Subhumans/Reason for Existence【続ハードコア・パンクの歌詞を読む―Debacle Path Online】

Subhumans(UK)/Reason for Existence
(Reason For Existence EP、Spiderleg Records、1982年)
鈴木智士

あんたの存在理由は何?
信じるものはある?
それとも自分で書いた歌詞と生活が矛盾してる?
仕事は満足?
でも失業問題のデモにも行くでしょ
仕事はしたくないけど金は必要
避けられない現実

でも金のために働きたい?
システムのために働きたい?

選挙に行って大満足?
寄生する政治家たちはそのおかげで生きられる
投票なんてしたくないけど したほうがいいと思ってるでしょ
それは正しいことだって教えられたから
でも自分でその理由を考えたことはない

でも自分の良心のために投票したい?
システムのために投票したい?

給料をもらうために
軍隊に入隊して嬉しい?
理由もなく戦争で戦い
自分が腐っていくのを知らんぷりできる?

でもお国のために戦いたい?
システムのために戦いたい?

あんたは奴らの存在理由
奴らの資金のために生かされてるんだ
信念を持って叫ぶ言葉
それだけが自分の憎しみを表現する方法?

 日本では未公開だが、2017年のアメリカ映画に“Bomb City”というものがある。この映画は1997年にテキサス州アマリロで実際に起きた、当時19歳のパンク少年Brian Denekeが殺害された事件を映画化したものだ。Brianはショウを企画したり、アートプロジェクトに関わったりと、地元のシーンではリーダーのように慕われていた真面目なパンクスだったらしい。両親とも関係はよかったが、パンク生活のことを心配されてもいた。パンクの格好をすることで、パンクのライフスタイルを送ることで嫌がらせを受けることが、特に地方部ではまだ日常茶飯事だった時代だ。そういった地元の緊張が高校生アメフト選手との揉め事に発展し、その結果Brianはジョックの車に轢かれて亡くなった。そしてその後の裁判――これがこの事件の最悪な点でもあるのだが――でジョック野郎の弁護士は形勢不利と見るや、パンクの“悪”のライフスタイルを攻撃し始め(映画ではBrian役のジャケットに貼られたベイエリアのバンドFilthの有名なロゴ、“Destroy Everything”が引き合いに出される)、パンクスがいかに反社会的であるか印象操作することで、ジョック野郎を第一級殺人から“故殺”、10年の保護観察処分へと「減刑」することに成功。この裁判の結果も含め、当時この事件はアメリカ中で大きく報道された。この映画は裁判の模様もカットバックさせながら、過度に感情的になることなく、過酷なパンク生活――警察から受ける暴力、パンクハウスの家賃の工面、社会からドロップアウトしてパンクに流れついた少年少女たち――と事件の顛末を描くことに成功している。
 そしてこの映画のエンドロールで流れるのが、1982年に7インチEPでリリースされたイギリスのアナーコ・パンク、Subhumansのこの曲だ。簡潔な歌詞からもわかるように、パンク生活のジレンマが端的に語られたシンプルなパンクソングだ。パンクの音楽をただ家で聴いているなら大した問題はないのかもしれないが、パンクのライフスタイルを選び実践することで生じる様々な矛盾は、身に覚えのある人も多いはずだ(もちろんその「ライフスタイル」を好きで選ぶわけでもなく、環境上そうするしかないという人も存在するが)。一方で政府なんかクソだと言いながらも、所得税、消費税などさまざまなかたちで税金をバッチリ取られて結果的に憎き政府を支えてしまい、選挙なんかで何も変わらないとは心のどこかで思いつつも、まわりの目が気になってやはり投票してしまう。生きてるだけで権力者が寄生してきて、金も命も吸い取り削られる社会がいつも眼前にあり、私たちはそこにただ生かされている。この曲では特に解決策が語られるわけでもなく、それは自分で見つけるんだ、とSubhumansのボーカルのDickは言いたいのかもしれない。映画“Bomb City”のBrianも、将来の展望なんかは何も持つことのできない、その日暮らしのパンクスだった。でも居場所を失った若者たちがあらゆるハラスメントから逃げてこられる場所――権力者の介在しない場所――を維持することによって、また彼の友人パンクスがジョックにボコボコにされたあと、そいつらにやり返しに行くことことによって、Brianは自分自身の矛盾をも乗り越えようとしていたようにも思える。社会にお国に“消費”されること。さらに言えばパンクを“消費”すること。そういったことから距離をおくことで、それぞれの「存在理由」は見えてくるのかもしれない。
(2021年4月)

