【Debacle Path vol.1より】Antisect小史――昔のAntisect、今のAntisect

Antisect小史――昔のAntisect、今のAntisect
鈴木 智士
(Debacle Path vol.1(2019年3月)より再掲)

2017年に、34年振りのフルアルバム、『The Rising of the Lights』をリリースしたUKアナーコ・パンクの「伝説」Antisect。今回はオリジナルボーカルのピート・ボイス氏に話を聞き、そのアルバムの発売前にネットを賑わせた「問題」に焦点を当てながら、バンドの歴史を追った。
※本稿は、2018年7月に執筆したまま、特に何の媒体にも載らなかったものに、加筆修正を施し掲載したものです。ピート・ボイス氏へのインタビューは同年5月~6月に行われました。


醜聞

 世の中に存在する「表現」すべてにあてはまることだろうが、いわゆる「マスターピース」というか、これがなければ今日の表現は存在しなかった、と思えるような作品や表現者は、誰しも必ず心の中に一つや二つ持っているだろう。ポーの「黒猫」や「アッシャー家の崩壊」などの一連の作品群がなければ怪奇小説は隆盛しなかっただろうし、イングマール・ベルイマンがいなければ今我々が見ている映画も、もしかしたら全然違ったものになっていたのかもしれない。いや、別にベルイマンじゃなくてもいいんだけど、この前生誕百周年特集の予告を見たので……。
 さて、それを突然だがアナーコ・パンクにあてはめてみると、CrassやConflict, Crucifixなど、いくつか思い当たるバンドがあるが、イギリスのAntisectこそがその最たるものの一つだと言っても特に文句はないはずだ。彼らのファーストLP『In Darkness There Is No Choice』(1983年)が漂わせる始終張り詰めた緊張感は、凡百のバンドに出せるものではないし、その歌詞は、動物の権利や監視社会、「第三世界」の不平等など、当時のバンドの多くが扱っていたものだが、あのトリプルボーカルで説教のように捲し立てるボーカリゼーションの攻撃性は、今聞いてもまったく衰えを感じない。おまけに「Channel Zero (Reality)」なんかは、完全にその後の世界を予見していた。ラインナップが変わり、そのアルバムの二年後にリリースされたEP『Out from the Void』にいたっては、あのリフやアートワークの世界観にやられたパンクスは数知れず。AntisectのTシャツ、パッチやペイントは今でもそこらじゅうで見るし(特に日本ではよく見る気がする)、それらのリリースから30年以上が経った今でも、引き続き多くのパンクスに影響を与え続けているバンドである。

 さて、本稿では、2018年11月には初の来日ツアーを終えた、そのAntisectの歴史を簡単に振り返ろうと思う。2011年、24年振りに活動を再開したAntisectだが、再結成後も幾度かのメンバーチェンジを経て、現在はオリジナルメンバーのひとり、「ミスター・Antisect」こと、ギターのピート・“リッピー”・ライオンズ、再結成時からバンドに加わったドラマーのジョー・バーウッドに、『Out from the Void』時代のベース、ジョン・ブライソンを迎え、スリーピースで活動している。そのラインナップで2017、アルバムとしては34年振りとなる『The Rising of the Lights』(以下「新アルバム」と呼ぶ)を、リー・ドリアンのRise Above Recordsからリリースした。そしてこの新アルバムが、その音楽性の変化だけではなく、様々なレベルにおいて物議をかもしたのも有名な話だ。今回はその「有名な話」のひとつ、ソーシャルメディア上でのバンドのゴタゴタを中心に話を進めていきたい。

