovedollsが歌う“Legend (Come on up to me)”という曲は最高にかっこいいし、主役のキティーが放つ「お母さんを殺してくれてありがとう」というセリフで、この映画がどんなものか大体想像がつくだろう。特筆すべきは、この映画のサントラにはRedd CrossやWhite Flag, Black Flagといった南カリフォルニアのハードコア、パンク・バンドが参加しており、映画自体がほぼハードコア・パンク人脈によって作られていることだ。というのも、監督のデヴィッド・マーキーは、当時はまだ珍しかった女性ヴォーカルのハードコア・パンクのバンド、Sin 34のドラムなのだ。10代前半から自主映画を撮っていてその流れでパンクと出会ったらしく、この映画はまさに時代の産物というわけだ。おまけにSin 34の存在は、Bikini Killや、ひいては後のRiot Grrrlにも影響を与えたと、Bikini Killのドラマーのトビ・ヴェイルは語っている(4)。ただこの映画のDVD化に際して(レンタルVHSはブロックバスターの〝カルト映画〟コーナー用によく売れたらしい)、この映画のサントラLPもリリースしていたBlack Flagのグレッグ・ギンのSST Recordsが、「Black Flagの曲を使うな」と難癖をつけてきたらしく、裁判沙汰になりかける寸前で結局その曲を映画から外すことになり、すでに製作も済んでいたDVDもゴミの屑になったという、グレッグ・ギンの嫌な話もついている…。



ベルリン
 まだ東西に分かれていた80年代のベルリンは、ヨーロッパのアンダーグラウンド・パンク文化を体現していた街でもあった。西ベルリンにはパンクス、ニューウェーバーズもたくさんおり、スクワットに住みついては毎日のようにパーティーをしまくっていたらしい。先述の『デモンズ』も、イタリア映画だが舞台はベルリンで、そこで描かれるパンクスは、ボロい車の中で白い粉を吸ってポリに追いかけられるジャンキーだ。このように、この時代のベルリンの映画にもパンクスは当然登場する。『クリスチーネ・F』(1981年、監督:ウルリッヒ・エーデル)は、当時14歳だったというクリスチーネ・ヴェラ・フェルシェリノヴの堕落やその周辺の人物を描いた半自伝的実録映画だが、デヴィッド・ボウイが登場して「ヒーローズ」を歌うライブ会場や、他のクラブでパンクスの姿を確認できる。この映画はヘロイン中毒の恐ろしさを描いた、「14で不良と呼ばれた」少女の実話であり、観ていてかなり辛いものがあるのだが、素人の俳優をキャスティングして撮られたらしく、クリスチーネ役の俳優は、同じく14歳でクリスチーネの悪夢のようなドラッグ摂取、離脱症状やネグレクト経験を追体験したわけだ。その後トラウマにならなかったのだろうか心配になる。


 現実のクリスチーネはこの実録手記の出版後にベルリンのアンダーグラウンド・シーンで有名になったようで、後にEinstürzende Neubautenのメンバーと付き合って一緒に音楽を作ったりしていたらしいが、そのクリスチーネ自身が出ている『デコーダー』(1984年、監督:ムシャ)は、かなりよくできたディストピア・パンク映画だ。ウィリアム・S・バロウズのエッセイを原案に、Throbbing Gristleなどのジェネシス・P・オリッジや、バロウズ自身も出演。主演はEinstürzende NeubautenのF・M・アインハイトが務めている。やや近未来感漂うサイバーパンク映画でもあるのだが、1982年に起きたベルリンでの反レーガン政権デモの実際の映像を使っているからか、あくまで当時の空気を感じることができる。耳障りのいい音楽により人々は消費に走るように洗脳されている、というディストピア世界の中で、F・M・アインハイトが東奔西走して作ったノイズのテープにより暴動が起きる、という単純だが素晴らしいプロットで、クリスチーネは頭の横を刈り上げたクールなニューウェーブ風貌で、覗き部屋で働くF・M・アインハイトのパートナーを演じている。と、これらの登場人物からもわかるように、パンクスやインダストリアル・ミュージックが好きそうな黒いボロボロの服を着た若者がたくさん映るし、音楽はジェネシス・P・オリッジやSoft Cellのメンバーが手掛けていて、パンクス必見の映画と言える。

 その他ベルリンだと、『ネクロマンティック』などのゲテモノ映画を作ったユルグ・ブットゲライトもパンクスを映しており、「Hot Love」や「Captain Berlin」といった短編や、『死の王』(1990年)では「土曜日」のシーンにパンク・バンドが出てくる。ブットゲライトは先述のベルリンのアンダーグラウンド・シーンに古くから関わっていたらしい(80年代ベルリンのアンダーグラウンド・シーンについてのドキュメンタリー映画、“B-Movie: Lust & Sound in West-Berlin 1979-1989” (2015年)にも登場する。クリスチーネも出てくる)ので、普段からパンクスと接することのあったブットゲライトによるこれらのパンク描写は、当時の「現実のパンクス」を風景化したものと考えていいだろう。

