Debacle Path別冊2 特集:ハードコア・パンクの読書 8/27発売!

Debacle Path別冊2
久々のDebacle Pathは別冊第2号! 500円の二つ折り冊子!

特集:ハードコア・パンクの読書
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内容
◆パンク本座談会―「現場」からの『パンクの系譜学』批判を中心に
パンクと読書/『教養としてのパンク・ロック』を読む/プロテスト・ミュージックはパンクだけではない/『パンクの系譜学』を読む/『パンクの系譜学』で書かれない「パンク」/「Punk展」に関連して/パンクは清く正しく美しいのか/日本の「ポリティカル・パンク」には興味がない?/名前の呼び方、表記ゆれ、内容の誤り/Crassの影響の“なさ”/二種類の「パンク学者」について/ハードコア・パンクとフィクションの関係
・座談会参加者:久保景(Deformed Existence)、黒杉研而(Deformed Existence)、Closh(Wetnap)、Terroreye(Kaltbruching Acideath)、鈴木智士(Gray Window Press)

◆書評
『ナース・ウィズ・ウーンド評伝 パンク育ちのシュルレアリスト・ミュージック』平山悠著/久保景(Deformed Existence)
『現代手芸考—ものづくりの意味を問い直す』上羽陽子、山崎明子編/楠間あゆ
『蠅男』海野十三著/山路健二(EL ZINE)
『サッカーと愛国』清義明著/鈴木智士

◆続・ハードコア・パンクの歌詞を読む
Amebix/Belief /黒杉研而(Deformed Existence)
―Amebixの歌詞から、首謀者バロンのTau Crossアルバムお蔵入り事件における「変節」を考える

◆読み物
スウェーデンでアナキズムとパンクが出会ったとき/マルクス・ルンドストロム
―創刊100年を超えるアナキスト紙「Brand」を元に、Ebba Grön, MOB 47, Anti-Cimexなどのバンドとスウェーデンのアナキズムの関係を論じたエッセイ

A5判 中綴じ冊子 56ページ
日本語
500円+税
発売日:2024年8月27日
ISBN978-4-9910725-5-0

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【Debacle Path vol.1より】パンクっていうのは自主独立/松原弘一良(Argue Damnation, F.F.T. Label, Mobsproof)インタビュー

Debacle Path vol.1の小特集、「日本のポリティカル/アナキスト・ハードコア・パンクを回顧する」に掲載した松原弘一良君のインタビューをここにも再掲します。誌面には載せきれなかった写真や、ライブの動画入り!