 こんなことを取り上げるなんて、とてもおせっかいなことなのかもしれないが、先述のように、Antisectはアナーコ・パンクを語る上で欠かすことの出来ないバンドのひとつだ。再結成したと聞いたときには、驚き半分嬉しさ半分、ライブも見てみたいなあと思ってはいた。ただ、新アルバム、いや、そのリリースの前にYouTubeに公開されたアルバム収録の新曲――一連の議論の発端になった曲だが――を聞いたときには、何と言っていいかわからない、肩透かし、虚脱感のようなものを感じた、というのが正直な気持ちだった。Antisectのようなバンドに関して言えば、若い頃にその「マスターピース」を聞いてしまったがために、その後の人生を狂わされた人も多いことだろう。そんな強い影響力を持ったバンドの新譜が、これまで「狂わされ」てきたものとまったく違うとなると、これは由々しき事態だ。ついでに言っておくと、個人的な話になるが、2012年にヨーロッパを旅行していた時、一週間ほど滞在したロンドンでお世話になった友人が、当時Antisectのマネージャーみたいなことをしていて、「日本ツアーしたいんだけど」という話を振られたりした。私なんかの手に負える規模のバンドではないことは明らかなので、国内のお願いできそうな友人数人に一応話を振ったが、金銭的な話も絡んで折り合わず。その後その友人はマネージャーを辞め、日本ツアーの話も雲散霧消。というわけで、ちょっとした個人的つながりもあり、その動向はその後もずっと気にはなっていたのだった。

 さて、この、「醜聞」と言ってしまってもいい話ではあると思うが、実はフェイスブック上ではかなり有名な話で、そんなこととうの昔に知っている、という人もいるかもしれない(そんな方にはこのような駄文を読むのに時間を使ってもらっては申し訳ないので、どうぞ他の記事へ進んでください)。2017年のその新アルバムのリリースの発表があったあたりから、フェイスブック上で「炎上」していたのを何度か目撃した。私が最初に見たのは、なぜかSore Throatのフェイスブックページにおいてだったが、特に火の元となったのが、“Antisect Unofficial”という、現バンドへの批判がつらつらと書かれたフェイスブックのページだ。おそらくその一部始終が知れ渡った英語圏やヨーロッパでは、アルバム発売後のバンドに興味を失った人も多いようで、2018年の4月ごろにAntisectがアメリカツアーをしていたときに、彼らのライブを見た人たちの反応についても、「『あれはちょっと…』って感じだったぜ」と、オークランドに住む友人がメッセージを送ってきた。

 この興味のない人には本当にどうでもいい三面記事にご登場いただくのは、Antisectのオリジナルのボーカルであるピート・ボイス氏だ。最初にネタバレをしておくが、先述の “Antisect Unofficial”ページの「中の人」が、このボイス氏らしい。元メンバーがSNSで堂々と現バンドを批判……。しかも中には批判を超え、怨み節に近いような投稿すらある。余程のことがあったのだろう。バンドの新曲を聞き、そのフェイスブック上での炎上を目撃し、モヤモヤしていた私は、ピート・ボイス氏にコンタクトして、バンドの歴史から今回の「騒動」まで、色々聞いてみることにした。

当時のAntisect

 Antisectのオリジナルメンバーには「ピート」が3人いてややこしいので、ピート・ボイス氏のことは以降“ボイス”と書く。氏は1982年にリッピーやドラムのピート・“ポリー”・パルスケヴィッツに誘われてAntisectを始めたひとりだ。そこにベースのウィンクが加わった四人が、Antisectのオリジナルメンバーだ。
 3人のピートはイングランド中部のノーサンプトンシャーのダヴェントリーで育った。ウィンクだけは近郊の村のロング・バックビー出身。若い頃から全員パンクに夢中で、The Ruts, The Damned, Stiff Little Fingers, Crass, Magazine, Motörheadなんかに影響を受けていたらしい。
当時のAntisectについて、バンドはどんな感じだったのか話を聞いたところ、ボイスはこう振り返った。

「Antisectの活動は一生懸命やったし、モチベーションもあった。メンバーの誰も金には興味なかったし(まったく金を持ってなかったし!)、ひどいときには次のギグに行くガソリン代がなかったり、家に帰る金すらないときもあったよ。その頃やったギグのほとんどはベネフィット・ショーで、メンバーみんなそれで満足だった。
個人的には、Antisectは私を犯罪まみれの生活から救ってくれたと思ってるよ。1980年には警察に捕まって少年院でしばらく過ごしたし、それ以来、もうムショ暮らしはゴメンだと自分で誓いも立ててたし。80年代前半のイギリスは、失業率は高く、冷戦もあったし、炭坑の閉鎖や、もちろんそこにサッチャーがいたから、色々大変だった。でも音楽シーンは素晴らしいバンドが本当にたくさんいて活発だった。1977年には私は11歳だったから、パンクの本当の始まりを体験できなかったけど、1979年にUK Subsを“Another Kind of Blues”のツアーで見てから、パンクにのめり込んでいった。チャーリー・ハーパーはまだやってるから凄いよね」

