Harum-Scarum/Fear
(“The Last Light” LP, Partners in Crime, 2004年)
渡邉(MATERIALO DISKO)
90年代終盤から00年代半ばまでポートランドを拠点に活動したHarum-Scarum。音楽性について言及するならば、1stアルバムまでは一言で「〇〇風」との形容をし難いスタイルの楽曲、そして絞り出される様なボーカルと歌心のあるコーラスの掛け合いが彼女たちの独自性を際立たせていたが、最初のボーカリストが抜けた後に3人編成で製作された2ndアルバム以降、そのスタイルは打って変わって非常にメロディックでエモーショナルなアプローチとなった。
歌詞の中では何か明確なスローガンを掲げている訳ではないのだが、直接自らの経験から吐かれたであろうその言葉には、各々の内面の変革によって社会の変革を求めるという意思が強く感じられる。
また1stアルバムに収録されたうちの2曲、アメリカによる軍事侵攻を歌った“As Civilians Die”、司法・死刑制度について歌った“Systematic Death”が以降のアルバムでも再録され収録されているが、それは結成当初から一貫して変わらなかった彼女たちの姿勢の現れであったのではないかと私は捉えている。
そのようなHarum-Scarumだが、今回取り上げるのはラスト音源となった3rdアルバム“The Last Light”に収録された楽曲“Fear”だ。
遅れた反応/それは時に来ないこともある/すべてが無感覚になるまで突かれ/私の周りのもの全てへの恐怖/私の目に映るものすべてへの恐怖/癌のフィルムが全てを覆う/美しさを曇らせる/尊厳のかけらも全て失う/恐怖が引き金を引いた混乱/感情、それは完全に死んではいない/休眠状態だ/イメージが溢れ出てきて、私は叫びと共に目を覚ます/世界の終わりはもうすぐなのか?/それを望むこともある/恐怖… 癌のフィルム/恐怖… すべてを覆う/恐怖… 美しさを曇らせる/恐怖… 尊厳のかけらも全て失う/恐怖が引き金を引いた混乱
「恐怖」。それによって私たちの生活が左右されているということは言うまでも無いだろう。専制国家的なあからさまな「恐怖による統治」という事ではなくとも、ここ日本のように名目上「民主国家」とされる国々に於いてもその事は明らかだ。
このアルバムがリリースされる3年前、かの同時多発テロ事件に端を発し、テロ組織の撲滅という大義名分のもと、アメリカは世界中を巻き込んでアフガニスタンへの軍事行動におよんだ。この事は同年アメリカ国内におけるアラブ系住民やイスラム教徒に対するヘイトクライムが増大したという事実ともちろん無関係ではない。当時、政府やメディアの反応は、「アラブ系住民やイスラム教徒=テロリスト=生活を脅かす脅威」というイメージを私たちに植え付けかねないものであった。ここで歌われた「恐怖が引き金をひいた混乱」が具体的に何であったかは明言されていないが、少なからずこの事を当てはめて考えることも出来る。泥沼化する状況、止まないヘイトクライム。「世界の終わりはもうすぐなのか?/それを望むこともある」という言葉は、そういった状況に打ちひしがれた中で出てきたものとも考えられないだろうか。
近年で言えば日本に於いても隣国の軍事演習に対し、政府とメディアによるまるで私たちの恐怖心を煽るかのような過剰な反応・報道が続いたのも記憶に新しい。そのような情報は往々にして特定の人々へのスティグマを生じさせかねないし、それによって草の根レベルの差別が助長される事にもなる。植え付けられる恐怖心は私たちを分断する。
恐怖・不安から懐疑心が生じて誰かを標的とする事はないか。その前に一度自問してみる余地はあるだろう。
(2022年4月)