 ベルリンの壁を隔てた反対側、東ベルリンについての映画だと、アメリカ人のジョン・キャメロン・ミッチェルが監督・主演を務めた『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』(2001年)のストーリーの主軸となるバンドはまあパンク・バンドと言えるが、そのバンドはあくまで主役のヘドウィグが東ベルリンからアメリカに移住してからの話なので、厳密に言えば「ベルリンのパンク」ではない。ただヘドウィグが寒々とした東ベルリンで米軍のラジオから流れるロックを聞いて育ったという、おそらく実際に起きていたであろう出来事は、その後のパンクの萌芽を想像させる。ただその後ジョン・キャメロン・ミッチェルが監督したニール・ゲイマン原作の映画『パーティーで女の子に話しかけるには』(2017年)は、表面的には1977年あたりのオリジナル・パンク時代のロンドン郊外を舞台にしているものの、途中から話がおかしくなり、パンクは一気に後景化され、物語からほとんど捨てられたような状態になる。エル・ファニングがパンク・バンドに乱入させられ歌うシーンなどは、痛々しくて見ているこちらが恥ずかしい。おまけにエイリアン襲来ものとしてもありえないほど中途半端だ。
 シャリーズ・セロンが何重ものスパイを演じる『アトミック・ブロンド』(2017年、監督:デヴィッド・リーチ)は1989年あたりの壁が崩壊するベルリンが舞台だが、ここでは東ベルリン側にきれいに着飾ったモヒカンパンクスが登場する。東ベルリンというともっと汚いパンクスが鬱々としていたというイメージがあるが、実際のところはどうだったんだろうか。
 その他パンクのふるさと・イギリスには、お国柄かスキンヘッズ関係の映画が多いようだが、イギリスのパンクに関するドキュメンタリーは多少観ていても、劇映画はあまり観る機会もなくちゃんと追っていないこともあり、この記事では割愛。

 他のヨーロッパの国々の映画にもパンクスは登場する。昨年90歳で亡くなったフランスの映画監督、アニエス・ヴァルダの『冬の旅』(1985年)では、豪壮な家から家財を盗むのがパンクスだったり、終盤に主役のバックパッカー少女がストーナーたちとつるむシーンでは、カラフルなモヒカンや革ジャンに〝Ⓐ〟のペイントをしたパンクスもチラッと映る。フランスもスクワットが多い国ゆえか、この80年代の映画にはスクワットがよく登場するので(ただ2024年のオリンピックの影響もあり、パリでは再開発、ジェントリフィケーションにより排除され消滅しているというニュースも最近見かけた)、アニエス・ヴァルダもスクワットを通してパンクスを認知していたのだろうか。映画はハーマン・メルヴィルの『バートルビー』にも通ずるような、資本主義下の世界において、真の「自由」とは何か(特にこの場合、女性にとっての「自由」とは何か)を考える上で重要な作品だ。

 ちなみに、「実際のパンクスが映画に出て演技をしている」というカテゴリを作るとすると、ソ連映画の『僕の無事を祈ってくれ』(1988年、監督:ラシド・ヌグマノフ)では、ポストパンク・バンドKinoのフロントマン、〝ソ連のシド・ヴィシャス〟ことヴィクトル・ツォイが主役の青年を演じている。先ほどの“Ladies and Gentlemen, the Fabulous Stains”でSex PistolsやThe Clashのメンバーが架空のバンドを演じているのも、このカテゴリに入るだろう。


 また、「パンク歴史モノ」と呼ぶことができる、実在のパンク・バンドや個人を劇映画で再現したものであれば、『シド・アンド・ナンシー』(1986年、監督:アレックス・コックス)や『ジャームス 狂気の秘密』(2008年、監督:ロジャー・グロスマン。この映画はその後のジャームスの再結成も含め、いろんな意味でヒドいが…)、あと昨年日本でも公開された、北アイルランドの初期パンク・シーンを扱った『グッド・バイブレーションズ』(2012年、監督:リサ・バロス・ディーサ、グレン・レイバーン)などがある。