 最初のパンク・ムーブメントが尻すぼみになり、パンクの細分化が始まった70年代の終わりの1979年に、「鉄の女」マーガレット・サッチャーの保守政権は誕生し、イギリスのパンクス、アナーコ・パンクスたちを燃え上がらせた80年代は、同時に丸々サッチャーの時代でもあった。そんな中で、貧乏生活をしながらも、ボイス氏は犯罪者になる代わりにAntisectをやっていたわけだ。当時のAntisectが関わった「運動」については、グリーナムやヘイフォードでの反基地闘争に参加したというインタビューも残っている(https://diyzine.com/antisectinterview.html)。

 イギリスのハードコア・パンクについての著作が多い、イアン・グラスパー(現Warwoundのベース。近著に650ページもあるUKスラッシュメタルの本、『Contract In Blood』があり)のUKアナーコ・パンク簡易百科事典、『The Day The Country Died』(Cherry Red Books, 2006)には、もちろんAntisectのことも書かれており、他のバンドよりも多めにページが割かれている。これはリッピーへの聞き取りが元になったテキストのようだが、それによるとボイスは、1985年のUKツアー出発の朝に、「最悪のタイミングで」(リッピー談)バンドを辞めたという。ボイス本人はその時のことについてこう説明する。

「ああ、DirtとのUKツアーのために、メンバーが家に迎えに来た日にバンドを辞めたよ。いくつか理由があるんだ。当時、私の精神状態はよくなくて、鬱病と不安症に悩まされていたんだ。しかもその時はその症状が何なのかわかってなかったし、誰にも話せなかった。バンドの誰も私の頭の中がどうなってるかなんでわからなかっただろうし、私は長い間、ただ現実から逃げていただけだった。Antisectを辞めてからも10年くらいは病気が治らなかったよ。今は生活も健康状態もとてもいいから幸せだけどね」

 パンクバンドをやりながらも、鬱病になってしまう、というのは今でもたまに聞く話だ。パンク・ライフは生きづらい社会からの解放手段にはなるかもしれないが、万能薬というわけでもなく、逆に作用することもある。

「あと別の理由もあって、私はそのツアーにスティーブという友人を同行させようとしたんだ。彼はスキンヘッズだったけどレイシストの類のじゃなかったし、私の親友で、パンクについてすごく詳しい奴だった。ライブにはよく一緒に行って、特にStiff Little Fingersはよく一緒に見に行ったなあ。
バンに近づくと、リッピーが車から降りてきてこう言ったんだ、「どういうつもりだ? こいつは連れて行かないぞ」って。そこでもう耐えられなくなって、そういうことならもうこのバンドを辞めるって言ったんだよ。正直なところ、もうたくさんだったし、他のことをやりたかった。だからこの一件が引き金になったんだ。10分くらいして、ポリーとリッピーがまた家にやってきて説得しようとしてきたけど、私はもう辞めることを決意していて、その決意は変わらなかった。良好な関係のままバンドを辞めたかったけど。バンドに穴を開けて迷惑をかけたことは確かだし、まさか彼らがそのままツアーを続けるとも思わなかったよ。それは結果的にはよかったけどね。その後はリッピーとジョン・バイソン(現在のベース)がボーカルも担当して、スリーピースで活動して、1985年に『Out from the Void』シングルをリリースして、87年まで何とか続けてたね」