パンクっていうのは自主独立/松原弘一良(Argue Damnation, F.F.T. Label, Mobsproof)インタビュー

■ Filaria からArgue Damnationへ

――まず松原君のバンド遍歴から伺っていきたいですが、最初にやっていたバンドは?
松原 ちゃんとしたバンドは、地元の友達と始めたFilariaっていうジャパコアのバンドが最初。デモテープ1, 2本しか出してないようなバンドで、地元の神戸と大阪をメインにライブをしていて。1回だけ東京でライブした程度。2年と少しくらいやってたかな。
――それは何年頃の話?
松原 結成が1990年で、ボーカルが完璧主義者だったから1年くらいスタジオに入って、ライブ活動は91年から93年。ボーカルはその後東京出てきて、Genkotsuっていうジャパコアのバンドをやってたみたい。
――Filariaの音は完全なジャパコアでした?
松原 そう。あとは、横浜銀蠅やアナーキーのカバーをしてたから、ほんまに神戸の片田舎のパンクスが、ハードコアをやろうとしてたみたいな感じ(笑)。当時はちょうど空白の時期で、神戸にハードコアのバンドがいなかった時期。同時期に活動していたバンドはJimmy Gunsとか、Club The Star系のバンドが多かったかな。神戸にはそういうお店もあったし。
――Argue Damnationを始めたのはその後?
松原 そう。94年に結成した。
――その頃には、いわゆるクラストのバンドは、もうまわりで活動していたんですよね?
松原 90年代入った頃にはもう活動してたね。『Final Noise Attack』(Gloomが梅田Guildで主催していたシリーズ・ギグ)もやってたし。
――今回のこの小特集では、ハードコア・パンクと、いわゆる政治性の関連にフォーカスしようとしてインタビューをしてるんですが、バンドをやり始めて、そういった政治的なことに目覚めた、気にしだしたのは、何がきっかけでした?
松原 そういう風には考えてなくて、ハードコア・パンク=政治的なもの、社会に対するものだと最初から考えてた。大前提としてそれがあるもんやと思ってたから、それ以外はハードコア・パンクだとは思ってなかった。
――最初からそういう風に思ってたというのは、例えばどんなバンドを聞いて?
松原 それこそClashとか、アナーキーとか、Crassとか聞いても、そういうことを歌ってるやん? だから最初からそういうものだと思ってた。
――アナーキーも?
松原 そう。天皇制批判から自分たちの身の回りの不平不満まで分かりやすく歌っていて、めちゃくちゃ影響を受けたよ。
――じゃあ最初のFilariaをやってたときから、歌詞ではそういうものを扱っていた?
松原 僕が書いてたのはそうだった。ボーカルはまた別の考えを持ってたから、彼が書いてたのは、もっと、どっちかというとジャパコアに近いようなのやったけど。
――当時からやっぱりクラストとジャパコアとでは、歌詞の内容は折り合わないというか…。
松原 歌詞の人称が違うからね。内に向かうか外に向かうかという点でも違うし。でも、そこはバンド内では折り合いは取れていた。
――Argue Damnationをやり始めたのは、もっと政治的なバンドをやりたいからとか、何かコンセプトがあったからですか?
松原 コンセプトと言えるほどのものはなかったかな。とにかくクラストがこの世の中で一番かっこええものやと思っていたし、考えてることも近いな、って。ファッションも自分たちで徹底的に作り込んで、他とは全く違っていたから。とにかくクラストバンドをしたいっていうプリミティヴな衝動だけだったよ。
――特に影響を受けたのは?
松原 CrassやConflictなどアナーコ・パンク全般と、Extreme Noise Terror やDoomなど海外のバンドはもちろん、国内のバンド含め当時活動していたクラストバンド全般。とにかく、曲、ファッション、思想、すべてがかっこいいと思ったし、その時は、これ以上のものはないと思っていた。レーベル(F.F.T. Label)をやり始めたのも、デモテープを出すんやったら、レーベルも一緒にやってみようかなっていう軽いノリやった。MCR CompanyやD.I.Y. Recordsの活動を見ていて、全部自分たちでコントロールできるのはええなあと思って。あと海外のレーベルと連絡を取って、広がりができるのもええなあと。バンドだけでもよかったんやけど、そういうのが面白そうで、レーベルも一緒に始めたんだよね。
――その頃は、レーベルとしてはどういうバンドと連絡を取ってたんです?
松原 地元神戸のバンドだけのコンピを作って、日本全国のコンピも作りたいなってどんどん欲が出てきて、「コンピレーションを作りたいから、デモテープを送って下さい」って、募集告知を『Doll』に出したのが最初かな。そうしたら、まだLiberação時代のFrigöraから連絡があったり。当時はレーベルもいくつもあって活発やったし、パンクスもバンドも多かったと思う。バンドブームの残り香っていうのがあったのも強いのかな。クラスティーズも増えてきた時期やったと思うし、国内外たくさんのバンドと連絡を取るようになったよ。
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【Debacle Path vol.2より】UK CRUST meets INDUSTRIAL

UK CRUST meets INDUSTRIAL
久保 景
(Debacle Path vol.2(2020年4月)より再掲)


 80年代の熱狂が次第に失われていく中で、次なる90年代の幕開けを迎えたイギリスのクラスト・シーンは、それまでのサウンドを基盤にしつつも、新たな展開を模索していた。そんな当時、彼等の多くが傾倒していたのが“インダストリアル”と呼ばれるサウンドスタイルである。
 本稿では、結果としてその殆どが一過性のトレンドに留まり、歴史の渦の中に埋もれていった“UK CRUST meets INDUSTRIAL”とでも形容すべき現象に今一度着目し、関連作品をレビューしていこうと思う。

 元々はFluxusやパフォーマンス・アートといった前衛芸術に端を発し、70年代後半にパンク・ムーヴメントと融合する事で産まれた初期のインダストリアルは、極端にエフェクトされたヴォイスや、歪んだ電子音/ギターノイズ、リズムボックスを積極的に用いた無機質なビート、不穏なテープ・コラージュやループなどの実験的な手法を用いた無機質且つノイジーなサウンドを特徴としていた。
 イギリスのThrobbing Gristle(以下TG)やCabaret Voltaire、オーストラリアのS.P.K.などはここ日本でも特に認知度が高く、この時期の代表的なインダストリアル・バンドとして名を挙げる事が出来るだろう。
 そのサウンドだけではなく、TGが1976年に設立したレーベル“Industrial Records”からリリースされた彼等の1stアルバムに掲げられている“Industrial Music for Industrial People”というスローガンが象徴しているように、現代社会への警鐘、反体制的な姿勢を強烈に打ち出していたという点でも、“We Make Noise Not Music”なDIYハードコア・パンクスの琴線に触れたに違いない。
 そんな初期インダストリアルからの影響を公言しているUKハードコア・パンク・バンドと云えば、まず初めに名前が挙がるのはNapalm Deathだろう。知っての通り、彼等はCrass直系のアナーコ・パンクとしてそのキャリアをスタートさせたが、初期のメンバー全員がTG、Test Dept (彼等はロンドン出身のスクウォット・パンクスでもあった) 、S.P.K.をフェイバリットに挙げている。次第にそのサウンドは苛烈さを増し、やがて“Scum”を産む訳だが、その音楽的背景にはパンク/ハードコアだけでなく、これらインダストリアルの存在もあったというわけである。