Misery/Filth Of Mankind【続ハードコア・パンクの歌詞を読む―Debacle Path Online】

Misery/Filth Of Mankind
(“S.D.S/Misery” Split LP、MCR Company、1992年)
黒杉研而

 Miseryといえば、NauseaやApocalypse等と同様に北米で80年代後半に始動し、現在も活動するUS Crustのベテランバンドだ。イギリスの古典的なクラストともまた少し違う、重苦しいながらも時にMotörheadやGBH、後期Varukersを彷彿させるキャッチーなリフで攻めるかと思えば、AmebixやAxegrinderに比肩する荘厳さを纏う事もあるその独特のサウンドは、世界中のクラスティーズを虜にしてきた。2010年代にリリースされた2枚のアルバムはそれぞれ趣が異なりながらも、フックの効いた「これぞMisery節」が発揮された名盤だし、一昨年(本稿執筆当時)にはかれらのマスターピースと言える当スプリットがProfane Existenceよりリイシューされた。この曲は初期のかれらを象徴する名曲と言っていいだろう。“Early years”等、いくつかのコンピにも収録されているが、現在はこのリイシューが恐らく一番入手しやすいと思われる。89年の2枚のEP“Blindead” , “Born,Fed… Slaughtered”や1st LP “Production Thru Destruction”等で聴く事ができる、重油をぶち撒けた薄暗い室内で乱戦を繰り広げるが如くの暗鬱七転八倒ステンチコアに比べればややクリアな仕上がりで、上述したキャッチーさも幾分増したような音だが、基本的な方向性は変わっていない。

人類の過ちが赦される事はない
俺たちが踏みしめている大地を当たり前のものだと思ってやがる
嘘や裏切りでしかない金持ち共の対策が 癌で死にかけの地球を更に蝕む
こうして人類の過ちは嘘の内に隠蔽される
イカれた奴らに精神を歪められる事を拒め
食糧危機に人類はどう対応する?
オゾン層が完全に壊れてもこのまま享楽に浸り続けるのか?
破壊される俺たちの地球
俺たちが破壊した地球
(後略)

 一瞥して、これが環境破壊に関してのものである事は明らかだ。「人新世」や「脱炭素」「SDGs」という言葉が近年ますます取りざたされるように、富裕層や社会の主流派でさえもそうした問題は一定認識し、「環境保護」を支持しさえもするが、「彼らのやり方は根本的な解決に繋がらないどころか、むしろ悪化させている。その場凌ぎの嘘八百に取り込まれてはいけない」…。そうした認識が反映されているように思うし、それは決してMiseryに限った話ではなく、80’sから00’sあたりまでのクラスト周辺のハードコアパンクに関して言えば、ある程度共有されていた認識だったように思う。
 具体性はともかくとしても、資本主義や国家の問題と環境/動物倫理を一体的に捉えるような主張は、90年代のクラストやピースパンクと呼ばれるバンド群には頻繁に見られた。90年代は80年代に引き続き、社会運動として、また「テロリズム」を含む現象としてエコロジーや動物解放運動が激化した。Animal Liberation Front(動物解放戦線)やELF(地球解放戦線)、またはEarth First!などの「指導者なき抵抗」は、動物実験施設や工場畜産、地球環境や生態系の破壊を引き起こす研究機関などに対して、時に爆弾や放火などの破壊的手段も辞さない直接行動を展開。ConflictやAnti-system、Iconoclastなどが自らALFを名乗るほどその運動を強く支持していた事などからも伺えるように、既成の左翼運動ともまた違ったそうしたラディカルな直接行動に、当時の少なくないパンク/ハードコア勢が強い共感を寄せていたし、かくいう筆者もそこから影響を受けたひとりだ。