 ボイスの話に追記をすると、バンドは『Out from the Void』EPをリリース後は、ドラッグ漬けになりながら、それでも「Welcome to the New Dark Ages」という仮タイトルの元、セカンドアルバムのレコーディングに入るが、遂に完成はせず幻のアルバムとなってしまう(何とThrobbing Gristle, Psychic TV他のジェネシス・P・オリッジが主催するTemple Recordsからのオファーもあったらしいが、契約書がやたらと長くて蹴ったらしい。そのアルバムに入る予定だった何曲かは、ライブアルバム『Peace Is Better Than a Place in History』のB面で聞くことができる。おまけにその幻のアルバムのタイトル曲は、プログレッシブになって新アルバムに収録されている)。その後ベースがX-Cretas, Anthraxのローレンス・ウィンドルに代わり、新しいボーカルにティム・アンドリュースを迎えて活動を継続したが、その後のツアー中にバンから機材がすべて盗まれ、それがきっかけのひとつとなり、Antisectは解散。リッピーとローレンスは80年代終盤にKulturoを結成し、ライブやデモも好評を博したらしいが、これも一年半ほどで解散している。

2011年、再結成

 さて、時は過ぎ2011年、Antisectが再結成したと聞いたのは、それ以前からよく渡英していたOut of Touchのリーダー氏からだったと思う。先に書いたように、ちょっと見てみたいなと思いつつ、2012年の“Monteparadiso Festival”というクロアチア西部のプーラで毎年やっているパンク・フェスティバルに、Antisectが出るという話を聞いた。そのとき私はヨーロッパを旅行中で、ちょうどセルビアのベオグラードにいたので、問題なく行ける距離だったのだが、連日40度近いベオグラードの夏は暑すぎて移動する気が失せ、完全に「沈没」していたので、行かなかった。今思えばバカだった…。
 その再結成についてのボイス氏の心証。

「再結成はリッピーの提案で、今思えばあれは金儲けのためだったね。以上さ。彼の目的はずっと同じで、セカンドアルバムをリリースして、アメリカと日本をツアーすることだった。彼は知っていたんだよ、Antisectのレコードは売れる、ってことを。リッピーは金銭的な問題を抱えてたみたいで、これで稼げる、と思ったんだろうね。まあそううまくはいかなかったんだけど。
再結成してすぐ、彼は私にこう言ったんだ。「少し前にSouthern Recordsに連絡して、Southern Recordsが『In Darkness…』アルバムについて、バンドに対して支払うべき印税の話をした」と。その後レーベルは、約一万ポンド(今のレートで約140万円)を、レコードに関わったメンバーで分けるだろうと思って、リッピーに手渡したらしい。ただリッピーはその金を独り占めして、当時のメンバーの誰にもそのことを伝えようともしなかった。最初にこの話を知ったときには怒ったけど、レーベルがいつまでも金を持ってるよりも、彼が持っている方がいいかもねと彼には伝えたんだ。もちろん他のメンバーは、リッピーがいつかやるべきことをやる、すなわち金をちゃんとみんなに払うと信じていたんだけどね。しばらくすると、Southern Recordsのウェブサイトに動きがあって、別のレーベルが『In Darkness』アルバムを再発したけど(注: 2011年にAntisocietyというレーベルからリリースされたLPのこと)、Southernはそれはブートレグだから、買わないようにとウェブ上で呼びかけていた(http://www.southern.com/blog/buyer-beware-Antisect-bootleg)。この再発には誰が関わっていたと思う? 事実は、リッピーがAntisocietyから1500ポンド(約22万円)をもらって、許可を与えていたということだったんだ。イギリス国内でのあるライブのときだから、私も同じ場にはいたんだけど、彼がそこでレーベルから小切手をもらっていたらしい。もちろんその金はリッピーに丸々渡って、以来誰もそれについては黙して語らず。Southernがいい顔するわけないよね。それでSouthernと彼と話し合いの場を持ったんだけど、彼は最初は再発のことは全部否定して、もらった印税のことも嘘をついたんだ。でも2回目の話し合いで、ようやく自分の罪を認めた。Southern Recordsは『In Darkness』アルバムの再発をしようと動いていたんだけど、結局その話も立ち消えになったよ。リッピーを信用できなくなったんだろうね。彼はSouthernのアリソン(・シュナッケンバーグ)に怒られたらしいけど、私もその場にいてそれを見てやりたかったよ」