 これは彼等の過渡期、アナーコ・パンクから更にノイジーで過激なサウンドへと変容していく過程を捉えた貴重なデモ音源と言える。Rudimentary PeniとDisorderをミックスしたような曲調ながら、空間を埋め尽くすフィードバック・ノイズとディレイ処理されたヴォーカルはインダストリアルやWhitehouse、Ramlehなどパワー・エレクトロニクスからの影響を伺わせる。
 アシッドな感触すら有る彼等独特の音響工作はここで一旦ピークを迎え、僅か5ヶ月後に録音された次なるデモ、“From Enslavement To Obliteration” (1986) ではよりメタリックな要素を強め、Mick Harrisのドラムが牽引する高速パートが随所に導入されるなど、まさにグラインドコア前夜、pre-“Scum”なステンチ・サウンドへと変化していく。
 その後、“Scum”のアナログA面までギタリストを務めたJustin BroadrickはNapalm Deathを脱退。Head of David, Fall of Becauseといったバンドを経てGodfleshを結成する。

 Killing Jokeの曲タイトルから拝借されたというバンド名、ドレッド・ヘアにBig BlackのTシャツというJustinの出で立ちは、その後のGodfleshでのサウンドを見事に予見させる。ドラム・マシーンと耳障りなギターによるBig Blackの殺伐としたジャンク・サウンドが彼等にどれほどの影響を与えたかは想像に難くない。幾つかの楽曲はそのままGodfleshへと引き継がれ、現在でも演奏されている。

 Napalm Deathのスピードはおろか、人力によるドラムのグルーヴすらも完全に捨て去り、Alesis HR-16 Drum Machineによる硬質なリズムが打ち込まれる。BOSSのHM-2(その後のスウェディッシュ・デスメタルで多用される事でも知られるディストーション・ペダル。余談だが筆者もこのエフェクターの愛用者の1人である)を用いたJustinのギターは、ノイジーに軋みながらドゥーム・メタル的でもあり、人間的である事を拒絶したかような冷徹なサウンドの中でネガティブな歌詞が叫ばれる。
 Napalm Deathの“Scum”のイントロでPentagramの“All Your Sins”のリフを思いっ切り拝借している事等からも分かる通り、元々Justinはドゥーム・メタルからもかなりの影響を受けていたようだ。それらの沈み込むような重苦しいサウンドに初期Swansの反復する鈍いインダストリアル・ビート/金属的なノイズとの親和性を見出した結果がGodfleshであったとも言える。
 ここで彼等が提示した「ヘヴィなギターサウンド+無機質な打ち込み+ノイズ」という方法論によるサウンドが、同時期のUKクラスト・シーンにも大きな影響を与えていく。
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【書評】Black Heart Fades Blue/Jerry A. Lang (Poison Idea他)

重くてぶ厚いハードコア・“パンク”・ジャンキーの物語
【書評】Black Heart Fades Blue vol.1~3/Jerry A. Lang (Rare Bird Books, 2022年)

鈴木智士(Gray Window Press)

vol.1

 Poison Ideaのボーカル、ジェリー・Aの自伝、もしくは解説付きの歌詞集が読めたらどんなに嬉しいだろう……。そんなことを、2019年11月の最後の来日ツアーを見てからしばらく考えていた。新代田Feverで見たそのライブは、バンドとしてもまとまっていてとてもよかった(いい感じにダラダラと「ルイ・ルイ」のカバーをやったりもしていた)。この夜はMCで曲の説明も長めにいくつかあって、 “Alan’s on Fire”について、相手にされない妻子の眼の前で焼身自殺した男の話などには、なぜか感動すらしてしまった。そんな体験がしばらく尾を引いていた中、ジェリー氏(と以降ここでは呼ぶことにする)はすでに自伝を書き終えている、という情報をどこかのポッドキャストで耳にしたのは、確か新型コロナ禍が始まりアメリカの中年パンクYoutuberが増えた2020年の夏ごろだった。そして2022年に全3巻という非英語ネイティブ泣かせの大ボリュームで発売されたのが、“Black Heart Fades Blue”というタイトルの本書である。