(6) パンクは孤独の音楽

 2000年代以降になると、パンクというものは一般文化への影響力を失ったのか、それとも単にパンク然としたファッションをするパンクスが減ったからなのか、映画にもほとんど登場しなくなったようだ。それも仕方がない、パンクスはあくまでその見た目が「買われて」スクリーンに登場していたのだから。
 そんな中で、パンクが登場人物の「内面」として描かれている映画がいくつかある。その一つが、ジョナサン・デミの後期の作品、『レイチェルの結婚』(2008年)で、アン・ハサウェイ演じるアルコールとドラッグの問題を抱えリハビリ施設で生活を送っている女性・キムが、Sex PistolsやMisfitsなどを好んで聞いていたと思わせるパンク度軽めの主人公として登場する。まあアメリカではMisfitsなんかはパンク/非パンク問わず嫌いな人はいないんじゃないかというくらいの有名バンドなので、これだけで〝パンクス〟と決めつけるのは強引なのかもしれないが、姉の結婚式のために一時的にリハビリ施設から実家に帰った際に起きる、家族間の不和についての映画の中で、彼女の圧倒的な孤独と家族からの不理解を代弁するのに、キムの部屋にあるパンク・アイテムは効果的に使用されている。


 吸血鬼とトランスジェンダー、また吸血鬼の〝お世話〟をすることの大変さが丁寧に描かれたスウェーデンの映画、『ぼくのエリ 200歳の少女』(2008年、監督:トーマス・アルフレッドソン)にも、似たようなパンク描写が出てくる。映画の舞台が1980年代初めあたりということも関係しているかもしれないが、学校でいじめを受けている主人公の少年・オスカーの秘密の部屋には、The Clashのポスターが貼ってあるのが確認できる。

 パンクを聞いていたから仲間はずれにされて孤独に陥ったり、ドラッグやアルコールに走ったのか、それとも孤独だからその心の隙間を埋めるためにパンクを聞くのか、どちらが先なのかはわからないが、この二つの映画でパンクが表しているものは、〝アウトサイダー〟となった主人公たちのまさに心の中であろう。パンクはそもそも〈世間〉のレールを外れた鼻つまみ者の音楽であり、それゆえに世間からは眉をひそめられるようなファッションをして、やかましい音楽を披露してきたわけだが、これらの映画は、パンクの見た目、ファッションを用いる代わりに、パンク・バンドのイメージを使って人物の内面をほのめかしている。ただそこに、例えばDischargeやCrucifixのポスターがあっても、世間には何のことかわからない。それゆえに世間とパンクを結びつけることのできるSex PistolsやMisfits、それにClashなど知名度があるバンドが使われるのは当然とも言える。ただ逆に言えば、〈世間〉の持つパンク・イメージは、Sex PistolsやMisfitsなどの有名バンドから深まることはないということでもあるのだが。

(7) 希望としてのパンクス ――『エレニの帰郷』

 さて、最後のカテゴリーだ。ここでテオ・アンゲロプロスの遺作となった『エレニの帰郷』(2009年)を取り上げるのは意外かもしれないが、この映画の中にパンクスは本当に映っている。残念ながら私はアンゲロプロスの映画を仔細に論ずることができるようなオツムも持ち合わせていないが、ただそれでもアンゲロプロスの描く世界に、〈アナーキー〉を感じ取ってきた。なぜ〈国境〉があれほど意識されるのか。なぜギリシャの歴史を、バルカン半島の悲劇をとことんまで振り返る必要があるのか。そしてそれは、『こうのとり、たちずさんで』(1991年)のパンフレットに書かれたこの一言が、いつも私の心をとらえて離さないからでもある。

「政治も政治家ももはや信じるに値しません。心ある人間なら、政治を行うなど今日では不可能です」
テオ・アンゲロプロス(『こうのとり、たちずさんで』パンフレットより)