 再結成の話だけ聞こうと思ったら、いきなりマネーの話に飛んでしまった。ただこのあたりは、先述の“Antisect Unofficial”にも載っている話だ。バンド解散後も『In Darkness』アルバムはSouthern Recordsのカタログに引き続き載り続け、その間に印税が1万ポンド貯まっていた、ということらしい。Southernが未発表の写真や新しいライナーノート付きでの再発を計画していたが、この一件の結果、リリースされずに終わったというのも、何とも惜しい話だ。

 再結成後にバンド自身でリリースされた、『4 Minutes Past Midnight』の10インチレコードがあるが、これについても一悶着あったらしい。ちなみにこのタイトル曲は、先述のライブ盤のA面に入っている昔の曲の、2011年アレンジ版だ。

「ライブ会場のみで売られた10インチについては、あれは最悪だったね。あのレコーディングは、リッピーが裏でコソコソと色々やりやがったんだ。レコーディングしたデモバージョンの「4 Minutes Past Midnight」があって、ライブでも演奏してたし、いい曲だと思ってたんだ。レコーディング後に、トラックを聞かせてとリッピーに何度も頼んだんだけど、彼は聞かせるのを渋って、何だかんだと言い訳をして聞かせてくれなかった。レコードとしてプレスすることは知っていたから、その前に確認したかったんだ。当然の要求さ。最終的に彼はその曲を聞かせてくれたけど、まるでクソみたいなトラックになっててショックだったよ。録音したデモにあった力強さがまったくなくなってしまって、曲も遅くなってるし、ひどいプロデュースさ。私のボーカルも勝手に補正されていて、曲のアレンジもすべて変わってるし、これはバンドに対する「罪」だと思ったよ。
レコードは出てしまったけど、そのアレンジでの演奏は結局一度もやらなかったね。ただ単純に嫌だったんだ」

 リッピーはサウンド・エンジニアで、自分のスタジオを持ち、再結成後のAntisectの音源はすべてそこで録音しているようだが、他のメンバーに断りもなく、ミックスを勝手に変えてしまったらしい(ちなみにその両バージョンがYouTubeに上がっているので、聴き比べたい方はググるか、その両方をDebacle Pathのウェブサイトに貼っておいたので、https://graywindowpress.com/dp-1-antisect/ をチェックしてみてください)。確かにレコードバージョンは、安っぽいメロディーや微妙なソロ、そして最後のドッカーンといい、何とも言えない編曲になっている。
 そもそも先に参照したアナーコ・パンク本、『The Day The Country Died』のリッピーへのインタビューを読むと、再結成はずっと言われ続けてきたが、「再結成をしたら、ちょっとダサいだろう」とも言っているので、この間に彼に心境の変化があったことは容易に想像がつく。ついでに言っておくと、そのインタビューでは、過去のヴィーガンのメンバーのことやその活動を揶揄したり、アナーコ・パンクと呼ばれるのが嫌だったとか、それにボイスとの不仲もそれとなく語っているので、当時から二人の関係は良好ではなかったのかもしれない。85年にボイスが突然バンドを脱退したのも、その当たりの事情が関係していそうだ。リッピーの同様の発言は、『Some of Us Scream, Some of Us Shout』(Itchy Monkey Press, 2016)というアナーコ・パンク回顧本に掲載された『Out from the Void』期のものと思われるインタビューでも確認できる。ちなみにこの本には他にもいくつかAntisectのインタビューが再録されており、2007年に亡くなってしまったDIYパンクシーンの名ライター、J Churchのランス・ハーンによる、現ベースのジョン・ブライソンへのインタビューを元にした記事(おそらく2000年代初頭のもの)も掲載されているが、ブライソンは途中加入のメンバーでもあるゆえか、客観的にバンドのことを見ている上に、当時の裏話もたくさん出てくる面白い記事だ。
 さて、ここまでの話を聞けば当然の帰結のようにも思えるが、その後ボイスは再びバンドを辞める。