 3冊合計で600ページを超える、昔のジェリー氏みたいにサイズの大きな自伝だが、誰かにこの本の第一印象を聞かれたら、私は「ウィリアム・バロウズの『ジャンキー』のパンク版」と答えるだろう。冗談ではなく、本当にドラッグ、特にヘロインにまつわる話ばかりなのである。文字通りのハードコア・“パンク”・ジャンキーの物語だ(未読だが、ニッキー・シックスの自伝『ヘロイン・ダイアリーズ』もそのタイトルから察するに、似たような話なのだろうか)。バロウズの『ジャンキー』ばりに、あれこれと絶えず起きるドラッグをめぐるトラブル、自分やまわりのジャンキーの生態、売人たちの話、飲酒も含めて20年くらいシラフでいたことがなかったジェリー氏、そしてドラッグ使用がたたって太り、膿瘍ができ、C型肝炎になり、糖尿も酷く、何度か死にかけ……、などなど、おそらく全体の70%、第2巻にいたってはほぼすべての章に、何らかのドラッグ関連のエピソードが登場すると言ってもいい。パンクに“こういった”側面があることは誰もが知る事実だと思うが、ジェリー氏がここまでのジャンキーだったとは知らなかった。Poison Ideaのドキュメンタリー、“Legacy of Dysfunction”(2017年、日本未公開)でもドラッグの話は当然出てきたが、私はどうやらPIというバンド、さらにはジェリー氏へのドラッグの影響を過小評価しすぎていたようである……。
 もちろん本書にはそれ以外のPIの話――当時どういうバンドがいて、どういうバンドと対バンしたとか、シーンの変化とか、自伝本には必ず載るそういったパンク史的情報も、ポートランドでずっとやってきたバンドなので特にポートランドに関連するものはあるにはあるが、この表紙以外にただの一枚も写真やフライヤーが登場しない、文字で埋め尽くされた本書の主題は、ジャンキーであったジェリー氏の生き様である。
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【寄稿】初期あぶらだこの歌詞が描きだす日本のリアルな情景

初期あぶらだこの歌詞が描きだす日本のリアルな情景
楠間あゆ

 80年代前半のパンクバンドの中であぶらだこは異彩を放っていた。歌詞表現の秀逸さと、独特の世界観は類を見ず、40年経った今でも色あせていない。
 私が初めてあぶらだこを知ったのは1983年に『Great Punk Hits』というオムニバスアルバムが出たころで、私は高校生だった。このアルバムに収録されたあぶらだこのヴォーカリストの声は、当時私が持っていた「普通のパンク」のイメージからはあまりにも乖離していたが、密度の高い緊張した音とスピード感ゆえに、私の一番のお気に入りになった。そのアルバムに歌詞は提供されていなかったが、「がなり立てているのだから、どうせ聞き取れないだろう」くらいに思い、あまり注意を払わなかった。しかしその後、渋谷だか新宿だかのライブハウスで初めてあぶらだこを観た私はうろたえ、「好き」なんてとても言えないと思った。というのは、ヴォーカルのヒロトモ氏は眉を剃り、詰襟の制服という、いわゆる長ランのツッパリ(今で言うヤンキー)スタイルだったからである。ツッパリは学生のうちは教師という権威に反抗するという点でパンクスと重なる部分があるものの、学校以外の権威には従い男尊女卑バリバリだ。だから私はツッパリが大っ嫌いで、ヒロトモ氏の格好を見て「パンクなのになぜ」とショックだった。ストレートな政治的スローガンや服装、行動や態度—それらがセットでパンクなのだと当時の私は思っていて、あぶらだこのライブの様子はその規格外だった。そんな単純さゆえに、私はつい最近まであぶらだこを無視していた。
 しかし最近になって、ツイッターに投稿された安保法制反対のデモのビデオを目にした時、ずっと忘れていた、不明瞭なあぶらだこの歌詞が脳内に突然浮かんだ。ビデオの中では仏教の僧侶たちが集団で為政者たちを呪う姿があり、デモと宗教という私にとっては全くかけ離れた二つが一つになっていた。そこには自分がこれまで知らなかった「怖さ」というものが確かにあり、その映像が私に、そういえばあぶらだこも「呪い殺せ」とか、「神が語ったことば」などと歌っていたな、と思い出させたのだ。その歌詞が表現する世界は、私が高校時代に「パンクらしい」と信じていたような、単純なスローガンとは違う地平にある何かなのだ。その気づきが、この記事を書くことにした理由である。
 この記事では初期のコンピレーション・アルバム『ADK Years 1983-1985』(以下『1983-1985』) にフォーカスし、前半ではアルバム全般の背景を扱う。後半では例として初期あぶらだこの代表曲と言える「米ニスト」の歌詞を取り上げ、アルバム全般の背景と関連づけて掘り下げ、解釈を展開する。
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