 元は反戦/反核運動の現場においての実践として始まった、野宿者へのヴィーガン食提供支援等を主な活動とする“Food Not Bombs”に現在も多くのパンクスが参加し、支持を表明するように、パンク周辺文化の中には環境倫理や動物倫理に繋がる回路は数多くある。だがそれは、Miseryのいう「ホワイトカラーどもの嘘」のような、単に逃避的なライフスタイリズムとしてのそれを踏襲する事とは違うだろう。資本主義の下での格差や貧困、人種・性差別、そして戦争やファシズムの台頭に執拗に警鐘を鳴らしてきたMiseryや、有機的なパンクコミュニティ総体が支持してきた思想・実践としてのそれは、スーツを着た中流・上流階級や、セレブやヒップスターが地代を釣り上げてマイノリティを街から叩き出す事と一体で喧伝する「おしゃれでエシカルなヴィーガンライフ」とは対極に位置するものであり、「それはそれ、これはこれ」ではなく、「あれも、これも」問題として捉えるためのものだ。「ヒップスターや金持ちが言う事であろうと正しいものは正しいし、環境問題や動物倫理は全人類的課題ではないか」、それは一面においてそうだろう。だが、Extreme Noise TerrorやElectro Hippiesが何故軍需産業/イスラエル支援企業でもあるマクドナルドを槍玉に挙げたのか等、既存のクラシックなパンク・ミームとその政治的背景を思い起こし、その理由に立ち返ってみれば「それはそれ」が孕む危険性というのもおのずと見えてくるのではないだろうか。少なくともかつての、ある時期までのハードコアパンクにとって、それらは「いずれも問題」だったのではないかと筆者は思うのだ。

ハードコア・パンクの歌詞を読む ―Debacle Path 別冊1

2020年10月に出版した『ハードコア・パンクの歌詞を読む ―Debacle Path 別冊1』の在庫が切れて久しいので、記事をウェブサイトに掲載しました。
(※寄稿者Q&Aは紙版にのみ掲載しています。)

【ウェブ版】ハードコア・パンクの歌詞を読む ―Debacle Path 別冊1

取り扱い店でまだ紙版の在庫を持っているお店もありますので、紙版がほしい方は各店にお問い合わせください。
取り扱い店舗

Fatum(ロシア)インタビュー再掲

2018年8月に来日ツアーを行った、ロシアのクラスト・パンク、Fatum(ファータム)のツアー前のインタビューを再掲します。ロシア国内の情報統制から、ドンバス地域で起きたこと、アゾフ連隊、またアレクサンドル・ドゥーギンについてなど、目下進行中のロシアによるウクライナ侵攻の理解のひとつにはなるかと思います。

Fatum インタビュー

ロシア、ウクライナ双方の現地のアナキストへのカンパの呼びかけも行われていますが、特にウクライナのアナキストがどのような闘争を行っているかが明確には見えず、国軍や領土防衛隊などとも部分的に“共闘”するシーンもあるように見て取れるので、そのあたりは最新の情報を確認したほうがいいかもしれません(それぞれソーシャルメディア(特にテレグラム)をよく利用しているので、それを追いかけるのがよさそう)。

囚人支援を行うAnarchist Black Cross(ABC)については、ロシア国内のデモ等の逮捕者についてはモスクワのABCが、ウクライナのアナ支援についてはドレスデンのABCが積極的に活動しているようです。

ABC Moscow: https://wiki.avtonom.org/en/index.php/Donate
ABC Dresden: Donation-page for Solidarity with anarchist and anti-authoritarian activist from Ukraine

「Spitboy日本ツアーを回顧する/Debacle Path Paper 01」PDF版

『スピットボーイのルール』の副読ジン、「Spitboy日本ツアーを回顧する/Debacle Path Paper 01」の紙版が売り切れたので、PDF版の販売を始めました。紙版は字が小さくて読めなかったという方も、これは拡大して読めます。200円のダウンロード販売です。

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Spitboy日本ツアーを回顧する/Debacle Path Paper 01(PDF版)

『スピットボーイのルール 人種・階級・女性のパンク』出版に合わせて、1995年8月に行われたSpitboy来日ツアーを振り返るジンを制作。ツアー企画者の安藤直紀氏へのロングインタビュー、また同ツアーの名古屋編・今池ハックフィン(1995年8月14日)で対バンしたAn Apology Nature Arise、Out of TouchのメンバーへのQ&Aを掲載。

内容:
インタビュー:安藤直紀(Ignition Collective)
Q&A:Hiyoko (An Apology Nature Arise)、中村秀仁(Out of Touch)

PDF 20ページ
ファイルサイズ:約5.2MB

※本PDF版には写真ページは含まれていません。ご了承ください。
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『スピットボーイのルール 人種・階級・女性のパンク』は引き続き以下の取り扱い店、オンライン書店などで販売中!
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