「再結成後、ライブを六本くらいやって、私はまたバンドを脱退したよ。続けたかったけど、もうできなかった。正直なことを言えば、最後のライブの夜に、これまでの持ち出しの経費を精算したかったんだけど。新アルバムを作る気もあったし、ライブもいくつか決まっていた。ただリッピーがローレンス(ベース)と共謀して、日本やアメリカをツアーするために、その二人でバンドの資金を管理すると言い出したんだ。ここで警告の鐘がガンガン鳴ったね。リッピーとローレンスを信用することはもう無理な話だった。特にあの10インチレコードの結末を知ってから、どうリッピーを信用するって言うんだ? バンドは常に多少の持ち出しが必要になってくるし、それを彼らに任せるのはもうできない話だった。再結成後の2011年~12年のライブは本当に楽しかったし、古い友人たちに会ったり新しい友人もできたり、素晴らしい時間を過ごせた。ただ「悪辣」な動きが現れ始めていたんだ。他のメンバーは全員リッピーに恐れをなして、私のことをサポートしようとはしなかった。支配的で悪辣なボスさ。私が何を言おうが、誰も耳を貸さない。誰も私の側につこうとしない。私とティム(・アンドリュース、もうひとりのボーカル)は毎週末になると練習やレコーディングのために、一緒にロンドンまで出かけて、仲良くなったと思っていた。彼のことは1985年ごろから知ってるけど、知り合い程度だったんだ。でも私のバンドに対する不満や意見は支持されず、逆に私を攻撃する材料としてリッピーに使われたね。新しいメンバーのジョー(ドラム)以外は、もはや誰も私の仲間ではなかった。ジョーは素晴らしいドラマーで、ギタリストでもあり、パンクの精神を持った人間だね。
他方でリッピーは、“No Gods, No Masters”(神もなく、主人もなく)とか言ってるのに、彼自身がバンドのあらゆることの『主人』になってしまったんだ。
ライブが終わると、彼らが誰よりも早く主催者に駆け寄ってギャラをもらったり、物販の担当に売れ高を聞いてお金を数えているのにはうんざりしたよ」

 これがボイスが最初に言及した、「金のための再結成」の顛末らしい。80年代のAntisectが持っていた、「金に興味はなかった」という考えは、ボイスには変化はなかったのだろうが、他のメンバーはもう違ったのかもしれない。
 再結成Antisectはボイスとティム・アンドリュースのツインボーカルで始動したが、ボイスが辞めた後は、もうひとりのボーカルのティムをピンのボーカルにして活動を続けた。が、彼も2013年にはバンドを辞めている。その後新しく入ったボーカルも、長くは続かなかったようだ。

2011年版デモ音源と2017年の新アルバム

 ボイスはバンドを辞めてから、Antisectの「オリジナリティ」を保つかのような行動を始める。

「バンドを辞めてから、2011年にレコーディングしたすべてのデモ音源を集めて、インターネット上に無料で公開することにしたんだ。リッピーにその曲を使わせないためにね。この音源が後に『Antisect Unofficial USBスティック』になって少しだけ売られて、売上は全部慈善団体に寄付したよ。30年前のAntisectならそうしていただろうからね。リッピーは新アルバムに入れる曲がなくなったから、また一からやり直しだっただろうね。なぜ『The Rising of the Lights』が昔とは全然違う音になってるかって? それはあのアルバムが、Antisectの名を語ったリッピーのソロアルバムだからだよ」

ボイスが販売した“Antisect Unofficial”USB スティック

 もうこうなってしまうと、バンド内でのメンバー間の「潰し合い」の様相を呈してくる。過去音源の再録も含むそのUSBで「アンオフィシャル」に販売されたデモ音源のいくつかはYouTubeでも聞けるが、先に挙げたライブアルバム『Peace Is Better Than a Place in History』のB面の何曲かも再録されていることもあり、どれも昨年の新アルバムよりは、幻に終わったセカンドアルバム「Welcome to the New Dark Ages」を想像させてくれる。つまり80年代のAntisectの延長を感じ、正直かなりかっこいい。ただ中には、例えば新アルバム3曲目のインスト曲「Weapons of Mass Distraction」(「大量動揺兵器」とでも訳せるだろうか)~4曲目の「Acolyte」のように、チューニングを下げ、テンポ、曲名を変えて(デモ音源ではそれぞれ「We Think You Know」, 「Ritual」という曲名だったようだ)新アルバムに収録されている曲もあり、ボイスの意図した、リッピーに曲を使わせない、という計画は思った通りには行かなかったようだ。ちなみにその他の曲だと、新アルバムの8曲目、「Something To Hate」という曲のリフは、Kulturoのライブ音源でその原型を聞くことができる。まあ逆に言えば、新アルバムにおける、先述のデモの変形版や、「Welcome to the New Dark Ages」のような元からあった曲以外の曲、つまり先行して発表された「Black」のような曲が、いわゆるモダンヘビネスぽくて聞くに堪えない、とも言えるわけだが。肯定的な解釈をすれば、現在のAntisectは、その「Welcome to the New Dark Ages」の頃から、音楽的には実はそんなに離れていないと言うことも可能だ。まあ現在のバンドの音楽性や新アルバムへの評価は、聞く側のテイストの問題でもあるので、ここでこれ以上深く突っ込むのはやめよう。