 2012年1月のアンゲロプロスの突然の死により、氏の遺作となってしまった『エレニの帰郷』だが、この映画にはまぎれもなくパンクスが登場する。ほんの数秒、エキストラとして出てくるだけだが、アンゲロプロスがパンクスをあえてあのシーンで使う意味は何だったのだろうかという疑問が、ちっとも日本公開が決まらない中、なんと東映が配給したその映画を2014年1月の劇場公開時に観て以来、頭のどこかに残っている。パンクスが登場するのは、主役の三人が1999年のベルリンの地下鉄で踊るシーンの直前だが、アンゲロプロスはビールを片手にした三人の若いパンクス――黒服が一人、赤い髪の女性らしきパンクスが一人、モヒカンに鋲ジャンが一人――を、主役の「老人たち」とは反対の方向へ歩かせたのだ。
 アンゲロプロスがその続編となるはずだった“The Other Sea”(原題)を撮影中に事故死した2012年、その夏私はギリシャにひと月半ほど滞在していた。そこで地元のパンクスに彼の死について聞くと、「ああ、あれは残念だった」、「アンゲロプロスの映画はギリシャでは子供を寝かしつけるために見るものだ」などといったあまり関心のない回答から、「あのバイク事故は非番の警官によるものだから、もしかしたら反政府的な映画を撮影しようとしていたアンゲロプロスを権力が謀殺したのかもね」と、半笑いで答えた奴もいた。もちろん冗談なのだろう。ただ『エレニの帰郷』の中で、パンクスを登場させ、映画監督「A」を演じるウィレム・デフォーの娘・エレニを、ベルリンのスクワットと思しき場所から「死にたい」と飛び降りようとさせた裏には、すでに財政破綻へと向かっていた当時のギリシャ国内の状況が反映されていたのではないだろうか。「ギリシャの若者には将来がない」と早い時期から危惧していたアンゲロプロスは、国家や、移民排斥を訴える極右と日夜対峙するギリシャの活発なアナキストやパンクスに対して、何か自分と近いものを感じ取っていたと考えるのは、これまでの一連のアンゲロプロス映画を考えると、ごく自然なことのように思える。
 その“The Other Sea”のシナリオを、アンゲロプロス映画の日本語字幕を担当してきた作家の池澤夏樹が持っているそうなのだが、それを知って、おまけにその未だ撮られていない映画について、「難民たちの仮の住処を豪雨の濁流が襲い、最後には行政のブルドーザーがすべてを押しつぶす。そういう場面をテオは撮るつもりでいた(5)」と書いていたのを読んで、「おいおい池澤さん、天皇賛美なんかしてないで、シナリオだけでもさっさと公開してくれ!」と恨めしく思ったものだが、改めて観直した『エレニの帰郷』のDVDに収録されていた、アンゲロプロスのパートナーで共同製作者のフィービー・エコノモプロスと娘へのインタビューで、「これまでにその映画を作りたいという申し出もあり、それを断って非難もされ、今でも制作するか迷っていて、時期を探っている」とエコノモプロスが語っているのを見た。3人の若いパンクスが〈未来〉へと歩く――。『エレニの帰郷』に一瞬だけ映るそのシーンだけをもって、パンクスを〈希望〉とするのはおこがましいのかもしれない。ただその一瞬のシーンの意味を考え続けるために、さらに元々三部作の構想のうちの二作目で、映画としても完結したとは言えないこの『エレニの帰郷』のためにも、いつかこの“The Other Sea”を観られる日が来るのを待つしかない。

パンクは再び〈脅威〉になりえるのか

 本文中で何度も述べたように、パンクの多くは、その根幹、〝真の姿〟を顧みられることもなく、社会の〈悪〉として映画の中で描かれてきた。そしてそれは過去の話であり、もはや映画に取り上げられること自体少なくなってきた。若者が新しく入り込む音楽文化として、パンクの魅力は他のもの――デプレッシヴな若者を惹きつける、米南部ヒップホップの進化系と言える〝トラップ〟や、最近流行のビリー・アイリッシュのような――に圧倒されている。おまけにパンク自身が、その牙を自分で抜き捨て、その時々のトレンドや過去の遺物をコピーすることで、表面だけ取り繕ったようなこじんまりとしたものに成り下がってもいる。〝DIY〟を標榜しながら商業主義に自らハマっていくものもいる。もはや噛み付くこともできなければ、おっかないものですらないのかもしれない。時代が変わった、それはもちろんそうだ。ただこういった映画に登場した(ときには無残に殺されていった)パンクスたちを観直すことで、今一度「パンクとは〈世間〉にとってどういった存在であったのか」を考える必要があるのではないか。それはかつての〈世間〉の望み通りに今一度〈悪〉をもたらそう、ということではなく、今現在の「私たちとは誰か」を考える作業でもある。Profane Existenceが今も引き続き掲げる標語である“Make Punk a Threat Again”の“a Threat”=〈脅威〉は、現在において引き続き何を意味するのか。これらの映画は〝パンクが再び脅威になる〟ためのヒントを与えてくれるだろう。

注、参考資料:
1.The Long, Strange Tale of California’s Surf Nazis
https://www.nytimes.com/2019/09/28/opinion/sunday/surf-racism.html
2.『ホラー映画の魅力 ファンダメンタル・ホラー宣言』 小中千昭(岩波アクティヴ新書)
3.Director Zal Batmanglij Talks Making ‘The East,’ Harnessing The Power Of Young Filmmakers & Creating An Anarchist Collective
http://blogs.indiewire.com/theplaylist/director-zaj-batmanglij-talks-making-the-east-harnessing-the-power-of-young-filmmakers-creating-an-anarchist-collective-20130530
4.“Do You Feel Safe?” CD / Sin 34 (Sinister Torch Records)
5.『国境を超える現代ヨーロッパ映画250 移民・辺境・マイノリティ』(河出書房新社)
・Destroy All Movies!!!: The Complete Guide to Punks on Film / Zack Carlson, Bryan Connoly (Fantagraphics Books)
・『映画の生体解剖 恐怖と恍惚のシネマガイド』 稲生平太郎・高橋洋(洋泉社)
・『アンゲロプロス 沈黙のパルチザン』 ヴァルター・ルグレ著、奥村賢訳(フィルムアート社)