 ちなみにボイスに新アルバムについての感想を求めたら、こう返答があった。


「その新アルバムについての私の意見は、“Antisect Unofficial”に記録してあるよ。長い間Antisectの新作を待っていた人もいるし、その人たちの気持ちを邪魔する気はもちろんない。レコードのアートワークにクソが載っているのは、レコードについてだけじゃなくて、それ以上の意味が込められているよ。金儲けをしながらアナキストと名乗ることに対する皮肉さ。それには犬のクソがお似合いだろ。
バンドのスローガンやイメージを作り上げるのはもちろん自由だけど、それが言行不一致なら、それはまったく意味を持たない。ほとんどのパンクスは友人から何かを盗むことはしないだろうし、こんな挙動をすることもないだろう。自分は重要な人間だと威張って、他人の価値を絶対に認めない。そんなこともパンクスはしないだろうな。
新作はまったく違う音楽だけど、そうならざるをえなかった。なぜなら彼らはまったく別のバンドだからさ。すべてリッピーが自分で作ったものだ。だから彼の趣味が反映されてるんだろうね。ジョンやジョーが意見できたかも疑わしいよ。そんなこと許さないだろうからね。アルバムが発売されて、たくさんの議論がなされたけど、音楽的にはあまりに変わりすぎてしまったから、受けは良くはなかったんだろう。リリースしたのはNapalm Deathとかをやってたリー・ドリアンのRise Above Recordsだし。リー・ドリアンはいつもリッピーを英雄視して、リッピーに大きな影響を受けたとよく言ってるよね。でも可哀想なのは、リッピーはリー・ドリアンのことを同じようには思ってないってことだな。リッピーは自分でレコードを出す余裕がなかったから、出してくれそうな人にいい顔をしたんじゃないかな。手段も選ばず、よこしまなんだよ。まああの忍耐力には感服するけど」

 この、新作のジャケットに犬のクソが載せられた画像はSNSを駆け巡り、この醜聞を広めるのに一役買ったはずだ。私もこの画像をきっかけに、一連の出来事を追いかけた。しかもそれが再結成にも参加したオリジナルのボーカルによる批判だから、ここまでやるのか! と思ったのも正直なところだが、その意味はどうしても深く読み取らざるをえない。

 ちなみに新アルバムのブックレットには、歌詞のページ量の四倍くらいの長~い声明文が載っている。リッピーが書いたものだ。ボイスの話だけ聞くのも一方的かと思い、その声明文を読んでみたが、正直な感想を書けば、ムダに長く、主語もはっきりしない部分が多く、ダラダラと口語的で読みにくい。彼の生い立ちから「パンク的若気の至り」話、2013年のスウェーデンでのライブ中に心臓発作で倒れ、生死をさまよった話やそこから得た教訓などが、とりとめもなく書かれている、と書くと、何だか彼の自伝のようでもあるが、まああながち遠くもない。ただ文章にまとまりがない。チョムスキーやデュルケームの引用を交えながら、その焦点のはっきりしない声明文で彼が言いたいことは、おそらく、Antisectは今でもアナキストのバンドであり、その点は昔から変わっていない、ということだろう。(ちょっと恣意的かもしれないが)長くなるので前後の文脈は無視するが、以下に三文だけ訳してみた。気になる方は、その文脈も含めてブックレットを読んでもらいたい。とても真面目な『In Darkness』のブックレットと対にして読むと、さらに面白いだろう。

「アナキスト社会についての私の理解は、カオスと破壊 のことではない。カオスと破壊は今まさに、現前にあるじゃないか。(中略)私が信じるアナキストの原則に 沿った世界というのは、他人に対する善が、結果として自分自身の善に帰結するものだ」
「私たちの武器は、私たちの知性であり、人情であり、 コミュニケーションの可能性である。レンガや銃や爆弾ではない」
「民主主義? クソくらえ! そんな概念は何十年も前に敗北した」

 最初の二つは、自分も大人になった、という意見の表明かもしれない(実際に「自分は老い先短いオッサンだ」とも書いている)。三つ目など、納得できることも部分的にはもちろん言っている。ただこのリッピーの、「Antisectは今でもアナキスト」宣言は、どこまで信用できるかは私にはわからない。声明文全体が、何かから自分を守るようなニュアンスを帯びており、一連の出来事に対する言い訳のように読めなくもない。「原点回帰」ということなのかもしれないが、本人たちの意思に関わらず、ずっと影響力を持ち続けてきた「アナーコ・パンクのバンド」のメンバーが語る内容としては、反資本主義やアナキズムの認識に対して、あまりに初歩的すぎるきらいもある。
 そして何より、ボイスが語ったように、少なくともバンドのメンバーからお金をガメた話は、他のメンバーには「裏切り」と捉えられており、さすがにそれは「善」とは言えないだろうし、右記訳出部分とも矛盾する。そのせいで、せっかく再結成を楽しんでいたボイスがバンドを辞めざるをえなかったのも納得できる。そしてまがいなりにも「アナーコ・パンクのバンド」である/あったAntisectが、金のために大きなレーベルからリリースをする、ということに対する批判も、当時と今とでは状況がまったく違うとはいえ、当然起こるものだろう。
 言うまでもなく、アナーコ・パンクというのは、国家や組織など、あらゆる権威に対して、「個」として反対するというアナキスト的な考えを持ち、実践するパンクスやバンドのことだが、そのアナーコ・パンクを標榜していたひとつのバンドが、金の問題で信頼を失い、いわゆる「リップオフ」をかつての「仲間」にした、というのは何とも悲しい話だ。権威を徹底的に嫌うアナキズムは、仲間同士の信頼でしか成り立たない。

 再結成後にAntisectはバンドのロゴを変えたが、現編成になり再度ロゴを変更し、かつての「クラスト」っぽさは現ロゴからは微塵も感じることはない。リッピーにとっても、そのバンドのイメージの変化はあえてやっていることだろうから、バンドのロゴも「クラスト」のイメージも一掃して、現在あのように活動しているのだろう。

 ちなみにボイスは今はバンドはやっていないようで、最近の他の再結成バンドについてはこう語っている。

「バンドで金を稼ぐことは、個人的には問題だとは思わない。その人がバンドでしか金を稼ぐ方法がないなら特にね。私はライブに行くのが大好きだし、これからも行き続けると思う。私が嫌なのは、世の中には、自分たちだけが価値のある存在だと思っている人がいるということだね。悲しいかな、それが今回のAntisectのケースなわけだよ」

 結果的に、フェイスブックに上がっているボイスによる現バンドへの批判を振り返る記事になってしまったが、これはあくまでAntisectというひとつのバンドの中で起きた話であり、その解釈はこれを読んだ人に委ねられる。結論なんてものを書く必要もないだろうから、ひとつの引用をもってこの記事を終わらせたい。各国のアナーコ・パンクスにも多大な影響を与えたであろう、2018年初頭に亡くなってしまったアメリカのアナキストSF作家、アーシュラ・K・ル・グィンの小説からの引用だ。

 「〈革命〉を買い取ることはできません。〈革命〉を作ることもできません。あなたがたにできる唯一のことは、あなたがたが〈革命〉になることです。それはあなたがたの魂の中に存在します。そこ以外のどこにもありません」
アーシュラ・K・ル・グィン 『所有せざる人々』
(佐藤高子訳、ハヤカワ文庫)

(※ウェブサイトへの掲載にあたり、元記事の年表記などの漢数字をアラビア数字にあらためた)